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東京都立川市出身、慶應義塾大学卒業、某電機メーカ勤務にてソフトウェアシステムの海外プリセールス等を経て、現在は教育関連に従事

2012/03/11

Tomorrow's Dream - 未成年諸君 へ


あいも変わらずに自分を蔑視・嘲笑し続けている人間が、世の中に一人存在する。
もちろんそれは、ほかならぬ自分自身である。
なぜいつも自分自身を蔑視し嘲笑するかというと、自分のいちばん弱くて卑怯な部分を知っているからである。
ひみつの、私、きたない、私。
知っているのも、あたしだけ、あぁ。
だからこそ、自己蔑視をやめれば随分と楽になるわけ。 

勉強・鍛錬をしている人間を笑う人は、いない。
誰でも勉強と鍛錬の辛さを知っているから。
むしろ、日ごろ勉強も鍛錬もしていないからこそ、笑われるのである。
甘くみられるのである。
おまえなんかに出来っこないって。

そういえば、誰かに対して誹謗・中傷をする連中は、いっつも同じことばかり言っているでしょう。
相手が勉強も努力もしていないと思って、相手のボトムばっかり攻撃するから、そうなるわけで。
だからこそ、勉強と努力を続けてさえいれば、そのうちに笑われなくなるのである。  

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若い世代、とりわけ未成年はものすごく成長が速い。
夏の間など、ほんの1か月も会っていないと、もう別人じゃないかと思うくらいに成長している。
驚くほどに博識になっていたり。
あんなやつ、あんな弱いやつ、あんな怠け者、あんな勘違い野郎、あんなバカ…などと心中で軽視していた子が、ほんの数週間でもう立派な学生になっている。
ドカーーン、と転んでも、すっと立ち上がり、何も無かったかのようにタッタッタと走っている。

そのうち不敵な笑みを浮かびながら、俺と対等目線、いい度胸してんじゃん。

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人間は年齢に関係なく、いつだって肉体も脳も変化している。
一方、モノやカネは質的に一定で不変である。
だから、人間の方が勝手に喜んだり嘆いたりしている。 

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そもそも、誰かがいったん書いたものにしても、日本語だろうが英語だろうが数式だどうが、モノやカネと同じ、人間の一定の意識に基づいて実現化され、そして静止したものである。
だからどんな外国語のどんな文章であろうとも、人間に読めないわけがない。

ただ、静止したモノやカネや数式や外国語の文章に対して、ウズウズと動き回りたい自分の方が強引かつ不自然に迎合しようとするからこそ、勉強は苦痛なのである。

記憶のストックさえあれば、学生よりも老人の方が勉強は楽に決まっている。

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これが生身の人間同士となると、肉体や脳の変化のスピードが一人ひとりみんな違うから、ずっと仲良しってわけにもいかないが、かと思えば、いつの間にか仲良くなったりする場合もある。
リアルタイムで人間が話している英語をリアルタイムで聞いているうちに、話している人間と仲良くなるのも、同じ理由である。
(そしてリアルタイムで話される英語とも仲良くなってしまう、これまた同じ理由。)

もっとも、相手に対してベストだと思う何かをその相手に届ける頃には、もう相手にはベストなものではなくなっている。
人間関係は、本当は死ぬまで片思いだけ。
そこを弁えつつも、手を変え品を変えて諦めない奴が、営業などギリギリの競争事では成功しているような気がする。

関係あるかどうか、ハッキリとは分からないが、概して、第一子(長男や長女)よりも第二子以降として育った人間のほうが営業は得意なんじゃないかしら。
営業に向かない人っていうのは確かに居て、じつは僕もそうなのだが、どちらかといえば競争以前に独占的(排他的)な能力・仕様で勝負をつけたいと考えちゃう。

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すべての人間の利害、損得が「いっせーの、せ」 で同時に動くか。
いわゆる先進国では絶対にありえない。
みなが違う利害損得で生きているからである。
だからこそ需要消費は永遠に変わり、供給側は永遠に追い続け、ときには何かが逆に需要を喚起触発する。

ゆえに経済学も経営学も、個々の資産の価値の相関ではなく、それぞれの要素間の需給の「スピード差」を見極める学問じゃないかと思う。

そして、営業に向いている人間は、速度の差というものに敏感なんだろうなと思う。
いくら諸要素の構造分析が出来ても、それらの速度の差に鋭敏でない人は、ギリギリの勝負ごとにはあまり向かないんじゃないかな

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養老孟司さんだったか、武田邦彦さんだったか忘れたが ─ 
そもそも、同居している親御さんにしても、同じ家に居るのにいつも我が子とは違う角度から違うものを見ている。
だから、同じ家に同居しているのに仲が悪くなるのも、当たり前のことなのだという。

世界どこへ行っても、隣り合った民族というのは必ず何かを分かち合っているが、違うリズム、違うペースで、違う判断をし、違うものを取る。
だから互いに仲が悪い。
─ 世界史の鉄則のひとつだが、これは個人同士でもあてはまる。

いちいち、怒ることはないんだよ。
親子をはじめ近接する他人同士がけしてピタリと一致せずに、適当に差異が生じてしまうのも、仕方ないんだよね。
特定の条件下で集団の全構成員が絶滅することのないよう、そうなっているんだから。

おわりだ

Time Ain't Money


随分と前のことだが、南京に出張した時のこと。 

深夜にようやっとホテルに着いて、もうとにかくその夜は疲れていたので風呂に入るとすぐに寝てしまった次第。
さて、寝るにさいして、テーブルの上をふと確かめてみると、一枚の小さなメモがおいてあった。
そこには、明天上午六点…なんとか、などと書かれてあったが、中国語は読めなかったので、裏をひっくり返す。
こちらは英語で explosive とか neighbouring building とか 0600 などと記されている。 

なーんだ、このホテルの隣のビルの取り壊し工事か、ふーーん…
…でもなんでわざわざ客室にまでこんなメモを置くのかな?
と、ちょっと訝ったが、でも疲れていたのでそのまま寝てしまった。

翌朝、なんだか「虫の知らせ」 ってやつかな、奇妙なことに早朝の5:55に目が覚めてしまった。
あー、もうちょっと寝るはずだったんだけどな、とベッドで伸びをしていると、突然… 

ドスーーーン!!! 

すっごい衝撃で、部屋の中がグワングワンと揺れた。
うわっ、大地震か、と咄嗟に身構えた。
しばらく緊張していたが、そのごは何の揺れも無く、僕はもう寝付けなくなったので、そのままビュッフェに朝食を食べに行った。

やがてまた部屋に戻って、それでもちょっと気になったのでテレビを暫くつけていた。
地震のニュースらしいものは流れていなかったので、安心した。 

そして、客先訪問のために、現地の事務所員と階下のロビーで待ち合わせ。
彼が現れると、僕は 「今朝、地震が無かったか?」と尋ねた。
「無いよ」 と彼が答えたので、僕は安心してホテルを一歩外にでた。
次の瞬間、うわっ!とたまげてしまった。 

ホテルのすぐ隣が、ガレキの山になっている。 

「なんだこれは!」と僕が上ずった声で訊くと、彼いわく、「バクダンだよ」 って。
「そうじゃなくて、このコンクリートの山は、なんだ?」
「だから、バクダンで壊したよ」 と彼が平然と答える。
あらためて見やれば、戦闘服だか作業服だか分からないが、迷彩模様の制服に身を固めた連中が、ところどころでその砕けたコンクリートを次々と片付けている。
すっかり合点がいった僕は、ちょっと腹が立って、彼にくってかかった。
「すぐ隣がホテルで、それも俺みたいな外国人が滞在しているのに、爆弾でビルをふっとばすとは、どういうことだ!」
すると彼が不思議そうに反論する。
 「あのね、朝の早い時間だからバクダンで壊したよ。もし通勤時間帯だったら人が一杯いて危ないでしょ」
「だけど俺はすぐ隣のホテルで寝てたんだぞ!」
NOTICEが有ったでしょ?」 と、彼が平然と。 

うーむ、そうか…それはまあ理屈だなあ……そうか、これがあのメモの意味だったんだな、と思ったが。
それにしても、こんなことよくもやるわな、これが中国か、すげぇな、まさに何でもアリかって ─
僕なりに戸惑いながらも、一応は感心してしまった。 

でも、客先に向かうタクシーの中で僕はまた考え込んでいた ─。
隣のビルを爆破します、っていう通知を残したって言ってもね、それで宿泊客はどうすればいいのか?
爆破ですごい衝撃があるから覚悟しろって意味なのか。
ふーん、そうか…。
…じゃあどうして、こいつは俺にそういうことを前もって教えてくれなかったんだろう…

あらためて腹が立ってくる、とはこのことか。
僕は横眼で、この事務員の顔をチラチラと確かめる。
彼はといえば、「もっと安いとこが良かった?でも安いとこは汚いよ」 などと平然という。
ほぅ。
で、もっと安いところだったら、『明朝に当ホテルは爆発します、保険には入っていますか』 なんて通知が残されているんじゃないだろうな。
そんな冗談を言ってみたが、彼はつまらなそうに答えた 「そんなことしたら、寝られないでしょう」

僕らの乗ったタクシーは一分一秒を争うかのごとく、ものすごいスピードで何度も急カーブをキキキキィーーッと曲がりながらアポ先に向かって疾走していた。 

以上

謝辞

ここに提示の記事は、いずれも私自身の判断責任のもと編集・投稿したものです。

大半の投稿は学生など若年層向けを意図してやや平易な表現にて、通俗性は極力回避しつつ、論旨の明示性を重視しつつ書き綴りました。あわせてまた、社会人の皆様にお読み頂くことも想定しつつ、汎用性高い観念知識を相応に動員しながら記した積もりです。

私なりの思考着想によるささやかな閃きが、皆様の諸活動にて何らかの光源たり得れば、望外の喜びであります。

山本