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東京都立川市出身、慶應義塾大学卒業、某電機メーカ勤務にてソフトウェアシステムの海外プリセールス等を経て、現在は教育関連に従事

2012/12/20

まごころ

毛糸のマフラーを編みかけて、彼女はふと手をとめた。
どーれ、どんな感じかしら。
ああ…、やっぱり、よーく確かめてみると、ところどころ編み目にムラがある。
やっぱり。
これはダメね、と、彼女は少しだけ逡巡し、ふぅとため息をついた。
それから、別のマフラーを手に取り上げる。
こちらは既に以前から買っておいた、つまらない安物。
まあ、こんなところでいいわね、あの人にはこんな程度で十分、と彼女はひとりごちた。
それでも。
せっかくのクリスマスだし、このままではあまりに芸がないし、なんだか、かなしい。
だがその時、ああそうだと閃いたことがあって…そのまま約束のレストランに向かう。


レストランに着くと、彼女は入口からそっといつものテーブルを見やる。
居た ─ やっぱり来てくれたんだ、あの人。
俺なんかと話をしても、つまらんだろう、でも俺にとっては気晴らしになるから、まぁ付き合ってやってもいいぞ。
…などと突き放したような言い方ばっかり、でも一度だって私との約束をすっぽかしたことはないあの人が、真面目なだけのつまらないあの人が、いつものテーブルで待っている。
さぁ、そうなると。
彼女は隣接する喫茶店に素早く駆け込み、持ってきた安物マフラーを手際よく折りたたみ、それに結構な値札を巧みに取り付けて一流百貨店の包装紙で包み、丁寧に封じて、はい…これで一丁前の高級ブランド品が出来上がり。
ごめんなさい、ごめんなさい。
誰に、ごめんなさい?
私に、こんな卑怯な私に、と早口でつぶやきながらも、もう一度包装の具合を確かめる。
そして、注文した紅茶が来る前にさっと立ち上がって勘定だけ済ませ、それからあらためてレストランに入っていく。


こんばんは。
やあ、メリー・クリスマスだね。
お変わりなく?
全然。
ねえ、プレゼントがあるの、と彼女はバッグの中から包装を取り出す。
これ、上等な毛糸で編んでいるマフラーなのよ、ちょっと捲いてみてよ。
ふーん、どーれ。
彼がぱさぱさと包装紙を開き、値札をちらりと一瞥しつつそのマフラーを首に捲くさまを、彼女はじっと見届ける。
大丈夫だ、分かりはしない、バレやしない、この人がいちいち細かいこと詮索するはずがない。
わぁ、本当だ!と、首にふわっと捲きつけた彼が、高い声をあげた。
これは暖かいなぁ、それに、高級な肌触りだ。
…でしょう、そうでしょうね、そうよ、そうに決まっている。
彼の顔がすこし上気だっているのをみとめ、彼女は胸のうちで一瞬だけうわーんと泣き声をあげて、それでも平静をつとめながら、もうちょっと大人っぽいデザインの方がよかったかしら、とか、でも人気商品みたいであまり洒落たものは残っていなかったのよ、などと口ごもった。

す、と彼が制した。
なあ、俺の方もプレゼントがあるんだよ、と、今度は彼が少しだけ口ごもった。
そして。
あのね、毛糸の手袋なんだけどね、これ。
彼から差し出されたその包装の具合を見とめて、彼女は思わず吹き出しそうになった ─ ああ、これは…こんなデタラメな包装があるわけがないじゃないの!
なんという展開だろう。

彼が、次第にしどろもどろの早口になる。
あ、あのさ、店員曰く、だね、これはなかなか凝った編み方なんだってさ…ほらこれからもっと寒くなるかもしれないだろ、だからね、そりゃあまあ多少は高かったんだけど、でもせっかくのプレゼントだと思って、思いきって買ったんだよ…。
うん、そうね、うん、と彼女は上ずった声を押し隠そうともせず、半分ちぎれた値札が不器用にくっつけられたその手袋を取り出した。
指先から、奥までぐっと差し入れる。
あぁ、本当だ、本当に暖かい。 
彼女はしばしうつむいたまま、泣かないぞ、泣くもんかと心中懸命に叫び続けた。
自分のためじゃない、彼のために…だからこそ泣かない、泣いちゃいけないんだ!
それでも ─ やっと彼女は顔をあげて、彼をまっすぐに見つめた。
あっ!
彼もまっすぐに彼女を見つめていた。

ああ、もしかしたら。

もしかしたら、虚構のうちにこそ本当のことが込められているのかもしれない、そのことがお互いに今のいままで判らなかったのかもしれないし、いちいち確かめようともしなかったのかもしれない、ということは彼にも分かっていたのかもしれない
…だから、だから、もしかしたらこういうのが。

こういうのが無償のまごころのようなもの、かもしれないなぁ ─ と呟いたのは彼の方で、それからさらに、なんでもないよ今の言葉は無意味だ、なんでもないから忘れろよ、といつもの彼に戻った。 


突然、店長が現れて、びっくりするほどの大声で挨拶を始めた。
皆様!今宵は私ども特製メニューを数多く取り揃えております、どの品も通常の半額料金で結構でございます!
半額じゃぁ、おたくらも本気にはなれないだろう、と誰かが冷やかし声をあげた。
いいえ!と店長がいよいよ高らかに続けた ─ 今宵はとびきりの料理を皆様に食していただきます!私どもがそう決めたのです、これからただちにとりかかります!さあご期待あれ!

おわり

2012/12/14

悪事と担保


いや~なニュースを見るたびに思う。
世界を強欲に支配してきた連中の手口は、いつも似通っている。

まず、相手に対して沢山のカネを貸付ける。
カネは要らんというなら武器や食料や遊び金、低所得者住宅ローン、就学ローン、はては麻薬類までをもどんどん売りつける。
そうやって相手を慢性的な借金サイクルにおいやりつつ、結果としてやっぱりカネの貸付を増やしていく。

一方では、司法官や徴税官などの特権階層だけを自分たちの仲間としてとりこんでおく。
そういう官僚は、借金の担保として一般庶民の資産をさりげなく押さえたり、税率や課税品目を自在に変えてしまう。 

やがて、貸付先がカネを返済しきれなくなって、負債の整理精算をもちかけると…
「そんなこと言われても困りますなぁ、こっちだって慈善事業でやってんじゃないんですよ」 などと居丈高に云い放ち、自分たちの貸し付けた分だけは高金利とともにさっさと回収してしまう。
あるいは抵当の土地や資産を没収して、好きなように処分してしまう。 
それでも貸付先が返済しきれないと泣き言を言おうものなら、ワルの大元締めが出てきて、こっちの言うとおりタダ同然で働け、逆らったら合法的に制裁するぞ(殺すぞ)、となる。

そして、ここが最初から狙いなのだが、相手はもう逆らえないほどに弱体化しているので、言いなりになるしかないわけ。 

ローマ帝国も中国の諸王朝も、大航海時代も、東インド会社や西インド会社も、帝国主義政策も、アジア通貨危機もユーロ危機も。
売買の形態こそ違えど、基本的な仕組みは似たようなもの。
こんなもん、要するにマフィアやヤクザと全く同じやりくちであり、あるいは正体不明のファンドや金融機関も同じこと。
悪徳貴族や悪代官などが特権をかさに中間で暗躍しているところも同じ。
水戸黄門や遠山の金さんのストーリーもだいたいがこういう設定で、超越的な正義がワルをやっつけるというものである。 

水戸黄門や金さんの居ない世界でも、カエサルのように借金をかたっぱしから踏み倒し、自身の軍隊をどんどん増強して悪徳の元老院を震え上がらせた英雄はいる。
しかしカエサルやナポレオンすらも居ないとなると、弱い側は社会主義革命とか同盟機構とかファシズムなどをもって債務を放棄、文句あるなら戦争するぞコラ、と反抗することになり。

世界をこのように冷酷で無惨なものとして捉えると、もうなんだか嫌になってしまう。
が、もちろん救いはあって、一つは学術や科学技術による経済効率の全般的な向上だろう。
もうひとつは、愛情である。
これらの相乗効果で、我々はいくらでも楽しい世界をつくっていくことが出来るんじゃないかな。
健全な人智は、そのように働くもの。

一方で、悪い連中や悪い役人は、学術や科学技術をなんとか停滞させ、愛情や道徳をなんとか荒廃させよう…つまりは、俺たち以外のみんなを馬鹿で弱っちい債務者に貶めてしまおう、これは儲かるぞ~、と考えるに「決まっている」。
他に、彼らが何を思いつくっていうのか。


昨今、どうも気になるのだが、やたらめったら「担保」という言葉を使いまわす評論家やコメンテーターが増えてきたような気がする。
それどころか衆議院の候補者までも、ここぞとばかりに 「将来の成長戦略を担保します」 「おたくは安全を担保しますか?」 などと言い耽っているように見受けられる。
がしかし、担保、担保って得意気に吹いている人たちは、「法や政策とは、貸借関係のことなのですよ」 とでも力説したいわけか。 
「もちろん国民の資産が抵当に入っています」 とでも続くのかいな。 
だいたい、学識と科学技術と愛情をもって楽しい方向へ拡大発展していくべき世界で、貸借や担保の観念をことさら力説する必要があるのだろうか?
そういうこと、ちったぁ考えているのかしら? 

以上

2012/12/12

おもしろゲーム


先に海を越えていく鷹についてちょっと載せてから、もやっと考えていることなんだけれども。
たとえば、『渡り鳥』というゲームはないものかな?
(たとえば)グーグルマップみたいなのを起用しながら渡り鳥の渡航ルートを探りつつ、うまく着陸地点に先回りして給餌出来れば1ステージクリア、というゲームを作る。
だんだん難度が上がっていき、幻の火の鳥かなにかの複雑な飛行ルートを計算させてみたりして。
まあ、こういうのが有ったら、生物科のファンのみならず多くの学生などが面白がってくらいついてくると思うんだけどねえ。

ゲームの本質は、プロセスにおける不確実性の高いスリル、試行錯誤の末の問題解決と、様々なパラメータの増加…といった要素を加味しているということでしょう。

似たようなものでは、女性客の行動パターンを先読みして品揃えと売り場配置を工夫する『ザ・バーゲン』とか、童心に帰って『凧揚げゲーム』とか。
もっと大胆に気圧配置から天候を当てる『予報でGO! 』とか『惑星探査ゲーム』とか。
ああ、そうか、こんな程度のものはもうとっくに出回っているんだろうなあ。

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ほのぼのとした家庭向け、仲間内向けのやつでは、『おにぎり』というゲームがあったら面白いかもしれないよ。
中に梅干とか昆布とか入れて、海苔やとろろで巻いて、相手に食わせる。
相手が「これはおかかが入っているね」と憶測し、いや実はタラコだったよ、ざーんねん、当たっていたらもうひとつ…
だったらサンドイッチというゲームだって出来るが、まあそんなことはともかく、もっと発展形で『回転寿司』というのはどうかな?
板前を雇い、新鮮なネタをしこんで、ベルトコンベアに並べていくゲーム。

『朝顔を植えよう』みたいなガーデニングゲームとか、『熱帯魚』とか『セキセイインコ』とか『餌やりさん』とか、思いつくまま挙げていけば、ゲームの題材などいくらでもありそうだ。
 
ちょっとドギツイやつでは、タバコの銘柄によるパチスロって無いのかな?
たとえばシガーは高得点、マールボロやラークは中得点、ゴールデンバットはスペシャルフィーバー、などなど。
パチスロやってると(たまにだよ)、どうしてもタバコ吸いたくなるでしょう? 
だからシチュエーションにぴったりフィット、実際にタバコ吸いまくるユーザーが増えるでしょう。
こういうのを営業センスっていうんだよ。
子供が遊ぶかもしれないから、ゲーム化は難しいかな?

それにしても、『年末ジャンボ』とか、『マルコ=ポーロ』『百人一首』『阿倍仲麻呂』などのゲームは実際に数学や歴史の学習効果があるから、もっと普及しても面白いと思うんだけどなあ。  
…と、ここまで発想が拡大すると、必ず出てくるのが著作権うんぬんの問題だろう。  

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著作権うんぬんについて考えると、もう面白くもなんともないので、さらにいろいろ思いつくまま。
じつは前々から、あったら面白いのになぁと思っているゲームがあって、実在するかどうか知らないが、ずばり『忠臣蔵』
松の廊下、復讐計画と藩士説得、吉良邸マップ入手、襲撃決行、諸藩の絶賛と歓待、武家体制と切腹処分といったステージがあって。

いや、これは実話に基づいているからゲーム化はちょっと…ということになるのなら、信長の野望も第二次大戦シミュレーションもゲーム化は出来ないということになろう。
だから『カミカゼ』という戦艦撃沈のゲームも、(特攻機の側であれ、戦艦守備側であれ)実現は難しいのか。
けして悪ふざけのつもりはなく、戦闘ものとしては普通の銃撃戦などをはるかに越えたスリリングなゲーム化が可能だと考えているんだけど。

復讐物としては、『モンテ=クリスト伯』というのも面白そうで、これは忠臣蔵やカミカゼとは異なって実話ではなさそうだから、ゲーム化も比較的簡単なのではなかろうか。
それでも著作権が、となるのだろうか。
ともあれ、言わずと知れた巌窟王、流刑の島で掴んだ財宝を元手にして、かつて自分を陥れた成り上がり連中を経済的にどんどん追い詰めていく…と、まあだいたいこんな感じの蓄財ゲーム。
フランスは音楽や徒党ムードがどうも気に入らないが、小説はとてつもなく豪放でダイナミックな展開のものが多いので、ゲームにしやすいと思っている。
 
同じくフランスもので、これも前々からぼやっと考えているのだが、『ルパン』 というゲームも有るのだろうか。 
虚勢ばかりの卑怯な金持ちからどんどん盗みまくり、貧しい女たちを救い、ルパン結社を拡大していくという大冒険ゲームだ。
警視庁ガニマル警部を騙しながらの大盗賊、数々のミステリーと冒険、外人部隊への志願、アメリカの黄金秘境探検からシャーロック=ホームズとの対決に至るまで、エピソードには事欠かない。
やっつけてステージ完了、じゃなくて逃げ延びてステージ完了というのが『ルパン』ならではの仕掛けで、面白そうだと思うんだけどね。 

しかし泥棒ものでも、『オレオレ』みたいなのはいただけない、弱い老人ばかりターゲットにしているのが全くけしからん。 
こんなものゲームにしてはいかん。
まだ『ラスコリニコフ』みたいなゲームの方が、哲学性が高いものになろうか。

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そういえば、『衆議院選挙』というゲームも面白そうだ、実名あげなければどこからも文句出ないだろう。
あなたは○○県の△△選挙区から、もしくは比例代表区から、国会議員を目指して得票活動に奔走します…マニフェストは減税、原発、TPP、米軍基地、高校無償化などから3つまで選択可、修正も可、無所属も可、期日前投票オプションあり…さあ現職を打倒して見事当選を果たしましょう!
こういうゲームって、「ふざけるな」と衆議院から叱られるのかな。
…というより、なんだかよく考えたら凄く不快なゲームだから却下。
『大統領になろう!』とか、似たようなもんか。

まだ『発電所をつくろう』とか『地下鉄の統廃合』などのゲーム方が理知的で面白いと思うけど、これまた「ゲームとは何事か」と叱られてしまうのだろうか? 
セキュリティ上もダメ、工業所有権でもダメ、著作権上もダメ、道義も無い、となると、ゲーム化はどうやっても無理なのだろうか。
密かに作っている奴らは、どうなるのだろうか?

いや、市販のゲーム化が出来ないということであれば、だよ、うちうちでそういう「すごろく」みたいなのを作って「ここに200,000 kW/hの火力発電所を設置します」などと「無償で」遊ぶのもダメなのか。
それどころか、軽々しく日常の冗談の俎上に上げることすら出来ないわけか?
ほーら。
このあたりから難しくなってまいりました。
僕はもうどうでもいいけど、 これは十分考えるに値する問題ではなかろうか。

以上

2012/12/09

女子は放っておけばよい? ②



(1) いや、もう、ともかく、こっちが何言ったって話半分しか聞いてないんだから。
女子というのは、なんだか一人でモゴモゴ言っているかと思えば、すぐに皆が同調してモゴモゴ言っているわけで、そういう共有力というか常識力というべきか、むしろ男子よりも優れているんじゃないかと思われるので、放っておいたほうがよいや、ということになる。

男子は成長するに従い、なんでも「人間以外のもの」に分解し、還元し、まあモナド単子とでもいうべきか、そういうレベルにまで落とし込んで、それから厳密に是非を判断したいんだけどね。
だからどうしても理屈だけになりがちなんだよ。
それで気位が高いとか口先だけだなどと、女子に批判されたりするんだけど、もちろん特段気取ったり威張ったりしているわけではない。
一方で、女子はつくづく逆だね、いつでも、全部、何もかも人間ありきで、人間単位で考えているようだから、人間の常識力が高くなるんじゃないかしら。

常識といえば。
女性は地図が読めない、とか、男性は外国語が苦手だ、とかいうが、これはたぶん正確ではない。
女性は地図が読めないのではなくて、たぶん自然環境や居住空間などが地図に記号化されているのが嫌なんじゃないかな、と察する。
その証拠に、地図がなくても皆でわさわさと群れて移動しながらちゃんと目的に到着してしまう。
いくら適当な嘘を教えても、どういうわけかちゃんと束になってやってきやがる。

(一方で男性は外国語が苦手なのではなくて、知識を詰め込むのはきっと女性よりも得意だが、自分の納得出来ないことや関心の無いことを読んだり語ったりするのが苦痛でたまらないから、出来るだけ黙っているのに過ぎない。)
    
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(2) しかし。
放っておけばよい、では済まされない時代がじきに到来するのではないか、と男性として心配もしている。
女性たちによる世界侵略が、徐々にではあるが確実に進行しているのではなかろうか。

既にその予兆が多く顕在化している。
たとえば、予備校や健康サークルや家電量販店や旅行代理店はじめ、サービス産業の多くは、女性のクチコミというものを極めて重視している。
それは、クチコミは必ず正しいと女たちが信じていて、だから本当にクチコミが正論になり、それでいよいよ女性客が増えるからなんだね。
そういう女たちの相乗効果を大いに期待して、広告が女性客向けのものになったり、○○ネットみたいに女性向けに耳障りの良いトーンで「これらぜんぶあわせて、なんと2万円ですよ!みなさん!」などと喋ってみたり。
それどころか、営業そのものも女性に任せるのがよい、ということになる。
いつかも書いた記憶があるが ─ (特定の技術製品や危険物は別として)、汎用品でかつ数の勝負が問われる製品やサービスは、絶対に女性が営業したほうが良い。
そういう量販型の製品やサービスは、女性が女性と価格交渉や納期交渉をした方が、早く一気にまとまるに決まっている。

じじつ、そういう産業が時代をおうごとに増えているんでしょう?
サービス産業が増えていき、消費がGDPを占めていくという現代の一連の経済ダイナミズムは、みんな女性向けのシフトなのではないか?

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(3) …という圧倒的な奔流について、大半の企業もとっくに気づいているから、女子採用はどんどん増えているだろうし、これからも女子の消費購買層の拡大とともに女性中心で運用されるサービス業が増える。
そりゃ確かに、雇用機会「均等」の見せかけ上、採用条件で「女性のみ可」などと記せないもんだから、しぶしぶ男子も募集しているが、男子の応募書類などは人事勤労部門が予算消化のために仕方なく右から左に転がしているんでしょうよ。
で、いやいやながら男子の応募者とも面接なんかしちゃって、終わったらとっととシュレッダー行きじゃないかな、と睨んでいる 。

もちろん、この傾向がずっと続けば、とりわけサービス業などはおそらく大半が女性従業員だらけになるし、そうなると企業の法務も総務も人事勤労も女たちに乗っ取られるから、労働協約も服務規程も女性向けにどかどかっと改編されるだろう。
そして…いずれは政府も裁判所も女たちにジャックされ、労働基準法そのものの大胆な改編にもつながろうか、と想像したりする。
そうなると生理休暇どころか数年に亘る育児休暇取得も当然のごとくで、かつ女性の方が高給取りになっていたりして。
そこで、男性がそーっと小声で非難でもしようものなら、女たちがガーガーと何十人も束になって、「何言ってんのよ!彼女が居ない間あんたが徹夜して頑張ればいいじゃないのッ!男だったらそのくらいしなさいよッ!」 などと吊るし上げのリンチ状態か。
これは考えるだけでもうんざりする情景だぞ。

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(4) どうしてほとんど議論されないのかしらないが、(おそらく男たちが必死になって隠しているのだろうが)、未来予測の最大のポイントは、女性たちが需要面も供給面も牛耳ってしまう恐怖の世界の実現にあろう。
文字通り、世界的に経済成長(=規模の増大と機会の拡大と対人品質の向上)に従い、こういう展開が予想される。
そうなると、「外国の女性はもっと男性に尽くしているよ、黙って低賃金労働に耐え忍んでいるよ」 などと言い返すことも出来なくなる。 
ああ ─ どうしてこんなことになったのだろうか。
やっぱり女に参政権を与えたり、大学に入れたり、雇用機会均等法などを通したりしたのが間違いだったのではないか。

それでも。
男性のように、「本当にこれで、正しいのだろうか」 「俺はこんなことで、よいのだろうか」などとひとりひとりが真摯に自問自答してくれれば、まだ女たちに「懐柔」や「買収」を仕掛ける余地もあろう。
しかし女たちには 「本当に」 も 「よいのだろうか」 もへったくれもないわけで、とにかくワーワーと多勢にものを言わせてなんでも通すだろうから、騙しようがない。    

古来、フランス革命や米騒動などのように女たちがワーワーと暴れて、男性の美しき秩序を破壊してしまった例は多いという。
数十年前のアメリカ大リーグでも、労働者の女性たちを無料で観戦に招待してやったら、ワーワーとものすごく集まってきて、もう試合展開などいっさい無視、ファンの選手にひっきりなしに嬌声をあげたり、ものを投げ込んだり、椅子を壊したり、挙句に集団ヒステリーを起こして球場を燃やしたり 
─ という戦慄の記録が残っており、だから女性感謝デーのようなものはスポーツではタブーになっている。 
してみると、中国の女性の纏足というのは実は偉大な叡智であったのかもしれない。
そういうこと分かっていて、20世紀後半になってから女たちを野放しにしてきたのはどういうわけであろうか?
もう、手遅れなのであろうか?


以上

 

2012/12/02

生物科のヒント? ─ 海を渡る鷹


たまたま、放送大学講座をテレビで眺めていた。
放送大学の講座の大半は、放送時間枠の都合からか、あくまで一般教養のレベルで既存の学術のフォーマットを概説するに留まり、さほどアカデミックな分析も飛躍もなされぬため概して退屈。
が、中には想像力を存分に刺激してくれるものもある。
そのひとつが、鷹の飛行ルートの研究についての講座。 

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そもそも渡り鳥は、鷹のような大型の猛禽類もふくめて、驚くほどの距離を飛行し(数万キロにも及ぶ)、しかも季節に応じて一定のルートで往復している。
この飛行ルートを研究している分野があり、実践的なスタディが進んでいるという。
さて、ここで、ある鷹に「電子タグ」をつけて、人工衛星経由でその飛行ルートを追跡してみる。
いやぁ、この追跡データは本当に面白い、下手なゲームよりもよっぽど面白い鷹のグレートジャーニーである。

ハチなどを捕食するこの鷹は、飛騨山中から西へ、西へと数日かけて徐々に移動し、やがて九州最西端に到着する。
そして、どういうわけか?この鷹は東シナ海をノンストップで一気に飛行して横切り、中国に入るとまた数日かけて徐々に、徐々にと陸伝い、そうやってミャンマーに入る。
そこでまたまたどうしたわけか、1ヵ月以上そこで滞留しほとんど移動しないらしい。
それでもやがて、鷹は何かを思い立ったのか、タイ、マレーシアと半島伝いに数日かけて南下し、インドネシアまで到達する。

さて、季節が変わる。
この鷹は今度は逆ルートで帰ってくるのだが、(いや、帰ってくるというよりむしろ日本にやってくる、というべきかもしれないが)、このリターンジャーニーのさいにはまた陸地を数日かけて徐々に飛行し、なんとこんどは朝鮮半島北部まで辿りつく。
そこから、また海をノンストップで渡り、九州西端を経て飛騨山中まで飛んでくる。 

もちろん、ここで最大の「謎」は、東シナ海のノンストップの飛行である。
餌場の無い海の上を、いったい何故に超えていくのかということ。

たかが鷹に、どうしてそこまで拘るのか、と思われるかもしれない。
しかし、何しろ人間をはるか超越したその行動距離、その特定の行動パターンであって、これに着目しないほうがどうかしている。
だったら他の渡り鳥でもいいじゃないか、と言われるかもしれないが、でもとりわけ鷹に注目したくなる理由は、鷹が鳥類の中でも図抜けて能力が高い(つまい賢くて強い)から、かつ、群れではなくたった一羽だけでも飛んでいくからである。

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で、ここからが科学的な?想像力の出番である。
いや、むしろ科学というものは実は想像力と実証の連続であろう ─ かもしれないが、科学的な素養などほとんど無い僕であるから、ここでは好き勝手な想像力だけを発揮して記しておく(笑)
ゆえに、この想像力が科学的な触発たりうるかどうかは判らない。
ともあれ、想像力を刺激する疑問点を収斂すると; 

(1) 鷹は何を認識しながら長距離を飛行するのか
(2) 鷹は何を遺伝的に記憶し、それは何を意味しているのか
(3) なぜ、強い個体なのに遠距離を移動する必要があるのか


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(1)については、鷹の体内に磁場のセンサーがあって、きっと太陽や星座の位置を把握し、それで方位が判るのでしょう、とか。
まあいろいろ仮説ないし実証はあるようだが、それは方位認識の説明ではあっても、「なぜわざわざ海を超えて飛行するのか」についての説明にはなっていない。
ハチを捕食する鷹が、なぜ?海を超えて?
なんというか、人間には客観的に捕捉しにくい要素、たとえば餌のハチの微妙なにおい、周波数、などなどを、鷹ははるか海の向こう数百キロ以上も離れて感受し、それで一気に海を超えていくのかな、とも想像可能。
いや、遠距離を直接ではなくとも、他の生物種から間接的にハチの状況を感受していることも想像してみたくなる。
しかし、基本的に一羽だけで行動する鷹が、他の個体や他種の生物からどれだけ影響を受けるのか?
   
なるほど、たかが野良猫でさえも、時間感覚や嗅覚においては人間をはるかに凌ぐ。
ミャオーゥしか喋れないくせに一丁前に縄張りがあって迷子にはならないし、メシの時間を覚えているし、「やさしいお姉さん」と「いやなやつ」の区別が出来ている。
まあ、人間には判らないが、動物は独特の電磁波(脳波も含めて)などを感受しているのは確かなようで。
鷹ほどの生物ともなれば、 気候や気温や磁場に影響されているのかもわからないし、CO2の微妙な濃度差を感受しているのかもしれないし、太陽の黒点の位置などに関係しているのかもしれない。
しかし、だ。
それにしても、一体何故この鷹はインドネシアから更にオーストラリアやインド方面までは飛んでいかないのか。
ヒマラヤ山脈などが、捕食するハチの種の断層となっているのだろうか。
と、なると、むしろハチや他の昆虫種の分布を分析したらどうなるか、と想像力はさらに飛躍する。 


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…という具合に、(1)について実証もなしに本投稿は次に進めちゃうわけだが、ともかく(2)については、もっと多元的に想像力を触発される。 
なにしろ鳥類は恐竜の生き残りだとされるほどの、古いふるい種族なのである。
その「古さ」に着目する。
すると、たとえば日本と大陸がまだ地続きだったころに餌を求めて飛行したその記憶が、この鷹の遺伝子に残っているんじゃないか、と想像が出来る。

いわば、飛ぶ化石のごとし、否、化石どころではない、現に今も生きているんだからね。
事実、化石は放射性同位体の半減期の電子数変化から?その年代記を推定しているらしいが、実際にこの鷹の遺伝子に基づく行動を精密に峻別し、分析し、そこからかつての在り様を逆算出来たらどうなるか。
能ある鷹は爪を隠す、というが、爪や嘴や眼や羽毛が古代から現代までの多くを語ってくれそうな気がする。
そうなると、もう化石の年代記どころではない。

むしろ地球史の宅急便というべきか。
この鷹がはるか遠い祖先から受け継いだ遺伝的な長距離飛行パターンによって、はるか太古の地表の条件、大陸の分布、CO2の量、植生や昆虫の分布や、気候変動の実相や地磁気の変化すらも分かる、かもしれない。
と、いうことは。
これからの地球がどうなるか、磁場がどうなるか、環境や気候がどうなるか、それら将来像もあわせて判るかもしれない、ってことじゃないか。

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…と、ここまでは何だか当たり前っちゃあ当たり前のことばかり書いていて、大した想像力も動員していないのが申し訳ない。
だが (3)についての疑問も、やっぱりありきたりの疑問でまとめてしまうところが、素人というか門外漢の限界なのであって、まあ許して下さいな。

とりあえず、鷹の鷹たるゆえんは、おのおのの個体がとにかく強いので、群れる必要がない、というところ。
であれば、長距離を移動する必要もない、と、とりあえず考えてしまう。 
また、群れないから他の個体と共鳴しあったりする機会も少なく、だからリョコウバトのように群れて長距離を飛んでいくことはないのだろうな、とも思い当たる。

ここですぐに連想してしまうが、人類の祖先であったネアンデルタール人は個体としての腕力があまりに強かったので群れることがほとんど無く、それで環境変化に対応するだけの知性を醸成出来なかった、という。
と、なると。
群れない強者というのは進化における発展形なのか、それとも退化のステージにあるというべきなのか、むしろ判らなくなってくる。
また、強者はすぐに地元のボスに居座れるから、なおさらのこと、遠距離を移動する必要などなかろう、とも考えられる。
が ─ 或いは強いからこそグルメであって、だから海を超えてまで美味しいハチを捕食しに出かけるということはないのだろうか?  
さらに。
鷹は群れない、という観察にしても根本的に間違いで、実は鷹同士の地球規模のチームやネットワークがあるのだが、それがあまりにも広域過ぎるので我々にわからないのかもしれないぞ。 

鷹が適者生存によって、その個体の在り様を太古から変えてないとするのなら、上の(2)も大いにスタディの意味があろうけどね。
でも、もし逆に適者生存ゆえにその行動や姿形を著しく変容させてきたのであれば、鷹といえども所詮は自然界の気まぐれの落とし子でしかなかったということか?
そして絶滅から逃れるために、必死になって試行錯誤を繰り返し、その結果として東シナ海を渡ってまで餌場を探し当てた、と?
そうであれば、鷹の遺伝子は古代の地球史をほとんど何も引き継いでいないことになり、(2)についての検証の優先度は低くなってしまう。

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と、いうわけで、興味関心のある人は(1)、(2)、(3)などなど、いろんな観点尺度にのっとって、どんどんスタディしてみては如何?
僕はいろいろ想像空想してみたので、もう満足です、あとは知りません。
 

以上

2012/11/23

絶対善と部分悪

とりたてて傑出した知性も、資産も、道徳も無い、そういうささやかな環境条件下でずっと生きてきた僕のような俗人。
消費生活と納税のための人生、まあ、ときどき代議士に意思決定を委任するくらいがせいぜいのところ。 
何かを根底から組み直す知性も無い。
社会関係を一意に組み変えるほどの巨大な資産もあろうはずがない。

…などと考えて、あーあと無気力に陥ることもあるのが多くの社会人だが…いや、それでも前世代から受け継いだ道徳があるじゃないか、という。

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そこで道徳とは何だろうかとあらためて考えてみると、それは(あくまで事業に譬えれば)受給双方の合意に基づいた上での売上の拡大を図ることではないか、と思う。
合意に則った売上の拡大は、供給者にとっても受益者にとっても、「絶対善」。
みなの売上拡大によって、みなの需給一致の商材の絶対量を増やし、受給双方の機会を増やし、みなの知性と技量を充足させる
─ つまり、投資・機会の拡大こそ、どこまでも善であって、いつまでも善であり、いちいち議論討論せずとも善である。
もちろん、どんな商材であろうとサービスであろうと、カネが介在しようとしまいと、善はありうる。

一方、利益追求となると話は別である。
利益追求のためには、売上拡大のみならず、供給技術や人間を生産性の名のもとにカネに換算しなければならないし、商材在庫や設備や人間の削減を大前提としなければならないし、一方では顧客を口先半分で黙らせることだって必要となる。
と、なると、皆に公開されるとは限らないし、合意されるとも限らない。
ゆえに、「部分的に悪に陥る可能性」だってどうしても生じる。

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どんな商材でもどんな事業でも、売上拡大による「善」はひとつの絶対で理想目標だが、その実現過程における利益追求過程では多かれ少なかれ、大小の「部分悪」の選択がありうる。
と、言うと、そんなの売上があっての利益実現か、利益追求に励んでこその売り上げか、ということだろう、結局は堂々巡りの議論じゃないか…
…と反論されるかもしれないが、僕は堂々巡りではないと考えている。 
「部分悪」の反対はまた別の利益捻出の「部分悪」の選択に留まり、「部分悪」ばかりいくら束ねても「絶対善」には到らない。

いやいや、デフレで市場縮小が続いているんだから、利益最優先でもしょうがないだろう。
…と言われるかもしれないが、むしろ、デフレだからこそみなが投資機会と市場規模を拡大すべきであり、なんでも安いのだからそのチャンスでもある。

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経済学においては、「絶対善」の定義がない。 
なるほど、最大多数の最大幸福、などというが、そのための特定の条件定義や規制の撤廃という発想は、いわば「部分悪」の最小化の研究に過ぎない。
と思えば、悪徳こそが公益をもたらす、というパラドックスもあったりして紛らわしいのだが、しかしこれは、悪徳が蔓延すればその関連財の需要を喚起しひいては市場規模が拡大、というもので、そのさいの利潤追求から「絶対善」が導かれるとは云っていない。

一方、経済学では「部分悪」の定義はものすごくたくさんある。 
すぐに「希少性の競争収奪の学問だ」などと称される所以でもある。
だからどうしても dismal science (陰鬱な科学) となる。

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しかし、だからこそ経済学を勉強することは意味があると思う。
あらゆる「部分悪」を超えたあらゆる商材の売上拡大、機会拡大と市場拡大をみなが「目指す」ためである。
いわば、医学を習得するのが医学不要の自然で健康な心身を理想とする為であるに似ている。
そして経済成長の意味は、否、意義は、まさにここに在るはずだと信じてみたいのである。

(…なんて程度のことは概ねみんな分かっているからこそ、先進国は皆を大切にする国で在り続ける。)

以上


2012/11/14

被曝は健康に良い!



放射能・放射線について詳しい人々の意見を散見すれば、放射線の被曝は健康に「良い」とのこと。
そうであるのなら、みんなで被曝しに行きましょう。
被曝を勧め、率先してこそ、社会的な絶対善のはず。
さぁ、福島原発に、東北に、放射線を浴びに出かけましょう。
きれいな水や健康食品を入手することと、まったく同じ理屈。
被曝の機会増大を、政府や企業に要求しましょう。
被曝委員会、被曝予算、被曝国債、被曝環境整備、被曝インフラ。
メーカには、被曝発電機や被曝自動車を、どんどん造ってもらいましょう。
当たり前でしょう!なにを躊躇しているのですか? 

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なるほど、水だって1トンも飲んだら死にますよ、だからといって水が危険ですか?
もちろんそんなことはありません。
同じ理屈で、そりゃあ放射線だって量の限度はあるでしょう、が、基本的には被曝は健康に良いのでしょう?
被曝量が多くても少なくても、人体には全く影響が無い、要するに関係がない ─ というのなら、まあ躊躇する理由も分かりますよ。
余計なコストかけて被爆しなくてもいいじゃないか、となりますからねぇ。

しかし。
①被曝が健康に良いのか
②人体にはまったく無関係なのか
③まさか健康に悪いのか
この3つの条件を、ちゃんと定量的な要件に基づいて切りわけていますか?
もう事故から1年半以上もゆうに経過しているのですよ。
実証データがまとまるまでに15年だか、30年だか、いや100年だか、まあかなりの期間がかかってしまうので、それまでは①も②も③もはっきり断言出来ないと。
─ だから、慎重を期して今のところは黙っているのですか?  
だったら、どうして被曝が健康に良いなどとぬか喜びさせるようなこと言うのですか?

自称・理科系の先生方、なにやってんですか?
まさか ─ 自分たちには①②③の判断基準が無いから、アメリカやドイツのちゃんとした科学者の皆さまの見解に従うだけだ、とか?
そのつもりなら、そうだってハッキリ言いなさいよ。
まだ可愛気げがあるし、国民も曖昧な意見に困惑させられずに済みます。

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ともあれ。
被曝は健康に良い、という積極的な意見が存在することは間違いありません。
それが正しい以上は、 高校生や中学生の修学旅行は、被曝ツアー、これしかないでしょう。
ああ、そうだ、いつも多大なお世話になっている米軍の皆さまにも、是非とも被曝して頂きましょう。
Yes, you can !

そういえば、以前からずっと疑問なのですが、昨年の福島原発の事故について学生たちに聞くとことでは、学校の社会科の授業でほとんど触れていないそうですねぇ。
それどころか、東京電力の名前が授業ではまったく挙がらないようです。
かつての公害病の事例については、三井金属とかチッソという名前を公然と挙げて教室で説いているのに、どういうわけでしょうね。
だってね、今回の福島原発事故は、みなが被曝する大きなチャンスをもたらしてくれたわけで、だから事故などというのも失礼だし、東京電力は実に素晴らしい実績を上げてくれたことになるのですよ。
ならば学校の授業では、率先して東京電力の栄誉を讃えるのが当たり前でしょう。 
自称・教師の皆さんは、何をやってんですか?

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 一方で。
被曝が健康に良い以上は、「被曝を危険だ」 などと不安を煽る人は経済の自由どころか公共の福祉にすら反していることになります。
そういう個人も法人も官公庁も大学も議員も政党も、みんな日本国憲法に違反していますので、どんどん告訴しましょう。
もちろん、こういう見解に同調して遠隔地に避難している人たちも同罪であることは言うまでもありません。


以上


2012/11/01

スコットランドのささやかな思い出

※「偶然」と「必然」について、分かりにくいという指摘を頂いたので、これらを個別観念ではなく物事の「捉え方;偶然としての個別事象か連続としての必然経緯か」と再定義し、少しだけ書き換えました。
 

およそ若い時分というのは、偶然と必然の区別が無い ─ というか、起こることや見聞きすることの全てが自己の 「偶然」 。
それらを極めて短期的に宿命とか誠意などといって自己をストイックに縛り付けるくせに、それでもちょっとしたことにいちいち手放しで喜んだり、と思えば今度は憤激したり、つまらないと分かっていてもどっぷり浸かり、ああこれがつまらないということなのか、なるほどなるほど、またひとつ利口になった、などと。
僕ももちろんそう(だった)。
すべては、どれもこれもが偶発的なぶっつけ本番にしか映らず、その長いながい必然的な連続プロセスとしては捉えようとしないのだから ─ なんと、実直な…。

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パースは、スコットランドの中世に繁栄した旧き首都であり、エディンバラから列車でさらに2時間ほど北上したところにある田舎街。
なぜ、どういう理由から思い立ったのか、もうさっぱりおぼえていないが、ともかくまだ大学3年生だった僕が駅からパースの市街地に降り立ったその朝は初春のうすら寒さ、確かどんよりと曇った日だったと記憶している。

ふらりと遺跡など探索しかけて、僕は 「キンヌールの丘」 のたもとに辿りついた。
川が大きくゆったりと流れていた。
その川辺に、初老の紳士、S氏が偶々散歩していた。
紳士、とはいっても、質素な濃紺の毛編みのカーディガンをさりげなく着こなし、何か饅頭(ハギスだとか称するもの)をかじりながら、そぞろ歩きの風であった。
僕はちょうどその時、腹が減っていて ─ 朝からろくなものを食べてなかった ─ だからその饅頭をひとつ1ポンドで2つくらい売ってくださいなどと申し出た記憶がある。
「美味くないぞ、こんなもの」
S氏が目を細めながら答えた。
そんなところから会話が始まり、 タダで譲ってもらった饅頭はなるほどお好み焼きとブタまんの混ぜこぜのようで美味くもなんともなかったが、ともかくも僕は軽く挨拶し日本から来た学生なのだと自己紹介した。
そうだろう日本だろう、俺には分かるんだ、君みたいな正直なやつは日本人だろうさ…などとS氏はだんだん相好を崩し、いやぁよく来たね、ここはいいところだぞ、本当のブリテンのハートへようこそ、などと語り始めた。
さらに曰く、彼は電気技師で、セールスの取りまとめの仕事もしている由であった。

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しばらく川辺でS氏と話しているうちに、彼がサッと腕を挙げて、「おい、このキンヌールの丘にのぼってみようぜ、いい景色だぞ」 と言い出し、僕が快諾するや否や彼はびっくりするほどのスピードでダーーッッと丘を駆け上がりはじめた。
とっさに、僕もすぐあとから追いかけた。
ほんの1分くらい駈けあがっただろうか、彼が振り返りながら 「君、疲れてないかね?」
「全然、平気です」 僕は少しムッとしつつ、悔し紛れに答えた。
「それなら結構」 と言い放つと、さらに彼はまたどんどん駆け上っていった。
いやもう、彼の健脚ぶりのすごいのなんの。
僕も体力には人並以上の自信はあったのだが、ハァハァと息せき切りながら追いかけていくのが精一杯で、まあそんなふうに走って、ちょっと休んで、また走って、休んでを繰り返しつつも、ようやっと丘の上に辿りついたのだった。
そこから川をあらためて見下ろすと、大きくうねりながらゆっくりと流れていたのがあらためて分かった。
「絶景だろう」 S氏が静かに言った 「俺は休日はいつも、ここへ来るんだ」
「そうですね」 肩でフゥフゥと息をしながら僕は相槌をうった。

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丘を降りると(そのときもまたS氏は駆けていったのだが)、S氏は川辺の停めてあった自分の車の前で立ち止まり、さぁ市内を案内してやろうと申し出てくれた。
いやぁ、そりゃいくらなんでも通りすがりの旅行者の分財で甘え過ぎか…ちらっと逡巡したが、でもその日は休日で、それに、俺はマネージャだから仕事しなくてもいいんだよ、さあ乗った、乗ったなどと催促されたので、好意に応じることにした。

それは業務車両で、予想通り少し乱暴にブワンと発進した。
「ここは、そもそもどういう街なのですか?」 少しがたがたと揺られる車上車上で、僕は尋ねた。
「かつてイングランドと戦った偉大な街だ」 S氏が答えた。
「でも、スコットランドの首都はエディンバラですよね?」
「エディンバラはスコットランドではない!」 S氏が敢えておどけたような大声をあげたので、僕はちょっとびっくりした。
「エディンバラはイングランドだ。あそこにはハートが無い。ビジネスだけだ」
「でも、イングランドとのビジネスがあるからスコットランドだって得があるわけでしょう?」と僕は続けて尋ねた。
「ちょっと違うな、スコットランドはビジネスでいつもイングランドのために犠牲になってきたんだ」
「どういう意味ですか?」
車は次第に街中に入っていった。
「いいか、君ね、俺のような普通(decent)の国民のいうことをよく聞くんだ」 S氏は少し声色を落とした 「スコットランドはね、日照時間がイングランドよりも短いんだぞ」
「はぁ」
「イングランドに合わせて生活させられるのは、不利なんだ、朝早く起きなければならないし、法律もイングランドに従わされるし、それに若いやつらがどんどんイングランドに流れていく」
そうすると、、どういうことになるのか、僕にはどうにも具体的なイメージが湧かず、だから黙っていた。

S氏はハンドルを握り、前方を見据えたまま、それでも妙に陽気な声で語り続けた。
「犠牲にされてきたのはビジネスだけじゃないぞ。かつてグレートブリテン帝国を軍事的に支えたのは俺たちの祖先の血だ、イングランドの奴らじゃないんだ。だから我々スコティッシュがイングランドから独立してもいいんだ、そうだろ?俺たちはスコティッシュのためのビジネスをすべきなんだ」
「それで互いに競い合うわけですね?」 と僕が尋ねた。
「互いが育つためならば、だがね」
僕はそのうちに、話しかける内容が無くなり、ほとんど黙ったままで車中からずっと街を眺め続けた。 
S氏もそこのところちゃんと斟酌してくれたのか、「どんどん本を読め、話題が増えるぞ」 などと静かに、かつ、半ばからかうように声をかけてくれたのだった。
車は質素なオフィス街や、カトリックの聖堂や学校や庭園などをすーーっと通りぬけて行った。

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「ヘイ、ジョー!」 信号待ちで停車中に、S氏がいきなり車外に向かって大声を挙げた 「万事、うまくいってるか?!」
「アーイ!」 なんだか妙なアクセントで、路上のその若い男が叫び返した。
さらに、パッチしたとかロードしたとか、なんだかそんなようなことを言いながら大声でこちらに手を振り返していた。
「あいつは、優秀なやつなんだ、大切なやつなんだよ」 S氏がつぶやくように言った 「何をやらせても、ちゃんと仕上げる、それに若い、そして今日も働いている」

いつの間にか正午を回っていた。
S氏が、昼食を一緒にどうかと声をかけてくれた。
「この街にはあまり美味いランチはないけどな、でも、腹一杯食えるぞ」
いや、もう結構です、午後に移動先がありますから、と僕は適当な嘘をついて丁重に断った。 
別れ際にS氏は、パースの駅前で僕を車から降ろし、「そこの土産物店で枕を買っていけ、良い香りのハーブの枕だ、熟睡出来るぞ、お母さんにいいお土産になる」 と言い残して去っていった。

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それから、数か月のち。
僕は日本の某電気メーカに就職が決まり、ああそうだ電気関係といえば、と、このS氏のことを思い出し、それで自分の次第について略記した手紙をしたためてS氏に郵送したのだった。

しばらくしてから返信が届いたが、それは意外なことにS氏自身からではなく、奥様からのものだった。
その手紙に曰く。
夫は電気関係の事業がだんだん低調になり、近頃は体調を崩して家に籠りがち、だから夫に代わって私があなたの将来を祝福します、日本の人たちはとても優秀だと聞いています、これからのあなたの成功を祈ります…などと優しくまとめられた内容のものであった。

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この手紙を受け取ってから。
僕はS氏のことを回想するたびに、どうまとめたらいいか分からぬまま、考え込んでしまうことがある。
この一連の顛末の意味は、いったい、なんだろう?
どうしでも分からず仕舞いで今に至るのではあるが。
しかし、ささやかな教訓くらいは、鈍感な僕でもそれなりに得たつもりではある。

すなわち。
自身にとっての個々のあらゆる「偶然」は、どこかで誰かに分かち頂いたもの。
どこかで誰かに譲り受けたもの。
そんな一つひとつの瞬時瞬時の「偶然」すらも、十や二十の「必然」プロセスに束ねて両替し、清算に充ててしまうことが…それがもしも現代の大人になるってことだとしたら。
それはけっして楽しいことでもなく、格好の良いことでもなく、ましてや ─ 哀しいことですらもない。
日々の多くを、ほとんどを、相対化して理屈もつけて、しばし道義の観念も生活信条も職業までも変えながら。
それでも、否、それでこそ本当はいつまでも返済出来ない、ひとつひとつは借りっぱなしの偶然の堆積として、今現在までの僕がここに在る。

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キンヌールの丘を駈け上り、駈け下りたあの胸一杯の真っ白な冷気、わが身をめぐった血潮のいぶき。
いまも、あの丘は。
遥か北の一画において、雲の合間のまっすぐな日射しを受けなだらかに立ち、裾野をゆるやかに曲がりくねる静かな川を黙ってたたえ、南に遠くイングランドを、さらには遥か世界を臨みつつ。
小さな刹那の真っ赤な必然を、無償だからこそ返済し得ない気高きさだめを、過去から未来へと交錯させ続けているのだろうか。

スコットランドは社会人になったのちも何度か訪れたが、パースには行かず仕舞いである。



以上

林檎

しばらく前のことだが、ボディガードを務めたことがある。
ボディガードといっても、むろん要人や大物などではなくて、或る一人の女子高生を警護する仕事であった。
いやいや、まだ大げさに過ぎるから、もっと簡単に記せば。
もともとは家庭教師として派遣採用されたのだが、その娘が大層利発であったので、学業の支援はほんの数回で不要となったのであった。
だが ─ それではさようなら、とはならなかったのである。
その娘は週に二度、或る種のアクション系のモデル事務所に通っており、帰宅時間がかなり遅くなるので、出来たら連れ添ってやってもらえませんか、ときた。
ならば、そういうところから送迎が手配されてもよさそうなものだが、いやそこまで先方に頼ってしまうほどのものでもないとか、さらに、たまたまお父様が長期不在で、かつお母様は自動車の運転が出来ないとか。
まあ、そんなこんなと、いろいろご家庭なりに勘案されて。
それで、その娘のモデル事務所からの帰宅時間がたまたま僕と都合があうということで、身辺護衛を承ることとなった次第。

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僕自身としても別件勤務の帰宅途中ゆえ、自動車で送迎するわけにはいかなかった。
そこでちょっと考えた末、常時30m程度の間隔をおいて、この娘のうしろから僕がそっとついていく形態をとることになった。
なにしろこの娘は高校の制服を着用しているのだから、夜道を連れ添って歩くわけにもいかない。
地下鉄でも、隣の車両に乗って、さりげなく見守る。

一方で、この娘は最初のうちは 「あの人がついてくるのは、いやだぁ」 などと不平不満をぶつくさと母親に漏らしていたようで。
それが、一月もすると、次第に懐いてくるのであった。

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たとえば、駅前の繁華街で。
この娘は前方を静かにてくてくと歩いているかと思うと、ぴたっ、と雑踏の中で立ち止まって、こちらを振り返り、僕を待つようになったり。
そうなるとこっちが困ってしまって、「おい、立ち止まるな、先に行け、夜に一緒に歩いているとヘンだと思われるだろう、それでもいいのか?」 と諭してやったりする。
「ヘンじゃないよ」 とその娘が笑いながら答える 「距離をおいてついてくる山本さんの方が、ずっとヘン」
「だけど、友達にみられたら、おかしいだろう、あ、そうだ先生に見つかったらもっとおかしいぞ」
「山本さんは別におかしくないから平気」
「とにかく君は制服なんだから、先にいけ」
「ふーん…あたしがイヤなんだ」
なんとでも言えと、さらに諭しながら、先行を促すのであった。

================================

まあそこは学生ならではの楽しさか、あるいは女子特有の人恋しさか。
曲がり角などでささっと待ち伏せ、突然ヒュッと出てきて、「タァーーッ」と小さな拳を僕の胸にぶつけてきたり。
「うわっ、なーに、やってんだ、もう!」 パシっとさばきつつ、僕は呆れた声をあげる。

「ねえ山本さん、一緒にスパゲティを食べにいこうよ」
「いやだよ、スパゲティは嫌いだ」
「じゃあ、おうどん」
「うどんは一人で食うもんだよ」
「じゃあ、ミスド」
「なあ、君ね、頼むからさっさと先に行ってくれないかな」
「じゃあゲーセンに行く」
「ぜったいに、ダメだ!…ああ、もうお母さんに言っちゃおぅ、やっぱり僕には務まりません、ってね」
すると彼女は、フゥ、などとため息をついて、仕方なくテクテクと歩いていくのだった。
自宅に通じる坂道で、確かに帰宅するところまで見届けて、それでその夜の務めがおわり。

=================================


まあ、やはり路上でおかしな態度ばかりとっているわけにもいかず、レストランに一緒に入ったりしたことは白状する。
「ねえ、あたしとデートしてうれしい?」
「べつに」
「ふーん……ねえ、夜食って太るのかなあ?」
「たぶんね」
「でも、走ったりしているから、大丈夫だと思うけどなー」
「だろうね」
「あとね、水泳もしてるんだよ、あんまり速くないけど」
「ほぅほぅ」
「山本さんも食べなよ、これおいしいよ?」
「いらない」
「フン……つまらないんだったら、もうやめればいいのに」
「そうだな」
「ママからいくら貰ってるの?」
「さあね」

====================================

まあ、そんなふうにか月あまり続いた、ある夕暮れ時のこと。
その日の僕はたまたま仕事が無かったので、ふらっと散歩がてらに途中下車して、この娘の家に続くその坂道まで差し掛かった。
秋の陽はつるべ落とし、とはよく言ったもので、晩秋の夕刻はあっという間に日没となった。
そのオレンジ色の闇に包まれた坂道を。
前方から一台の自動車のヘッドライトがきらり、まっすぐに向かって来ると、彼女の家の前に停まった。
とっさに僕は足を止め、すっと脇道に姿を隠した。
ああ、そうか、そうなのか。
その車から降り立って玄関に向かったのは ─ 初めて確認する、しかし横顔や身のこなしからして直観的に見紛おうはずもない、彼女の父親であった。
すぐに彼女と母親を連れて出てくると、みなで車に乗り込み、それから坂の向こう側に走り去って行った。
そうか、お父様が帰ってらしたんだな。
ならば俺の仕事もおしまいかもしれないなぁ、と、まあそんなことを考えつつ、僕もきびすを返すともと来た道を帰って来たのだった。

=================================

二日後、母親から電話がかかってきて、サンフランシスコに移り住むことになりました、これまでお世話になりました、娘も向こうで進学することになりましたなどなどと伺ったわけで。
ああ、そうですか。
それで、どうなったかは分からない。
あえて訊こうとも思わなかった。
以来、数年が経つ。
もしもあの娘がここに今こうして記している僕に気づいたとしても ─ まあそんなことは無さそうだけれども ─ 黙ってどんどん歩いて行くんじゃないのかな、むしろそうあって欲しいものだなあと日に日に感慨だけは増してくるのが我ながら不思議である。

それでも時々、夜道の曲がり角などで、制服姿のあの娘が突然ワッと出てくる気がして妙にムズムズしたりするわけで。
おかしなルールのゲームは、おかしな余韻を残すものなのだなあ、人の世は理屈よりもプロセスこそが楽しいもの、とまとめておくしかなかろう。 以上

2012/10/25

男子は殴ってやればよい (アハハハ)

① 男子たるもの、一度や二度くらいは思いっきり痛い目に合った方がよい、と思っている。
理由は、在る程度の緊張感、恐怖心、スリルがあってこその、男の生き甲斐だからである。
サァ、これから思いきりブン殴ってやる!
気絶するかもしれないし、入院するかもしれん、でも、怨むなよ、みんなこうやって一人前になったんだぞ…
うーむ、いい世界観だ。
そんなの日本の悪しき封建主義だ ─ なんていう、その感覚がそもそも馬鹿、というか、古い、というか、非合理的。
だってさぁ、欧米なんか、みんな伝統的に滅私奉公の封建主義、メッチャクチャな軍国主義と自己犠牲の根性、よくも悪くもそれで世界を動かしてきた。
今だって、そうだろう…だから欧米諸国にはちゃんと軍隊がある。
むしろ、日本の方がすぐに甘ったれて、軟弱になる、と思われる (アジアはのどかなんだよな、もともと。)


もちろん、いつも目下のやつらを殴ってりゃ、そのうちに報復だってあるだろう。
そこに、スリルが有るってんだよ。
たまには、目上のやつを逆にブッ飛ばしてやりゃあいいのね。
相撲をみてみろ、ボクシングをみてみろ。
格下のやつが、格上のやつを容赦なく張り倒してんだろう?
そういう下剋上が許されてこそ、男はいつも緊張感を維持出来る。
そして、それが分かっているからこそ、観客はみなが座布団投げて拍手喝采だ。
今も昔も、変わりなく。
儒教なんか入り込む余地はねぇんだ。
だから日本人のテイストに合っているのかもしれぬ。
それを、どうして否定するのかなぁ?


② 暴力は、集団化し、暴徒化につながるから、よろしくない。
…という意見もあるのは百も承知。
でもね、自分を思いきりブン殴ったりネジ上げたりした奴をね、集団で報復しても面白くないのよ。
親なんかが出てきたら、もっと面白くないに決まっている。
てめぇ一人でカタをつけるところに、男としての誇りがあるわけよ。
いつぞやは、随分と世話になったな、オッサン、さぁ復讐してやる、覚悟しろ!って。

実は、男子はもともと矛盾しているのである。
矛盾しているがゆえに、男らしいといってもいい。
それはどういうことか、といえば ─
本当は男子は女子よりもずっと執念深いし、女子のようにみんな仲良し、大団円、などという世界にはなかなか到らぬもの。
得てして、負けた男は 「本当は俺が勝っていた」 などと死ぬまでウダウダと呟き続ける。
試合のルールが、間違っていたんだ、とか、本調子じゃなかった、とか、ずっとぼやき続けているものだ。
つまり…
男子は自分一人だけで決定的にカタをつけることに極めて拘ってしまうのだ。
チームなんかどうなろうが、部隊が勝とうが負けようが、本当はどうでもいいんだ。
俺さえスカッとすればそれでいいんだ。

と、まあ、どうしたってそういう手前勝手な心性からは逃れられないんだから…男子たるもの、たまには痛い目に合わせてやって、早くそういう男の流儀というかマナーを覚えるべきじゃないか。
「だからこそ」、あえて軍隊が在るのだ。
矛盾、そのもの、と言われても仕方ないのではあるが、軍隊においてこそ、一人ひとりを鍛えつつ、自尊心を活用し集結することが出来る。
もちろん、軍事やスポーツだけじゃない、どんな仕事だろうが、学術分野だろうが文化芸能だろうが、男の悦びなんて自分勝手なもんだ、と考えている。


③ そういうたった一人の、イチかバチかのスリルを知らない男というのは、そりゃあつまらんぞ。
名刺ばっかりバラ撒いてね、やたらと価格交渉や納期交渉の場面にばっかりしゃしゃり出て来てね、信頼がどうしたとか人間関係がこうしたとか、担保されるとかされぬとか、もうもう、実体はなにも分からないくせに半身で事情通ばかり気取ってね。これは、もう…主観的にも客観的にも実存的にも、本当につまらない。
実際、そういう連中は、ほんと、傍からみてもつまらなそーーーな顔してるでしょ?
これではモラルが低下するのも当たり前。
女のモラルはたぶん向上も低下もしないが、男のモラルはぬるま湯では低下する。
そうならないように、時々ブッ飛ばしてやるこそが、男子の教育には絶対に必要だと思っている。

まあ、さすがにボクシングパンチなどで殴ったら大事故に至るおそれもあるから、かるーく地面に押さえつけてバタバタと暴れさせてやるくらいが丁度いいんじゃないの?

以上

2012/10/22

女子は放っておけばよい


今の仕事に移ってから暫くの間、女子学生への学科指導が本当に難しいなと実感した。 
学科指導どころか、ただのアドバイスすらそう簡単ではないということに気づいてしまった。
最近はもう慣れてしまったので、あまり驚かなくなったが…いやいや、それでもやはり時々当惑させされることがある。
それは、どういうことかと言えば。

要するに ─ 女子はちっちゃい頃から既に人生のストーリーの大筋がもう出来上がっていて、それを局面や経緯に沿って具体的に展開しているのである(あろう)。
だから、外部要因による刺激や誘導が、じつに困難。
成るようにしか、成らん。

古代、中世から近代にかけて、世界の知識や学術は、成るようにしか成らぬもの 『ナトゥーラ』 から、意図によって変え得るもの 『アルス』 へと編成が進んでいったとされる。
が、これでいけば女子はずーっと 『ナトゥーラ』 のままである。
『 ナトゥーラ』 はすなわち英語の nature であり、mother nature なのであろう、か。

よくは知らないが、(性)染色体は女性がXXの対になっており、このうちXひとつが機能しつつ、もうひとつは全細胞で不活性化しているという。
これでちゃんと生命としてまとまり、人間という種の在り様を決めているとか。
これが正しいとすれば、男性の染色体XYにおけるYはむしろ「余計」な作為を人体に課していることになるそうな。
だから男性の方が人工的で、外部刺激に感応しやすく、しかも無理を続けるから概して早く死ぬ…??


男子というのは自身のストーリーを外部刺激によってダイナミックに再改編させることが可能で、その度に新しい自己を造っていくことが出来る。
そして間違いはすぐに消し去ることも出来るわけだ。
だから 互いに触発したり説得したりといろいろ仕掛け甲斐もあるってもの。
だが、女子には何を言ってもむだむだ。
たぶん、一貫した統一モラルのようなものが頑として在るので、そこから逸脱したものにはきっと聴く耳を持たずにシャットアウトしてしまう。
いや ─ むしろ自分たちこそが世界のモラルの中軸であるかのごとし。
こっちが疲れていたりすると、「先生、頑張って下さい」などと声をかけてくる娘たち。
こういう女子の言動に接して、なんだこのやろう!と思わず怒鳴ってやりたくなったこともあった。
が、しかし彼女たちからすれば、当然の施しということになるらしい。

暫く以前に。
ある娘がなんとか志望校に進学し、それで僕が素っ気なく「あー、よかったね、うんうん」 などと応対してやったら…
この娘が非常に不機嫌になって、 「なんで喜んでくれないんですかッ!?」 と大声をあげたのにはこっちがびっくりした。
最初っから(きっとどこまでも)、皆が祝福しあう素晴らしき世界、というストーリーになっているらしい。
「わかった、わかった、頑張ったよ、うんうん」 と宥めてやったのだが、それでもしばらくの間はずっと不機嫌だった。

ことほど、左様に。
女子はいつも完結しており、完結している以上は外部要因で誘導することもきっと出来ないだろう。
否、もともと誘導などする必要がない ─ まあ敢えていえば、適宜「補正だけ」を施してやれば、あとはほっといても普通のまともな世界に導いてくれる。
そう考えれば、むしろ安心して見守っていればいいのしらん?と気楽にもなる。


ただし、重要なことを最後に付記しておく。
もしも学科指導の相手が女子生徒ばっかりだったら、さぞや、楽しいだろうな……というのは傍から眺めてのこと。
実際には、いつもこちらが娘たちから監視されているような状態。
下手なこと言おうものなら、「この先生はおかしい」 「人間味が無い」 などとヒソヒソ声がおこり、それが公倍数となってこっちを包囲しかねない。
いやぁ、このシチュエーションは本当に辛い。
(だいたい、女ばっかしのパーティとかに行くの、イヤだろ?もう死ぬほどつまんないから。)
だから、担当の生徒たちの過半が男子だと、むしろホッとするんだよね。

以上

2012/10/20

英語教育はどうあるべきか


雑記になってしまうが、以前から考えていたことを随時とりまとめて記しておくことも本ブログの目的のひとつなので、書いてみよう。

英語教育の意義について、以下に分解しつつ、箇条書き。

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① アカデミズムのための英語

まず、アカデミックな分野のどこを追求しても、必ず英語に突き当たる。
むろん英語で書かれていないアカデミズムだって世界には(日本にも)たくさん有るに決まっているが、しかし教育で ─ つまり大学受験まで、あるいは受験後 ─ 課されるアカデミックな主題は英語で記されたものがとてつもなく多い。

たとえばアカデミズムを、あえて論理学、理科、社会科、文化芸能の4つに大別してみよう。
論理学は、日本ではびっくりするほどに軽視され続けてきた分野のひとつだが、これから(必要か不要かは別にして)世界の人々と意見交換の機会が増えていくのであれば、論理的な思考力の強化はとてつもなく重要。
(いや、数学があるじゃないか、というかもしれないが、現行の数学は記号化と操作効率の技術に留まっていて、論理性の低い人でも数学だけは得意だったりするので、これは除外して考えたい。)
つぎに、理科とはあらゆる認識可能な自然科学から成り、地理も理科といえ、スポーツや軍事ももちろん含まれる。
また社会科は経済、商業会計、法律や条約や代議制などから成る。
また、文化芸能は芸術や大衆文化から成る。

これらの諸分野において、世界の標準とされているテキストを追い求めれば、文化芸能を除き、英語で記されたものが圧倒的に多い。
それどころか ─ 理科や社会科の諸分野の基本コンセプトは、日本語よりも英語で記したものの方が、ずっとずっと分かり易いが、それは理科とか社会科とかいう基幹教養そのものが主として英語で練り上げられ、完成されてきたからに他ならないのではないか。
そのうちに、世界各国の文化芸能も英語のテキストが世界標準となってしまうんじゃなかろうか。

では論理学はどうか、といえば、英語そのものが論理学と断じても差し支えが無いほどにガンジガラメ、隙間も矛盾も反駁も避けるように記し、語ることがマナーとなっており、まあこれも理科や社会科の諸分野を練り上げていく過程で英語という言語がそう進化してしまったと察する。

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② 教養メディアとしての英語

テキストだけには、留まらない。  
メディアとしての英語は、アカデミズム ─ つまり理科や社会科、あるいは文化芸能 - を普及させるための媒体としての機能がきわめて大きい。
もちろんそれは、英語が論理的にガンジガラメの文体、論旨展開であるが所以であることは言うまでもない。
たとえば、世界標準の英語メディア、つまりアメリカの The Wall Street Journal, The New York Times, Newsweek および英国の The Economist などの編集内容を鑑みれば、結果的には90%以上は理科と社会科の記事で占められている。
文化(哲学)の格調の高さが売りのアメリカ誌 TIME でさえも、過半は理科と社会科の素養に則ったコンテンツである。
だから、ガンジガラメの論旨構成で記されているのは当然であり、映像音声のABC でも BBC でも同じようなもので、理科や社会科、あるいは文化芸能の素養が有ると無いとでは理解度が全然違ってしまう。

で、思い返すのであるが。
東大・京大~早慶にいたる大学受験のスタンダードを省みれば、上記の世界標準英語を引用したものが少なからず出題されている事実に行き着く。
東京外国語大学でも、社会科の基礎教養としての英語が徹底的に問われ続けているし、論理性という英語の基本線からすれば東京芸術大学の出題であっても実に論理的に硬質である。
だから、これら大学の出題する英語では、やはり主として理科・社会科の基礎素養が問われ続けている。

(時々、実に不真面目な英語入試問題を出題する学校があって、たとえば上記メディアの英語の文字数が多いからと故意に段落を省き、時間調整=つまりは難度調整を図って出題しているわけだが、これは理科や社会科や文化芸能の基礎素養そのものを否定する暴挙ともいえ、まったく許せない。
それを嘲笑している積もりなのか、東大の英語で 「削除しても影響の無い文章を選べ」 という出題がなされているのはなかなか痛快ではある。)

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③ 事業供給者のための英語

では、上述のアカデミズムや標準メディアはそもそも何のために在り、さらには如何に活用されるべきか ─ と次に考えちゃう。
すると、どうも 「事業供給者の知力の源泉」 ともいえるのではないか、と一通りの考えにいきつく。
そもそも、いかなる分野においても、すぐれた事業供給者となるためには理科か社会科か文化芸能の原理原則を理解し、自在に応用し、製品として一般化し普遍化し、市場を拡大させなければならない。
だからこそ、英語が必要、となる。
基礎素養としての理科や社会科や文化芸能に大いに通じ、標準英語によってそれらを事業コンテンツとして過不足なく供給するための知力、それこそが英語の必然性である。
そして、それこそが事業供給者に「常に必要になる能力」…と理解したい。
考えてみれば、英語は、科学技術やビジネスや戦争などの 「供給行為」 において発展してきた言語である。
もし事業供給者の言語ではなく、消費者の言語が人類史において一番強かったのなら、中国語やヒンドゥー語や日本語が世界標準語となっていたはずだが、現在まではそうなっていない。

もちろん事業供給者の英語とはいえども、アカデミズムも標準メディアもほとんど関係の無い英語だって、在ることは在る。
たとえば、秘書英語や契約(保険)英語や店頭販売の英語やプログラミング英語など。
が、これらには、アカデミズムなど必要がない。
ひどい言い方にはなるが、理念や理解など無縁の、だから応用や一般化など考慮不要の、条件反射の実務に近い。
パラメータ変更やクライテリア定義さえ仕込めば高校生バイトでもちゃんとこなせるわけで、ゆえに学校での英語教育などまったく不要。

なんだかアグレッシヴな書き方になっているが、これは僕自身の不快な経験則による見識である。

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④ 日本における英語教育の目的、および今後の英語教育

以上に記してきたことをまとめつつ、日本における英語教育の目的、および未来像について考える。
すると;
(1) 理科や社会科や文化芸能の基礎素養強化がまずありき、ゆえに、それらのなんらかの分野において一定以上の理解習熟を果たした学生に絞り、「アカデミズムとしての英語」 および、「供給者としての英語」 教育を実施する。
そして、そういう学生は17歳くらいからアルファベットの暗記を開始させてもよい、大学入試の英文読解までに2年もあれば十分である。

(2) 大学入試では、東大や京大など教養の中心たるべき大学においてこそ、理科・社会・文化芸能など教養分野別の英語を徹底すべし。
一方、ほぼ全大学・学部で現在まで出題し続けている雑学クイズみたいな英文読解は、アカデミズムにも産業供給力にも貢献しないので、もう廃止すべきである。

(3) 英語教員も英語の授業コマも、とにかく多過ぎる、理科も社会も文化芸能も素養が無いのなら英語を説いたってしょうがないだろう…と、いうか、いったい何を説くのだろうか?
学校教員の雇用のためか、年間通じての授業カリキュラム数を稼ぐためか、つまらない官僚の天下り先確保のためか。
まあ、なんでもいいけど多過ぎるんだよ、こんな無為なことにカネ使ってるから英米から嗤われ続けるんだね。

(4) 残された問題は、「消費者のための英語」をどうするか、だが、消費者としての日本人が本当に英語が必要かどうか、甚だ疑わしい。
もちろん、立派な消費者であるわれわれ日本人のために、諸外国のやつらが頭をさげながら日本語を必死に勉強してくるからである。
それが世界というもの。


以上

2012/10/03

どうしてチャイナ?




もう10年来の疑問、社会人生活を通じて、ずーーっと理解出来ぬままの大きな問題。
いったい 「どうして、日本人に中国が絶対に必要」 なのだろうか?

これは本当につくづく異様なのだが、まあ特定の投機筋に洗脳されたのか何か知らないが、とにかく中国というと MUST だと言い切る人たちがいて、それもものすごく執拗に凝り固まっている。
なんだか、特定の世代に多いような気もするが、ともあれおかしな人たちはさておき、中国との関係は経済の(おそらく経済学の)最大の問題だと思われる。
が、あえて整理すると、以下の理解に還元されうると思う。

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① 中国はわが日本の隣国なのだから、とにかく仲良くしなければ極東地域の強化が出来ないのでは?

…そんなことはないでしょう。
だいたい、経済哲学が違い、文明哲学そのものが違うからこそ、古代から彼我の国が分かれたままなのでしょう?
それに、隣国であるという 地理的な近接性は、いまや友好関係の十分条件どころか必要条件でさえもない。
地理的な近接性のメリットは、商材の輸送費が相対的に安いということだけ。
逆に訊きたいが、輸送費が最優先に考慮さるべき商材とは何か?
そして、そういった商材の輸送費は、中国との輸出入による場合と、(たとえば)オーストラリアとの輸出入による場合と、どれくらい違うのか?

なによりも。
「仲良くしなければ、戦争なのか?」 という二分法が幼稚。
以前にも記したとおり、少なくとも三分法以上で場合分けをしなければ、現実的な意思決定とはいえない。
「仲よくする」 「付かず離れず」 「ケンカ」 といった具合に。
「付かず離れず」 が彼らと我々ともに地域安定に望ましいのなら、当然それが最有力オプション。


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② 中国と取引をすることで、日本人の 「知性・産業力」 も向上するのではないか?

…これは、おそらくまともに実例をあげて肯定出来る日本人はいないだろうし、欧米人にもきっと居ない。
日本のマスコミは中国資本が大きく入っている ─ かもしれず、だから中国人視聴者が喜ぶような放送番組を制作しているかもしれない。
どうもそういうのは信用出来ないので、主要な英米の週刊誌の中国特集の類も読んでみたりする、が、中国が世界をリードする(し得る)技術産業について見かけたことは一度もない。
で、中国でこれからどんな技術産業が伸び、我々日本にとってどんなメリットがあるのか、と自称・中国通の人々に訊くと、みな一様に口をつぐむところがもう滑稽なくらいである。

ともあれ、日本人の知性や産業力の向上に寄与しないのであれば、中国と取引をする必然がない。

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③ 中国はレアアースほか天然資源を多大に抱えているが、対中関係が悪化したらそういう天然資源を入手できない?

…あのですね、そんな簡単に 「日本に提供する」 「やっぱりやめる」 などと中国の意思決定がホイホイ変わるような素材だとしたら ─ つまりそんな程度の低廉な素材だとしたら、 もう買うのやめちゃえって。
本当に技術産業にとって重大な価値のあるレアアースなら、そもそも当の中国がとっくに優秀な技術産業を育んでいるはず。
じっさいに中国側によってそういう実証がなされてから(もし本当にそうなったとして)、中国とレアアースの需給にかかる契約を結ぶ方が、技術的(知的)付加価値もありずっと得策である。
なんで 「資源として」 最初っから我々が買ってやらないかんのか、さっぱり理解できない。

実際、もっと技術産業に即した資源・資材の研究開発は日本初め先進国でこれからも続くし、「素材は国家なり」でも抽出したように既に活用が実現化しつつある。
石油への依存度をどんどん下げつつ、日本の技術産業が世界一になったように。

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④ 中国は巨大な消費者の市場であるが、このまま関係が悪化したらその巨大市場を日本は失うことになるんじゃないか?

…なに言ってんだか。
貿易のパートナーとして、相手の 「消費購買力のみ」 を期待していたのがアホだったのね。
中国が本当の貿易パートナーなら、中国からも我々日本人の消費購買力を向上させる技術産業、製品をどんどん提供してくれなければおかしい。
で、じっさい、中国は我々にどんな技術、どんな製品を提供してくれた?
我々は中国によって、福利厚生がどれだけ向上したっていうのか?

そもそも、我々の相手が 「巨大な」 ロシアやインドやインドネシアやカナダやブラジルでは、どうしていけないのか?

だいいち、中国は「本当に」巨大な消費市場といえるのかどうか?
中国に巨大に存在する農村部など酷い貧困層/被搾取人民の、本当の消費購買力を、どこの誰が公正な数字を把握しているの?
そんなことも調べずに、「中国は大市場である」 なんて、どうして言えるんだか? 

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⑤ いまや中国があってこその、日本のサービス産業、のはずであり、だから中国との関係が悪化すれば日本のサービス産業の多くが痛手を被るのではないか?

…もちろん、残酷なようだが、「そんな程度」 の、いわば「日銭稼ぎだけの」 程度の低いサービス産業なら、遅かれ早かれ潰れるし、また潰れてもいいやっていう日本人経営者も多いんじゃないかと察する。
そんな程度に過ぎぬサービス産業を延命させるために、日本が中国と取引し続けなければならぬ積極的な理由はない。
それより、日本のサービス産業はもっと日本国内や欧米の実需をちゃんと分析したら? 

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⑥ じっさいに中国に大きな投資をしてしまったのだから、今さら手をひけない?

…これはものすごく低級な拘り、というか馬鹿な幻想。
②により、大きな投資のほとんどは我々の知性にも産業力にも貢献しないとすれば、もともと投資したこと自体が子供の遊びと同じだった。
そんなふざけた投資したやつがアホだった、でおしまい。
もうやめりゃいいんですね。

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⑦ 中国の低賃金労働に、日本は大きく依存してきたじゃないか?

…それがどうした?
いついかなる時代・局面の、いかなる多国間の貿易においても、どちらかの国の賃金が安く、労働集約性が高い産業に従事しているもの。
それで安い産品を量産して輸出するのも、買ってやる側が居るからであって、当たり前。
このバランスが変わるとすれば、それは自身の産業技術力の切磋琢磨によって変わるにすぎず、そうでなければ、低賃金労働の国も民族もずーーっとそのままなのは当たり前。

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⑧ 中国にもそれなりの優秀な技術者は居るし、我々にもそれなりの知的収穫が有るはずではないか?

…だから?
そういう中国人と「だけ」つき合えばよい。
ともに切磋琢磨しながら、知性と技量を磨き合えばそれでよし。
尤も、日本の資産を無断で中国共産党だの軍部だのに譲渡出来ぬよう、規制だけは必須。
さらにそういう手先が日本の金融だの教育関係だのに居る ─ かもしれないが、 一緒に取り締まればよし。
あとは、フリー!
優秀な中国人とともに、世界のために頑張ろう!

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⑨ いまや中国は巨大な金融力で世界を牛耳っているが、もし日本と中国の関係が悪化したら、日本は貧しくなるのではないか?

…もう、こういう疑問は低劣の極み、馬鹿。
だってね、カネというのは何度も書いているように量的な 「虚構」 であり、実需とも産業力とも違うんですよ。
産業も技術力もろくすっぽ育まぬまま、自国民のほとんどを無残に搾取しまくって廉価の輸出産品をつくり、それで貯め込んだカネをもって、彼らにどんな市場支配が出来るっていうの?
自身の産業供給力がろくなもんじゃないのに、そんな連中が中心になって世界の需要や供給を牛耳れるわけがない。 
当たり前でしょうが。

じっさい、向こうが自国民を苛め抜いた汚いカネで世界を買い漁るというのなら 
─ つまり、そんな不当な虚構をもって世界市場の需給関係をねじ曲げるというのなら、こちらはもっと不当な虚構の手段に訴えて防衛してやりゃいいんです。
たとえば中国産品の輸入税、あるいは為替決済の手数料を数倍に引き上げてやるとかね。 

残念だが、カネなんてね、そんな程度のゲームなんですよ。
真面目につき合うのはやめましょう。
もっとお互いに実になる需要、供給を追求しましょう ─ 経済の究極の理想形はカネ不要の物々交換なのです。

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⑩ 中国は情報戦が巧みで、欧米にもどんどんコミュニティを展開しているが、これにより日本は不利になる一方なのではないか?

…だから?
もし嘘や虚構にまみれたプロパガンダを欧米人などが本当に信じ込んでいるのなら、欧米企業は日本の技術製品やサービス商品を無条件にボイコットしているはず。
でも、そうはなっていない。
先進国は遊びの世界ではないのです。


以上

2012/09/12

コードブック


「さっきっから、なーに読んでるのよ…なになに?人類の宿命?」
「ちょっと待って…うーーむ、未来は幸せに満ち溢れているでしょう、って」
「幸せ?今以上の幸せが、まだあるのかなぁ?」
「あのね…病気がなくなって、寿命がぐーんと伸びるでしょう、ってさ」
「ふーん、それは同意出来るわね、病気はいやだもんね」
「えーと、それでみんなが豊かになるだろうって書いてあるわよ」
「今だってみんな豊かなのに?」
「でもね、みんな豊かになるからもっと、もっと、大きな投資が出来るようになるからだって」
「今だって土地や財産ですっごく大きな取引しているのにね」
「だけど…そうやって大きな投資が出来れば、すごい技術開発が出来るんだってさ」
「にわとりを卵に戻すみたいな?」
「よくわからないけど、それで病気がなくなって、寿命が延びるんだって」
「寿命が延びると、豊かになるの?」
「そうだ、と思うけど…」
「それでどうして大きな投資が出来るようになるんだろう?」
「みんなが豊かになるからじゃないの?」


「…わかった!寿命が延びたらみんな豊かになるから、大きな投資が出来るようになって、技術開発が進むってこと!」
「えー、違うんじゃないのかな?技術開発が進めば寿命が延びて、それで大きな投資が出来るようになって、だからみんな豊かになる」
「違うよ、ちがう、みんなが豊かになるから、技術開発が進んで、それで寿命が延びて、大きな投資も出来るようになるんだよ、そうだよ、きっと!」
「違うよ!大きな投資が出来るようになるから、みんな豊かになって、技術開発が進んで、寿命が延びるんだよ、たぶん!」
「うん!そうだね、そうに決まっている!」


- というところまでは、伝達や複製のひみつは明らかになってきたが、2人とも、何かやっぱりおかしいんじゃないのかなぁ、という疑念を払拭出来ず、さらに本を読み続けていくのだった。
にわとりが卵に逆戻りすれば、きっとみんなが豊かになるんじゃないかしら …
でもそんなことはきっとどこにも書いていない
21世紀のページを捲るまでは書いていない。



おわり

2012/09/01

【読書メモ】 素材は国家なり - 就職活動にさいして必読の書

『素材は国家なり』 とはまた凄いタイトルですが ─ 昨年末に東洋経済新報社から出た本著は、恐らくは日本の工業技術の解説書として最強の一冊ではないかと察します。
長谷川慶太郎/泉谷渉 共著。

ことに長谷川慶太郎先生は永年に亘り、産業・軍事・経済の諸分野においてわが国を代表する解説者のお一人にて、世界や日本の在り様について毎年のようにシンプルかつ理知的な著作を発表されています。
しかしながら、この 『素材は国家なり』 はとりわけ触発される内容。 ほんの200ページに過ぎぬコンパクトな構成、極めて読み易い文体をとりつつも、一般社会人はむろんのこと就職活動中の大学生にとって必読の書とはまさにこのこと!
理科系分野の学生のみならず文科系学部の学生にとっても、日本の工業競争力から未来産業に至るまで巨視的に俯瞰出来る絶好の入門書。
ついでに、諸外国のまともな大人たちが日本をどのように捉えているのか、その答えも全部この本に記されております。

ともあれ。
購入後しばらく、僕なりに惹かれた箇所を特記メモとして控えておりましたが、あらためて以下のとおり箇条書きしておきます。
さっと理解しやすいように、<デバイス>編と、<パワー編>に分けておきました。
ただし、具体的な企業名の引用は、ここでは極力避けております。
興味関心に合わせて皆さんで勝手にお調べ下さい。



<デバイス>

 ・半導体について。

新しい半導体の部材調達には、そもそも3-5年の信頼性試験を繰り返す。
そしてウエハーを投入してから実製品が出てくるまでに、3カ月かかる。
日々、凄まじい勢いでラインが進む自動車メーカにとって、採用部品の半導体をそう簡単に他社製のものに代えられるわけがない。

・そんな半導体の基幹素材であるシリコンウエハーは、日本メーカが全世界の70%のシェアを誇る。
東日本大震災のさいに、世界のシリコンウエハーの1/4の生産がとまることになった。

・パソコンは、商品化されてから35年かかって、全世界の「年間」出荷台数が3億5千万台に達するに至った。
ところが、全世界のスマートフォンの年間出荷台数は、すでにこれを超えている。
i-Pad などのダイレクト端末もここ2-3年のうちに年産で1億5000万台に達すると見込まれる。

・スマートフォンやi-Padでは、低温ポリシリコンや有機ELを採用。
これらの素材は従来のアモフファスシリコンTFT液晶と比べぐっと高精細で、レスポンスが極めて速く色の再現性にも優れている。
そしてこれら素材は日本メーカが優勢である。

・液晶の保護材として、TACフィルムが採用されているが、これは日本メーカが世界シェアの100%である。
ちなみに、PVAフィルム、位層差フィルム、配向膜も基本素材だが、これらも日本メーカが世界シェアの100%を占めている。

・かつ、スマートフォンやi-Padでは、実装基板の面積も極小でなければならないが、そのために折り曲げ可能なフレキシブルなプリント配電基板が必須。
素材として銅箔が用いられるが、そのシェアのほとんどは日本勢である。

・ほか、半導体の材料において、フォトマスク、フォトレジスタ、封止材、そのフィルターにおいて日本メーカの世界シェアは圧倒的である。

・日本製の和紙は、コンデンサやリチウム電池の中で使われている。
また、ガスタービンの「ろ紙」としての大いに使われており、砂漠で活躍したアメリカ軍の戦車でも土埃がタービンに入りこまないように起用された。
それどころか、アメリカ海軍の原子力空母、原子力潜水艦のクリーンルーム運転のための「ろ紙」としても採用され続けている。
 

・窒化ガリウムについて。
これは世界中で大注目の未来派の素材。
LED電球でも、また新型パワー半導体でも起用されている。

・まずLED電球だが、これは白熱電球の40倍の寿命を誇りつつ、消費電力は85%も低減される。
省スペースで、低温でも発光効率は下がらない。
すでに単価1000円を切った販売店もある。

・LED電球は、一般照明には留まらず、自動車照明、信号、携帯電話、パソコン、液晶テレビのバックライト、屋外照明に至るまで応用が期待されている。
これら全てを含み合わせれば、その全世界の市場規模は日本円換算で15兆円に相当する!?との見方もある。

・LEDはもともとアメリカ技術の窒化ガリウム合成型の単結晶であったが、赤崎勇氏による高品質ガリウムの窒化単結晶によって青色LEDが開発され、そこから白色LEDが可能となった。

・2009年のオバマ大統領による「グリーン・ニューディール」宣言は記憶に新しい。
ここで謳われた環境にやさしい新エネルギーの気運のもと、LEDが政局にとっても大注目されるにいたっている。

・LED発祥の拠点とされる名古屋大学で、2011年に新設された研究棟は国立大学初の全館LED照明である。
その名古屋大学では、光発電型のLEDも研究されており、これによればA4サイズのノートPC自身が30Wを発電可 - となると充電が不要になる。
一方、LEDの信号灯の50%は東京都が採用中である。

・いわゆる「パワー半導体」も、窒化ガリウムによって可能となってきた。
パワー半導体は、AC/DC変換時の電力ロスを徹底的に抑える省力型チップであり、最先端世代のIGBTは日本勢が世界の過半を占め、名だたる電気メーカが開発を推進している。
その市場規模は日本円換算で2兆円規模であり、フラッシュメモリと同じほどのスケールである。
 

・超電導について。
従来の超電導技術は、冷却用の液体水素、液体ヘリウム、液体窒素が不可欠であったが、もし「常温」超電導技術が普及するとこれら触媒が不要となり、製造コストが大きく低減される。

・常温超電導は、送電システムを激変させ得る。
何千キロの送電線でも電力ロスはゼロになり、越境しての大胆な給電システムをどんどん仕掛けることが出来るようになる。
じっさい、ドイツやイタリアの果敢な電力事業などは常温超電導による海底電線を起用することで、北海から地中海までまたがる国際電気事業を図っている。
サハラの太陽光発電の電力をヨーロッパに引っ張ってきたり。

・ともあれ、常温超電導ケーブルが実用化されれば、現状の高圧送電線は不要となり、じっさい日本ではあと数年で送電線はすべて地下に潜るかもしれない。
電力事業も、大きく代わり得る。
よって、現状だけみて東電の事業がどうだこうだと騒いでいるのは虚しい限りである。

・ナトリウム硫黄電池 - いわゆる「NAS電池」は夢の蓄電池である。
これは電力事業そのものを激変させ得る。
アメリカといえばスマートグリッドだが、ほかカタールやUAEなど安定的な電力供給の困難な地域でもこのNAS電池の可能性が大いに注目されている。
大規模な蓄電が本当に可能となれば、とてつもなく自在でフレキシブルな電力供給プログラムに採用され得る。

・NAS電池の現状の課題は、ナトリウムが水と混じると爆発すること、またナトリウムと硫黄の絶縁膜が未だ開発途上であること。


☆    ☆    ☆    ☆    ☆

<パワー>

・第一次オイルショックの1973年まで、日本経済の目的は工業製品生産の拡大で、この年の鉄鋼生産額は粗鋼ベースで1億2800万トン。
このとき原油の輸入実績は史上最高の2億8000万キロリットル。
以降、実に2008年に至るまでこれ以上の鉄鋼生産高を記録することはなかった。

・一方で、オイルショックを機に、量的拡大にかわり技術の提供で経済活動を安定・維持する方針へと、日本経済の在り様が大転換した。
日本史上、これだけダイナミックな転換は他にはあまり例がない。

※ なお、60年代末期から70年代に産業の在り様が大激変した、とはドラッカーを始め多くの見識者が一様に指摘するところでもある。

・日本の製鉄業は最も急激にかつ大規模に変貌を遂げて現在に至る、まさに産業知性の総元締め。
資源エネルギーから電力、はてはIT産業から末端のサービス業に至るまで、みな製鉄のために存在していると言っても過言ではない。
たとえば光ケーブル導入による瞬時の工程管理は、まさに製鉄業が導入したものである。

・かつ、日本の製鉄業・鉄鋼業は環境負荷の最も小さな技術を積極採用しているため、世界中から大注目の的である。
鋼材1トンをつくるため、現在の日本の鉄鋼業では(熱エネルギー源として)石炭を0.5トンしか必要としない。
アメリカの鉄鋼技術では鋼材1トンのために1.2トンの石炭が必要で、中国になると1.5トン以上が必要となっている。

・日本の鉄鋼技術は石炭など投入エネルギー効率のみにおいて優っているわけではない。
同時に、「排熱の回収率」においても極めて優れている。

・たとえばLD炉において、銑鉄の原料である「コークス」の生成するが、そのさいに空気を液化し酸素と液体窒素に分解し、その酸素を用いている。
一方、ここでの液体窒素のほうは800℃に高温化したコークスにぶつけて冷却するのに用いるが、その際にコークスの潜熱がこの液体窒素をあらためて気化させ、高温の窒素ガスを生成する。
そこで、この窒素ガスを活用してタービンをまわしている。

・出来たコークスが高炉に入ると、鉄鉱石が反応して鉄を還元する - つまり高温に溶けた状態の銑鉄となる。
ここで発生するガスをまた燃料としつつ、タービンをまわす。
(これが高炉炉頂発電で、日本の23基の高炉は全てこの発電システムとなっている。)

・さらに、高温の銑鉄が今度は転炉にいくが、そこで銑鉄に酸素を吹きかけると、銑鉄に在る炭素が一酸化炭素として放出され、この過程で銑鉄は鋼となる。
このとき放出された一酸化炭素をボイラーで燃焼させると、その発熱がこれまた電力に転用出来る。

・製鉄所の立地場所は、日本のみならず主要産業国の在り様そのものを決定する課題であった。
八幡製鉄所の時代は石炭の投入量が重大な要件であったため、筑豊炭田の近くに建てられた。
かつ、鉄鉱石の輸入コストも重大であり、よって海沿いに建てられていた。

・やがて、技術進歩によって石炭の投入量がさほど問われなくなったため、製鉄所にとっては鉄鉱石の輸入調達が最優先され、インドのオリッサ州などのように海沿いに多く建てられている。

・なお、鋼材を1トンつくるのに、従来は340トンの水が必要であったが、日本の最新の製鉄所では新しい水はなんと1トンしか要らない。
ほとんどは内部の回収水でまかなっている。
だから水資源の近郊でなくとも、製鉄所は可能となってきた。

・ところが、話はいよいよここからである。
「電炉」の登場、これこそがあらゆる産業構造を激変させ得る。
日本はあと5年で電炉による製鉄プロセスを完成させる。
この電炉で鋼を1トンつくるのに投入するエネルギー量は、現在の銑鋼一貫方式による生産プロセスの1/5で済んでしまう。
なぜなら、鉄くず(スクラップ)をもとに最高品質の鉄鋼板を造ってしまうからである。

・日本の鉄鋼の在庫 - つまり日本のあらゆるや鉄道などのインフラから自動車や家電製品などの消費財にいたるまで用いられている鉄鋼の総量 - は30億トンである。
これらを仮にこんご20年間、均等にリサイクルするとする。
毎年1億5千万トンの鉄くず(スクラップ)を世の中から回収出来ることになるが、これらをそのまま「電炉」の製鋼にまわせば新規の鉄鉱石を買う必要が無くなる!

・こうして、電炉による製鉄所は、石炭どころか鉄鉱石の調達にすら左右されなくなるため、海沿いに設置する必要すら無くなる。
むしろ、工業地帯に隣接されるようになる。
そうなると、電力事業そのものも大いに変わる。
とくに大きな製鉄所は大規模な発電機能をそのまま有しているため、工業地帯への給電を積極的に行うようになるだろう。

・電炉が石炭にも鉄鉱石にもあまり依存しないとなると、そんな電炉の製鉄所そのものが海外に移転するのでは…という不安を煽る人が必ず居る。
※中国マニアなどはすぐにそういう無知丸出しのことを言う。
しかし、製鉄による工業製品に極めて高技術、高付加価値のものが多く(自動車エンジンなど)、ゆえに製鉄所を日本以外に移植するなどありえない。
・いわゆる「スーパースチール」は、普通鋼でありながら強度が2倍の鋼材であり、つまり同じ強度であれば重量は半分で済むというもの。
熱処理を通じて鉄鋼の結晶の大きさを調整するが、これはとてつもない微調整の世界。
日本が世界最先端を行く。

・基幹素材として、鉄から炭素繊維への移行が大胆に進められている。
そもそも、鉄も銅も半導体シリコンもケイ素(SIO2)から成り、ケイ素の比重は水よりも大きいため地球の中心部を構成しており、つまりはもっとも基本的な素材そのものである。
そんな鉄や銅やシリコンに代わり、炭素繊維を基本素材として活用しようというのだから、これは人類史そのものを大転換させる壮大なヴィジョンである。

・炭素繊維そのものは日本メーカが圧倒的なシェアを誇る。
自動車や航空機のボディ、部品などに採用されている。
とくに他金属と接合すれば、可能性が大いに広がる。

・すでに炭素繊維とアルミニウムとの接合が、特殊な触媒と焼成炉の高温化によって可能になっている。
ただ、炭素繊維は切削時に粉塵が多く、また飛行機に採用すると落雷を受けやすいというデメリットをどう克服するか、大きな課題はまだまだ残る。


☆    ☆    ☆    ☆    ☆


<捕捉>

・日本の産業全般において、研究開発投資の3/4は民間企業自身の負担であり、政府の負担は1/4でしかない(とりわけ製鉄業では、政府負担はゼロである。)

一方、アメリカの研究開発投資はその半分を政府部門が負担するのが慣行となっている。
さらにその半分は、国防総省(軍事技術)の所管する研究開発対象のものである。
だからアメリカの軍事技術への研究開発投資は大変に多く、日本のそれの10倍以上にもなっている。

・ことに製鉄業で比較すると、日本の製鉄業は売上の2%を自らの研究開発投資にまわしており、ここでは政府負担はゼロ。
だがアメリカの製鉄業だと研究開発にまわせるのは売上の0.1%でしかない。

・日本の輸出先のほとんどは(売上ベースで)海外の企業であり、個人向けは微々たるもの。
ゆえに製造物の瑕疵は品質問題として信用失墜が必須となるため、日本企業は品質を何よりも重視してきた。
じっさい、品質最優先をとった産業は信用を長期に亘って勝ちとり、価格競争で潰れてしまうこともなく、研究開発の余裕も生まれた次第。

・1956年、最初に第一種技術導入(つまり特許)がなされた時、日本の特許の輸入額は海外諸国への提供額の7倍、つまりかなりの輸入超過であった。
1992年、日本の特許は国際収支で初めて黒字となった。
1996年には、対アメリカ、対ドイツをはじめあらゆる国々に対して黒字となった。

・2008年、特許をはじめ工業技術おける日本の対外黒字は8000億円、これは製品輸出の1/10に相当するスケールで、以降現在まで毎年2000億円以上のペースで黒字が増えて続けている。
近く、日本の技術貿易の黒字は製品輸出の黒字を超える。

(バブル崩壊がどうこうと未だに歯ぎしりをしている人々は、90年代以降の産業の変質が全然分かっていない。)

※ なお、日本企業の長期的経営について。
戦後のインフレ期の企業においては、資金借り入れの有効な担保が無く、経営者には失業保証もなく、ゆえに経営者は自身の個人保証のもと全財産をかけ経営に邁進し、従業員がそれに全力で呼応してきたため。
しかし時代が下るとともに、企業にも金融機関にも余裕が生じ、経営者が個人保証する慣行が無くなった。
だから、日本企業の長期的経営は減っていった。

…これらの箇所は、本著のみならず長谷川氏の直近の著作には必ず引用されている。 以上


謝辞

ここに提示の記事は、いずれも私自身の判断責任のもと編集・投稿したものです。

大半の投稿は学生など若年層向けを意図してやや平易な表現にて、通俗性は極力回避しつつ、論旨の明示性を重視しつつ書き綴りました。あわせてまた、社会人の皆様にお読み頂くことも想定しつつ、汎用性高い観念知識を相応に動員しながら記した積もりです。

私なりの思考着想によるささやかな閃きが、皆様の諸活動にて何らかの光源たり得れば、望外の喜びであります。

山本