2013/02/27

早慶の大学入試英語に拘わる理由

数年前から、早稲田大学と慶應義塾大学の一般入試における英語出題をウォッチしている。
なんで早慶ばっかりなんだ、と問われることがあるので、その理由を書く。

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そもそも、大学に進学するに際して、学生は自身の学校生活やそれ以外の活動を通じて醸成した力量を以て、志望大学から「君こそはうちが欲しかった学生だ!」と誘われる方が楽しいし意気も高まるに決まっている。 
それが内部/外部推薦という形態をとろうが、AOという形態をとろうが、高校側からの押し付けではなく大学側からの積極的な採用であれば、高校生(以下)にとっては大変に名誉なことである。
しかしながら。
大半の高校生(以下)は志望大学から誘われるほどの傑出した能力を顕在化させるに至らず、だからいまでも受験年齢に達してから一般ペーパー選抜試験を通じて大学に無理矢理に入り込まんとするわけで、そのたった一発の(数時間の)機会に賭けることになる。 

その「一発勝負のペーパー試験」の評点において、英語の得点を偏重し過ぎているのでは…という疑義も多く聞かされてきたし、また、たとえ一発勝負といえども学生の知力や見識を図るのなら現代文と理科と社会「こそ」必須科目として課すべきだ、と僕なりには考えている。 
が、それでも…これまで永年続いてきた英語のペーパー試験が急に廃止されるということは考え難い。

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…と、いうわけで、英語の一発ペーパー入試には両手を挙げて賛成とまでは行かずとも今後も当分は続くと想定しつつ、これらに敢えて積極的に拘わる理由
─ とくに早慶の一発ペーパー入試の英語に拘わる理由として、以下の3点を挙げておく。


① 早慶の英語の出題 - そのうちほとんどのウェイトを占める英文読解は、理科と社会科の両方(少なくとも片方)におけるかなりの見識とアカデミックな着想を求めるものが圧倒的に多く、これこそ他のほとんどの国公立や私立大学の入試英文ではみられない特徴にしてメリットでもある。
この点を鑑みると、早慶英語への誘いは学生の理科ないしは社会科の見識向上~学術的なモチベーションを誘発しうると察するし、ましてや時事英語表現も広範に含むのでハードエッジな効用は尚更のことである。 
そこで受験生に薦めたいのが慶應環境情報の出題英文であり、理科センスと社会科センスを総動員した見識のブラッシュアップには最適な素材の一つだと考える。
とりわけ、最も望ましいのは慶應経済の英語で、理科と社会科の見識を大いに要するいわゆる学際的な英文読解と総合作文が従来の英語科の範疇を今後ますます超越していくことを大いに期待している。 


② これは①を補完するメリットであるが、早稲田も慶應も学部が多く、だから一発ペーパー入試における英文読解のストックも多いので、これらがそのまま読解センスから語彙に至るまでの豊富な学習教材なる。
とりわけ、早稲田政経と早稲田社学(ともに英エコノミスト誌からの引用が目立つ)、あるいは慶應文と慶應医、さらに早稲田理工と慶應法などのように英文も出題傾向も似通った例が少なからず見受けられ、このように類似性の高い複数大学/学部に亘ってスタディすれば、事前準備のための効果的な教材ストックを更に増やすことが出来る。
なお、早稲田商の英語などは早慶英語のど真ん中とでも称するべきコンポジットで、読解英文から出題形式に至るまで、最も多くの出題ヴァリエーションを含んでおり、早慶に挑む全受験生に早稲田商の過去問だけは必須で挑ませたい所以である。 


③ 早慶出題の読解英文を読みこなせれば、そこいらの国公立大学の英語出題など驚くほど簡単に対処出来る。
もちろんこれは理科や社会科の見識においては言うまでもないが、それと同時に早慶英語は格調も概して高く、観念的(哲学的)で高尚なものも例年出題され、それらは大抵の国公立の最難関の読解英文も凌ぐ。
たとえば一橋大学などは何が偉いのか知らないが、とりあえず英語の出題難度に定評が有るとはいうものの、しかし早慶英語で鍛えられた受験生であればもぅホイホイと対処出来ると信じる。
とりわけ慶應文学部の英文ともなると、東大や京大あたりが冒頭に出題する論説読解と比べても遜色が無いどころか、しばしばもっと「高遠な」主題を論じているケースもあり、ゆえに早慶英語で鍛えられた受験生にとって最後まで悩ましいのは唯一、東京外語大の英文読解のみということになろうか。

以上の3つの観点から、(たとえ一発ペーパー入試での英語出題に疑念は残るとしても)とりあえずは引き続き早慶の入試英語に拘わる積もりである。

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なお、補記しておきたいことがある。

④ たかが一発ペーパー入試の英文ごときを「長文」などと称している教育業界関係者は、世間知らずなのかまともに勉強したことがないのか、どうもこれは珍妙な表現であるとの感を拭えない。
実際のところ、早慶入試の一回あたりの英文といえども、企業人や官僚が日々の業務で読みこなす(読まされる)英文のせいぜい1/3程度の分量に過ぎない。
たとえ学生が常識や見識において不足しているはいえ、たかがあんなもの「長文」だと称して学生の不安意識を増長というのは論理的にも教育的にも間違である。 

⑤ 民間企業における実務生活を経験した者として更に言うが、たとえばTOEICのための勉強をどれだけ重ねても、学術的な英文を読むための素養強化には繋がらない。
これはもう全然使う頭が違うわけで、TOEICで最高得点を取る人はきっと世界のどこへ行っても素晴らしい秘書にはなりうるが、その秘書を使う側に立てるかどうかは全く別である。

英語は本当にいろいろな分野で使われており、実務面での英語はまさに千差万別であるし、僕自身もビジネス法務の英語とか、為替手形関係の英語とかIT関係の英語とか、いろいろかじってきた。
しかし、大学進学に必要な英語は、むしろ英米主要メディアにおける理科や社会科の見識~アカデムズムを問う社説(記事ではない)、ないしはさらに学術的な論文が大半で ─ つまり頭の芯まで回転させるものであり、実務上使用する表層的な(条件反射の)英語とは使う頭が(センスが)かなり異なる。

なお、MBAの英語は早稲田理工が数年前だか出題したこともあり、数学的素養などを若干問うという点でパズル的要素も有り面白い、が、これが諸産業、政策、法律の諸分野でどこまでアカデミックに活用し得るか甚だ疑問であるし、まして科学技術に有益かどうかとなるとさっぱり分からない。


以上




2013/02/19

お願いだからちゃんと理解してくれよ!学生諸君!


最近は面白半分のことばかり書いているから、ああここは娯楽ブログになったのか、と笑っている学生諸君も多いかもしれない、が、違う。
いつまでも遊んでいると思わないように。

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昨年、「若い人たちに伝えたい社会科」というエッセイを記し、うむ、これは分かりやすくまとまったなあと我ながら喜んでいたら、何のことだか分かりませんという声があがった。
だから、もっと、とてつもなく単純かつ明瞭に、「人間の行為(なりわい)」について記す。
とてつもなく当たり前のことだから、ざっと書く。
既に大学生の諸君も、これから大学に進学する諸君も、絶対に理解しなければならないこと、もし理解出来そうになかったら無理矢理にでも理解しなさい。
そのうち必ず、如何に当たり前のことか分かるから。

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 <人間の(大人の)行為は、大別すると以下の3つしかない!>

① 何かをつくり、何かと交換する。
これはたとえば物理的には生産活動といい、経済学用語では市場経済活動といい、会計上や税務上は売上とか貿易ともいう。
が、要するに、「何かと何かを」複数の人間(法人や個人)同士が交換すること。
だから消費することでもある。

もちろん、交換しあう対象物は、農林水産業の産品もそうだし、工業製品もそうだし、保険や金融や福祉娯楽などのサービスもそうだ。
第一次産業も第二次産業も第三次産業も、環境も資源もインフラもITも学術も技術も情報も、全部含まれる。
人間が交換しうるもの、全部!
だから軍事力だってもちろん含まれる。

さらに、ほっといても交換される製品やサービスなどないので、法人間や個人間で交渉があり、調整や妥協があり、もちろん互いの新たな勉強や研究だって必然的におこる。
そうやって世の中全体の経済機会が増えれば、それをとりあえずカネに換算して(換算するだけだよ)、その地域や国や自治体のGDPが増えたという。
だからこそGDPが大きいと一般的に経済先進国という。

家庭や社会や学校が人間を育て、人間を保全している理由は、すべての人間が何かを提供し交換する(及び消費する)ことによって、すべての人間が賢く豊かになる、ということを皆が知っているためである。 

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② 交換する製品(財)やサービスの品質向上や改編を追求する。
これは①の生産行為を補完・強化し、かつ①でつくられた製品やサービスを補完・強化し、そして①の交換において互いのメリットを少しでも高めるために、①のあらゆる分野において、日夜勉強し、研究し、実験し、努力することによってその「精度を高め強度を高め提供効率を上げる」、そういう試行錯誤の連続である。
R&Dとかベンチマークとかクライテリアなどという用語はみなこの品質向上や品質改編への取り組みにかかるものである。

そもそも、どんな製品やサービスの品質にも上限はない ─ もちろん公共の福祉を損ねないように、とりあえずは法的に有効な保証範囲、危険範囲が設定されているが、それらは①の変化拡大とともに変わりうる。
だから、社会人全員が、何らかの過程で品質の向上と改編に必ず従事している。
そして、日本がこれまで信頼されてきたのは①もさることながらこの②において世界最高水準にあったからに他ならない。

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③ 利益を追求する。
利益とは、本来は、「①と②のためにこそ」求められ、蓄積されるべきものである。
つまり、手段であり、オプションである。

普通、利益とは具体的にはカネを指す。
カネはどこまでも論理的な存在に過ぎないが、それでも①や②における交換媒体としてカネ以上に便利なものはないので、したがい利益というと通常はカネということになる。
いかなる法人にとっても個人にとっても同じことである。

もちろん勘違いして欲しくないが、金融でも保険でも証券でも、本来はあくまで①と②のために存在している産業であり、利益のために存在しているわけではけしてない。 

さらに、政策の対象は通常このカネに絞られる。
それはカネこそが一番流通性が高い商品であり、しかもあくまで論理的な媒体だからこそ流通量も利率も総括的に調整出来るから。
つまり、政府にとって一番運営しやすい(税としても徴収しやすい)からであり、もちろんその目的は国庫を膨らませるためではなく、国民の①と②の充足をサポートするために留まる。

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これで、全部。
どんな仕事も生き様も、この①~③の行為の、どれかしかない。

むろん、上記の①と②においては、どこかで一時停止したり、何かが超過したり不足したりする。
つまり需要と供給の過不足の波であり、そこで①の個々の従事者は製品やサービスの過不足を自分の仕事に直結させて②を強化するなどして動く。

ところが、③の利益だけは、①や②がどうなろうとも、常に維持したり向上させたることが可能。
それは、①や②をただのコストとして、徐々に切り捨てていきながら、カネだけはずっと確保していればよいわけ。
だいたい、いつも利益が一定という企業は異常でしょう?①や②はいつも変動しているのに、利益のみが安定するわけがない。  

政府や金融関係者やマスコミなどは、製品やサービスの過不足を総括的に景気として捉えるので、③の議論に集中しがちである。
それが悪いといっているのではないが、①や②の実相からかけ離れているかもしれない。

一番狡猾で、かつくだらないのは、特に①の生産や交換(消費)の現場に巧妙にスリスリと割り込んできて、しかも②には何の意欲も関心すらもなく…ただ③の利益にばかり群がって、漁って、さーーっと消えていく連中である。
特に、主婦や老人や学生に近寄って、洗脳して、①や②の機会を奪いつつカネだけかっさらっていく連中が許しがたい。
…というと、なんだかナチスの演説みたいに聞こえるかもしれないが、これはナチでもユダヤでも華僑排斥でもなんでもなく、いつの時代も、そしてこれからも、どこの世界でも当たり前のことである。

以上

もうこれ以上に簡単には説明出来ない。
頼むから、学生諸君はまず①と②について「のみ」邁進するよう、そういう人間になれるよう、つとめて欲しいと切に願うばかりである。

謝辞

ここに提示の記事は、いずれも私自身の判断責任のもと編集・投稿したものです。

大半の投稿は学生など若年層向けを意図してやや平易な表現にて、通俗性は極力回避しつつ、論旨の明示性を重視しつつ書き綴りました。あわせてまた、社会人の皆様にお読み頂くことも想定しつつ、汎用性高い観念知識を相応に動員しながら記した積もりです。

私なりの思考着想によるささやかな閃きが、皆様の諸活動にて何らかの光源たり得れば、望外の喜びであります。

山本