2012/01/14

成人式2012

成人式について、ふっと思うところを書くと ─

たとえば今から70年前の日本は、対米英の戦争、軍部独裁政治、スパイ工作、企業抑圧、情報歪曲、買収、配給、伝染病、身売りなどが当たり前の時代。

これらについては、明らかに現代とは異なった状況にあった。
(もちろん何もかもが間違いだったというわけではない)

さて。
仮に今の20歳の青年を、その70年前にタイムスリップさせたら、どうなるか。
もちろんその子は、 「あっ」 と言う間にその70年前に適合した青年になっているはず。
 
理由はすさまじく簡単で、たかだか20年くらいでは独立した人生観など無いから。
特攻隊に志願しろと言われりゃ、志願する青年だってたくさん居ると思う。
集団自決しろと言われりゃそうするだろう。
米軍に捕まったらどうせ拷問されて軍事機密を喋らされる、そうなる前に死んでこい、と言われればそうするだろう。

ここで、同じことを、50歳についても考えてみる。
もし今の50歳をつかまえて、やはり同じ70年前にタイムスリップさせる。
すると50歳の多くは、何もかもが違い過ぎる世界において、発狂するに違いない。

20歳の青年では、(一部の早熟な職業人を除いて) ほとんどが 「消費者」 でしかない。
消費者なんだから自分でアイデアを捻出し、試行錯誤に励むことがない。
信賞必罰に晒されることもない。
だからみんな同じ、学力知識など関係無し。

ところが、50歳のオッサン&オバハンの多くは、いかなる職種に就いていようと、あるいは家事労働に勤しもうと、なんらかの「供給者」 。
だから、とてつもなく個性が確立してしまっている。
世代ごとの変化も物凄く大きく、異業種との適合能力はどんどん無くなっている。

鉄は熱いうちに……という。
そのとおりで、なんらかの「供給者」 となってしまったら、もう異業種への簡単な転向など出来ない。
だが、まだ「供給者」 となっていない若い世代は、鍛え方次第ではどんな「供給者」 にでもなれる。
いや、自分で勝手に新たな 「供給者」 となって行く場合も多い。


日本の20歳の青年たちに言いたい。
疲れ果てたこの世界が、君たちを見ているぞ、世界が君たちを待っているぞ。
いつまでも誰かの「消費者」 に留まることなく、あたらしい市場をつくっていって欲しい。
どうせ先に消えていくオッサン&オバハンの言うことなど、すでに過去なんだから、そんなもんいちいち迎合しなくてもいいから。
君たちはもっと貪欲にあたらしい世界をつくれ。