2013/03/22

ボクシング考 (ハードウェアとして)


① ボクシングは、もちろん穏やかな競技ではない。
パンチで殴るという行為は相手の肉体を(ハードウェアを)痛めつけて破壊することが目的だから、もちろん教育や指導においての行使など許されようはずもなし。 

その危険きわまりないパンチを、パワーと技巧を存分に込めて互いに放ち合う残虐な競技、それがボクシングである。
しかし、いや、だからこそ、力量の近い競技者同士が戦い合うボクシングは「スポーツとしては」最も密度の濃い競技なのではないかと察している。
パンチ力、膂力は言うまでもなく、スピード、持久力、知力、蛮勇、クソ度胸、執念、意地などなど…
人間の持てる先天的能力と後天的技量の全てを発揮させるスポーツとして、ボクシングはレスリングや相撲よりも徹底しているように見受けられる。

ボクシングは、「自意識を貫いて負ける」という青臭いヒロイズムすら認めない、その厳しさが素晴らしい。
自分が何を思いつめていようが、割り切っていようが、ふてくされていようが、いじけていようが…そんなこと関係なく負け犬みたいにブッ飛ばされちゃうんだから。 
ボクシングでは、TV映画のような格好良い負けっぷりも意地っ張りの青春も孤高の人生観も有り得ない。
そういうスポーツを精神論で語るのは間違っており、僕も精神論を謳っている積もりはない。

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② 暫らく以前のことだが、或るボクシング番組を毎週欠かさず視聴していた時期があった。
その番組に投稿したこともある。
「ボクシングは戦闘機の空中戦に似ていると思います、足による機動力があってこそ、相手の頭部へのパンチ加撃の最適なポジションを優位に確保出来るはずです」、と僕は記した。
むろん、ボクシングの目的は「少しでも早く」相手を戦闘不能に追いやること、言わずもがなである。
ほどなくして、ある夜のタイトルマッチ実況中継で。
ボクシング解説の超有名人であるジョー小泉氏が、実況中継中に突然ポツリと、「ボクシングは足運びで決まるんですよ」と仰ったではないか。
どういう偶然かは判らないが、ああ僕も一応は物を見る目が有るのかなあと嬉しくなり、ますますボクシングへの思い入れが高まったのであった。

そんなだから、ボクシングについては、今でもいろいろ書きたいことが有る。
次から次へと、薀蓄も湧いてくる。
これほど題材に事欠かない「文化」は、他に無いかもしれない。
しかしいちいち思いつくままに書いていては、とてつもない分量になってしまうので、少し考えさせられるところだけ絞って記す。

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③ 戦後、日本人は体位向上して、というが、ボクシングの世界ではその日本人の体位向上が見事なまでに「反映されていない」。
戦前から戦後、現在に至るまで、日本人の世界トップ級選手はほぼずっと中量級以下の体重階級に在る。
昨年のオリンピックで村田選手がミドル級で金メダルを採って、大快挙と報ぜられたが、ミドル級とはいっても、それは本来のボクシング競技の起点であるヘヴィ級に比して軽量だからこそ「ミドル」なのであって、これは世界的には重量級ではない。 

現行の「安全な」ボクシングルールに固まって(1867)から現在に至るまで、既に146年間…ボクシング最古にして本丸の「ヘヴィ級」におけるトップランカーに、黄色人種は居ないのである。
ミドル級金メダルの村田選手は確かに偉大だが、しかしスポーツ先進国であるはずの日本でいつまで経ってもヘヴィ級ボクシングのチャンピオンが輩出されないとは、何とも不可思議な現状ではある。

因みに、それ以前のボクシングは、といえば。
それは欧米で広く行われていた、素手で殴ったり噛み付いたり首を絞めたりという古代さながらの殺し合いだった。
仮にそこに江戸時代の横綱などが挑戦したらどうだったか、などと考えてみるのも面白いが、しかし我々日本人がそこまでケンカで強かったとしたら明治開国以来ボクシングチャンピオンが日本から続々排出していたはず。
実際は逆で、日本の大相撲でもボクシングは危険視されており、力士のボクシングは禁止されていたような、そんな記事を読んだ覚えがある。
第一、日の下開山の関取がボクシングなど、どこか悲劇的でもある。

その相撲において、また柔道においても、日本人は体格の利を活かして既に世界的なトップレベルに在る。
だがボクシングでは、最重量級において黄色人種の世界ランカーが依然として現れていない。
なぜこれが問題視されないのか、寧ろ不思議でさえある。
ボクシングはマイナーな競技だから、という見方があるのだろうか?…とんでもない、ボクシングはサッカーと並んで世界中に最も広く遍く普及したスポーツである。

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④ もしかしたら。
戦闘行為における適正サイズは人種ごとに決まっており、黄色人種は体重80kgあたりを超えると白人や黒人に比べてパワーとスピードのバランスが崩れるのかもしれない。
とすると、黄色人種はいくら喰っても、いくら鍛えても、白人や黒人には勝てないということか。
また、白人や黒人との混血が多いであろう中南米であっても、やはりヘヴィ級のトップランカーがほとんど居ないが、これはどうしたわけか。
或いは、相撲やレスリングのように身体を密着させる競技ならば黄色人種でも勝ち残れるということなのだろうか? 

どこまで関係あるか分からないが、アメフトでも短距離走でも黄色人種の世界トップ級選手はほとんど居ない。

そういえば野球の強打者も、戦後から現在まで骨格はほとんど変わっていない。
トレーニング方法の違い、戦術の違いによって動作や体型は変わっただろうが、強打者の身長はいつまで経っても176cm~185cmあたりに留まっており、戦後70年近く経つのに身長2mの首位打者は出ていない(大リーグでも居ない。)
※ 尤も、野球の場合はボールやバットのサイズがずっと同じだから、強打者の骨格サイズもほぼ同じなのだろうか…。 

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⑤  古い世代のボクシング解説者と、新しい世代の解説者は、ちょっと着眼点が違う。
ははぁ、古い人たちは精神論だな、というかもしれないが、そんなものボクシングには無いって。

概して、古い世代の解説者ほど、ボクシングを主としてハードウェアのリアリズムとして捉えているようであり ─ つまりは、少しでも短時間で相手を戦闘不能に追い込むことだとの言である。
そのせいかパンチ力とスタミナに重きを置いて語りがちのように見受けられる。
「あんなに一方的に打ち込まれたらいくらガードしていても疲れますよ、打つより打たれる方がずっとスタミナを消耗します。相手は握力も背筋も首の力も強いですね、あれで殴られたらかなり効きます、力の弱い人はダメです、バランスが崩れて、すぐにヘタりますよ」
などと。

ところが、世代が下るにつれ、ボクシングをロジックとして捉えているようで。
「顔面に左フックを打ちこまれたら、すかさず右からボディにストレート、これは裏を突いたパターンですね。それと、左ジャブから右アッパーも盲点ですよ、ここでの攻撃と防御のパターンはいいフェイントです、それからクイックに右に回ってカウンター気味のフックも面白いですね」などという。
しかし、チェスやジャンケンじゃあるまいし、顔面をぶっ飛ばされるのと腹を殴られるのが同じダメージのわけがないことは、いちいち実演してみなくたって分かる。

何度も同じこと書くが、ボクシングは論理ではなく、物理であり、取引交換ではなく破壊である。
だから、すべての時間が均等に流れるわけではない。
少しでも早く顔面を打ってノックアウトしてしまえばよいのである。
第一、リングでイチかバチか戦っている選手が、瞬時に様々なプログラム通りに動けるものか。
相手がまさに目の前でこっちを殴り倒そうとしているってのに。

スティーヴ・ジョブズの信奉者あたりがソフトウェア・シミュレーションでインテリを気取るのもいいが、それでも我が国ではヘヴィ級のランカーをこれまでどうしても輩出出来なかったのだから、何かリアリティ分析が…いや、リアリティへの想像力が足りないのではないか。
ソフトウェアは次のソフトウェアを紡ぐことは出来ようが、同じ次元でいくらコンビネーションを編み出しても、それだけでは新たなリアリティを見出すことは出来まい。


以上

2013/03/16

【読書メモ】 シェールガス革命で世界は激変する(?)

『石油からガスへ ─ シェールガス革命で世界は激変する というのが本書の正式タイトルで、昨年の 『素材は国家なり』 と同じ長谷川慶太郎氏と泉谷渉氏の共著として、つい先ごろ東洋経済新報から発刊されました。
( 『素材は国家なり』 の読書メモはこちら→ http://timefetcher.blogspot.jp/2012/09/blog-post.html )

もちろん、我々の多くはシェールガスの存在を暫らく以前から聞かされており、主要なメディアでもたびたび取り上げられるテーマではありました。
従来の諸々の情報から察するに、シェールガスは近未来の可能性のオプションに留まっている資源に過ぎず…そのためか本書においても、一次エネルギー源ないしは工業製品素材としての世界的なシェールガス導入マイルストンは具体的には詳らかにはされておりません。 
さらに足元のシェールガス採掘技術スキルについても、クリティカルな採掘用機材や掘削放水用水源の確保など含め実証事例にはあまり触れられておりません。 
それゆえ ─ 多岐多様に亘る工業テクノロジーを百花繚乱のごとく紹介した 『素材は国家なり』 と比べ、今般の 『シェールガス革命』 は諸産業のコスト低減ストーリーの想定に留めおいた控え目で冗長な構成となっている所以、やむなしでしょうか。 

さはさりとて。
シェールガスこそは200年に1度の世界経済(及び政治)のコスト構造の大転換をもたらし、次代の在り様を激変させ得るものゆえ、従前の我々の産業センスを根本から突き崩しかねない、とする本書のサプライジングメッセージ。
ここに予感される近未来の仰天のパラダイムシフトは、我々の未来像模索における諸々のヒントたり得るのではと考えます。

よって、『素材は…』 同様に読書メモとしてここにブロっておく次第です。
以下、抜粋要約を箇条書きします。
(なお本書内に引用されている具体的な法人名は極力差し置きます。)



・シェールガスは、地下2000~2500メートル深く、頁岩(シェール)による固い岩盤層に付着残留した天然ガス、つまり炭化水素であるが、この生成過程については学術的に見解が一致していない。
有機生成説(石油や多くの天然ガス同様、有機物のうち炭化水素だけが残った化石燃料であるとする)と、無機生成説(地球誕生時の地殻の炭素と水素が反応して炭化水素が出来たとする)がある。

・ここで、もし後者の説をとれば ─ 生成もその採掘も「地域差はほとんど無い」こととなる。
本書では概ね後者の前提に則って大胆に論旨が展開されている(ようである)。

・2000年代からアメリカで、この地下深くに高圧力水を当てて岩を砕きつつ、そこからシェールガスを採掘するという高度な技術が確立、ここに低コストでのシェールガス入手が確実となった。 
2010年に、アメリカのこうした安価なシェールガス生産量は約1380億立方メートルとなり、アメリカの天然ガス全体の生産量の23%に至る。

・アメリカは現時点で全世界のシェールガスの40~50%を保有しており、これを加えた天然ガス全体の総生産量としてはロシアを抜いて世界一となった。 

・アメリカでシェールガス採掘事業をこれまで率先してきたのは超大手石油会社であり、安価なシェールガスへのシフトによって、(少なくとも現時点の採算性を鑑みる限り)高価な外国石油に依存せず、また従来の天然ガスよりも安価なガスエネルギーを確保出来ること目算しての投資である。 

・アメリカは従来、貿易赤字の半分は石油輸入代金であったが、安価なシェールガスによってそれも解消出来ることになる。
なお、オバマ政権はアメリカの石油輸入量を2025年までに1/3に削減の方針、天然ガスやバイオ燃料の使用拡大と自動車の燃費改善を呼びかけている。

・ロシアや中東を含まない世界の公表値合算によると、地下のシェールガス「原資埋蔵量」は717兆立方メートル、。
現時点での「技術的な回収可能資源量」でも約188兆立方メートルと推定される(100年~200年分?)。
一方で、たとえば現在(2008年)の世界の天然ガス年間消費量はわずか3兆立方メートルに過ぎない。

・従来より石油への過度の依存を回避するため、天然ガス資源へのインフラ投資は、エネルギー基地の建設からガスパイプライン敷設まで全世界で積極的であった。
このように拡大してきたガスインフラを活用しつつ、シェールガスは世界規模で導入活用が可能。
かつ、シェールガスが全世界いたるところで採掘されるようになれば、特定の資本や産業が価格や量をコントロールすることは不可能であり、独占産業は興りえない。

・10年以内に、全世界のエネルギー「需要」の30%をシェールガスがまかなうようになる。

・現時点では、アメリカは天然ガスの輸出を原則禁止としているが、経常収支改善を目指すアメリカはシェールガスに至るまで輸出解禁となるだろう。

・一方、現時点で判明している限り、日本におけるシェールガス埋蔵量は少ない。
しかし、日本の一次エネルギー源、輸送エネルギーほか、素材産業に至るまで、シェールガスは多岐多様なメリットをもたらす。
ここで、これまでの天然ガス同様にシェールガスまでも「海外から高値で買わされ続ける」愚に陥ることなく、日本は官民一体となってシェールガスを日本産業の「メリットの源泉」として全方位に活用すべきである



 ☆   ☆   ☆

・一次エネルギー源として、天然ガスは既に多くの国々で石油を上回る。

・ガス発電の未来を先取り、アメリカは安価なシェールガスを発電に積極的に活用しつつある。
大規模なガス火力発電所(ガス火力による蒸気でタービンを回して発電するプラント設備)を建設し、一方では設備投資力の強化のため小規模な電力会社の統合も進んでいる。

・これら大型のシェールガス火力発電所が動き出せば、電力料金はヨリ安価となるので、アメリカで製造業を復活させることも可能?
またそのためのガス移送インフラ投資(パイプラインなど)も併せて拡大する。

・一次エネルギー別の、「1kW/hあたり発電コスト」比較(日本円換算)
 石油火力…10円
 石炭火力…6~7円
 (天然ガス、原子力…概ね6~7円 - 他から引用)
 シェールガス火力…6円→いずれ2円以下になる!?

ここで、もしCO2排出が環境問題たりうるのであれば、シェールガス火力による発電は石炭火力よりも導入メリットが遥かに大きい、とされる。 
ましてや、風力、地熱、太陽光などは技術的にも事業採算上も太刀打ち出来なくなる。

・もしシェールガス火力発電により、本当に1kWあたり発電コストが2円ともなれば、電力料金の相場が急落するであろうから、たいていの小規模電力会社は立ち行かなくなり、それらの経営統合はなおさら進むと想定される。 

・火力発電のタービンのシャフトと羽根は日本製が発電効率において世界最高であり、こんごガス火力発電所が増えればこれらの日本メーカ受注も増え続ける。
またアメリカのガス火力発電所において設置される発電機も、日本の重電メーカの系列下にある。


☆   ☆   ☆

・シェールガスは気体であるため、これを動力燃料として活用するためには「液化」が必要。
液化技術はまだ途上である。 

・これまで「次世代環境車」とされたハイブリッド車、プラグインハイブリッド、電気自動車へという流れを抑え、シェールガス自動車の到来によって、(ガソリンではなくて、今度はガスにより)再びエンジン車が主流となることも大いに考えられる。
米連邦議会では、現行のガソリンディーゼルトラックを、次世代環境車ではなくガス自動車へ代替していくという法律が 

・ともあれ、ふんだんなシェールガスを燃料とすれば、ここまでの「次世代環境車」を念頭においた厳しい燃費規制も緩和され得るし、アメリカでは重厚長大デザインのアメリカ車製造が復活する。

・なお、「ガス自動車」としてこれまで実運用されているものとしては、アメリカで主流となりうるCNG(圧縮天然ガス)自動車と、日本のタクシーで既に実用化のLPG(液化石油ガス)自動車がある。
このうち、高燃費を追求するCNG自動車の主要燃料は、いずれ安価なシェールガスとなろう。
一方、現時点で日本のLPGの製造は全て日本メーカであり、これを(シェールガスの)CNG自動車に技術適用することは可能である。
ゆえに、このまま従来のガソリン自動車から燃費の良いシェールガス自動車への移行が進めば、日本の自動車メーカ技術もあわせて求められる、かもしれない。

・既に世界の旅客空輸サービスでは、小型機を活用したLCC(格安航空)が主流となりつつある。
このLCC採用の小型機が燃料を安価なシェールガスに切り替えれば、長短あらゆる空輸路線が従来のバスや鉄道とは比較にならぬほどに安値となり、世界中を人々が飛び回るようになる。
地方も活性化するし、産業のサービス化が一層進むから、インフラ投資も増え続ける時代となる。

・この流れにあわせて、従来から世界一信頼性が高かった日本製の航空機部材も一層発注が増え、また世界の旅客機を日本に一時帰着させての「航空機メンテナンス/オーバーホール」も増えるだろう。

・シェールガス化により、自動車の軽量化が不要となると、そのための炭素繊維は需要鈍化もありうる、が炭素繊維は航空機素材としてなおも応用され続けることが予想され、その技術は日本が世界最高である。
マグネシウム合金も、自動車軽量化の需要は鈍化しうるが、これまた航空機における需要は増え続ける。



☆   ☆   ☆


・アメリカのシェールガス生産の活発化とは逆に、国際的な原油価格やロシア天然ガス価格は下落し続けている。
とくに、これまでヨーロッパ経済の一次エネルギー需給を支配的に動かしてきた大量なロシア天然ガスが価格下落を続ければ、ヨーロッパはロシアの圧力から離脱し、電力はじめ諸産業ひいては地政学まで大きく変わり得る。

・安価なシェールガスの普及が進めば、中東の石油価格も下がらざるを得ず、石油利権が無くなるので諸国間の介入や対立も無くなり、中東は平和になる。
一方、中東のオイルマネー運用で潤ってきたイギリスのシティは今後は運用資産の転向が求められる。 

・これまでの高値の石油価格により、多くのトウモロコシがバイオエタノール生産に振り向けられてきた。
しかし、安価なシェールガスに押されて石油価格も下落していけば、バイオエタノール産業も消え、トウモロコシも他の穀物も不足することはなくなる。 

・中国にもシェールガスはふんだんに有るが、概して採掘技術も人材も不足している。
中国で最も有望な採掘地は、内陸の新疆地方であるが、そこに人材を集めるだけの政治・経済運用力が中国には無い。
さらに、新疆は砂漠に近いため、水圧破砕用の水確保が困難である。

・しかしそれでも、中国でシェールガス化が進展すれば中国経済は大きなデフレに至る。 
かつ、シェールガスによる安価なエネルギーの恩恵で世界各国が自国生産を活発化させ、対中国投資の必要が無くなる。 


☆   ☆   ☆

シェールガス採掘現場は巨大な工事現場となり、そこで使用される重機や超大型ダンプなどの多くは日本の建設機械メーカー製である。 

・シェールガスからはエタン、ブタンなどの成分を採取出来、またエチレンやトリニトルなどプラスチック原料の採取も可能。
従い、プラスチック材料費も安価で済むことになる。
実際、アメリカの大手化学メーカがシェールガスを原料としたエチレン・プラントを動かす予定。 

・シェールガスはメタン純度が高く、精製分離すれば良質な水素エネルギーが得られることが分かってきた。
これは現行で開発ベースである水素燃料電池(活物質として水素と酸素を反応させて発電・蓄電する)の実用化を、一気に拍車させる技術たりうるかもしれない。

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以上、あくまで大枠をざっとまとめました。
この他、本書では多種の産業にて予測される派生効果や、(実現性は別として)メタンハイドレートがもたらす効用についても若干並走記述あり、さらに欧米諸国の政治経済の動向解説もふんだんに盛り込まれております。
時事総論としても存分に楽しめるものではないでしょうか。
  

2013/03/10

就職活動の基本 ─  「誰が」ではなくて、「何が」「何を」

就職活動中の学生、これから就職活動を始める学生たちに、端っこに居る人間なりに伝えておきたいことがあるので、以下にまとめて記す。
要するに、物事の発想や行動の基本は、「何が」「何を」であり、「誰が」ではないということ。

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① まず、単純な例題。
「風が吹くと桶屋が儲かる」、というが、では「桶屋が儲かるから風が吹く」、と言えるか?
もちろんこれが異常な理屈であることはすぐ判る。
太陽熱が地表の温度を上げ、その地域差が大気の気圧差と対流を起こし、だから風が吹く、というのが事実。 
そうやって風が起きる結果として、鼠が、猫が…と話がすすみ、最終的に桶屋が儲かることもあろう、というのがこのことわざの真相である。
「わらしべ長者」という昔話があるが、これとて、長者が藁を売ったということではない。

次に、正解が出されていない例題。 
「日本の長期デフレの原因は何であったのか。」
いろいろな人が持論をもって解説せんとしているようだが、(なるほど、必要が更なる必要を煽るというインフレと違い)デフレは因果を定義しにくいもの。
デフレの真因の説明として、以下の二つが多勢のようである。
(1) エネルギー依存度も下がり、ソフトウェア化も進み、それで生産力も製品品質も上がったため、国民が短期的な購入消費にカネを使わなくなった ─ つまり生産技術と消費需要の循環の一環としてデフレが起こった。
(2) 大資本家たちが産業投資を控え、利益率の低い法人や個人を見捨てるようになったため ─ つまり保身と強欲による。

もっともっといろんな説明はつくにせよ、カネが回らなくなった理由はまあ大別するとこの2つ。
たとえば僕は、(1)が真因で、(2)はそこに便乗した結果に過ぎない、だからなおさら(1)が進み、それでもっと(2)も進む、という循環を信じているが、それは誰が言ったからでもなく、この見方が合理的だと僕なりに考えているからである。
もちろん、(2)こそが真因で、だからこそ(1)が起こり、あくまで(2)があってこそ(1)が続く、その循環であるとする見方もあるだろう。
政策論者の着想は、えてしてこちらの因果律に則っているのかもしれない。 
どちらが正論なのか、判らない。

ともあれ、以上の例題から言いたいこと。
論理は論理のためではなく、まず「何か」実体・実像があって、それらの組み合わせで論理が定まるはずである。
だから、誰が言おうが、「何か」理屈にあっているものはどこまで行っても理にかなっており、それらを積み重ねても循環させても、やはり理屈にあっている。
首相が仰ろうが、日銀総裁が仰ろうが、武田邦彦氏が仰ろうが、山中伸弥氏が仰ろうが、福岡伸一氏が仰ろうが、その仰る「何か」とそれによって組み上げた論理が整合しているからこそ、御話を信用申し上げている」わけである。
この先生方が仰ることだから正しい、というわけではない。
同様に、日本国憲法に書いてあるから正しい、というわけでもなかろう。

一方で、いつも異なる論理で発言する人たちが信用されないのも、その人たちが憎いから信用出来ないのではなく、「その話の論理が、つまり『何か』とそれらの組み合わせが信用出来ない」に過ぎない。
これは近所づきあいでも企業内活動でも顧客との関係でも同じ。
理科系分野であろうが社会科系分野であろうが、同じ。

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② 本当は法人でも個人でも、「何が」「何を」で頭を使い、そこで自身をブラッシュアップさせるべきだし、だからこそ人間が協力しあい、かつ競い合うわけで、海外の顧客も我々日本人にそこを期待している。

じゃあ、学生はどうやって自分を売り込めばよいか。
僕には、私には、「何が」「何を」と語るものが何もない、そういう技量も経験もない、だから、「誰が」に頼るしかないじゃないか!?
…というかもしれない、が、そんなの仕方ないことで、どんなに力量がある学生であっても、当の雇用者側にとってみれば、「何が」「何を」の専門的な経験値は「ほとんどゼロ」でしかないのである。

あらためて合理的に考えてみて欲しい。
「何が」「何を」の世界には100点満点など無いよ、その企業のベテランでも、定年間近の爺さまであっても、100点満点などありえない。
「何が」「何を」は日夜変わっていくのだから、誰もがみんな試行錯誤の連続である。 
就職するということは、そういう試行錯誤の「何が」「何を」の世界に入っていくこと。
だからこそ、自分の「何が」「何を」の経験値ではなく、むしろ新参者ならではの「意思・意欲」を押し出すべきであり、その意思をこそ雇用側は評価している。

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③ では、学生はいったいどうすればそういう自分の「意思・意欲」を奮い立たせることが出来るのか?
というだろうが、これも簡単で、日頃から「何が」「何を」を学び続けていれば、そこから更なる興味も自然に湧いてくる。
特に、その興味の関心の対象である「何か」について、どのように成っているのか、あるいはどうなっていくのか、少なくともこのどちらかにおいて、もっともっと興味が湧いてくるもの。

よく就職斡旋の人たちが「何事にも好奇心を持てば就職面接での受けが良い」などというが、こんなのはとんでもない誤謬。
好奇心は自分の経験や知識からのみ湧き出てくるもの、だから他人からどうこう言われて好奇心を奮い立たせることなどできる訳がない。

但し、「何か」を学ぶためには、それを1日に最低でも3時間は集中して考えるべきだ ─ と僕なりの経験則から考える。
それで初めて、自分の思考の素材になり、更なる思考の基礎になる。
30分や1時間では、思考の素材になる前の「情報」で終わってしまう。

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④ 補完的な疑義も付けておく。

「誰が」で構成されている「ようにみえる」世界というのは、もちろん結果的に正論でカチッとまとまっている場合も多いが、一方では「全部が嘘で、お互いに嘘を黙認しあっている」場合もある。
そもそも「嘘」は必ず嘘の仲間が必要、だからこそ嘘分子が往々にして放出し、引き合って結合し嘘原子を構成するのである。
「誰が」ばかりで繋がる世界は、こういうふうに怪しいもの。
製品の事故が起こりそうだと分かっていても、「シ~~ッ!黙ってろ、黙ってろ!」
実際に事故が起こっても、「シ~~ッ!知らんぷり、知らんぷり…」
ふざけんなよ。

「嘘」とは言い過ぎだが ─ たとえば利益率の話ばっかりしている企業や部門というのもあって、そういう集団でも一応は、「我々は世の中のために死に物狂いで頑張っている」という。
ほぅ、じゃあどれだけ商品開発しましたか?どれだけお客様は増えましたか?…つまり、「何の」「売上」がどれだけ伸長しているのですか?」、と訊くと、急に黙ってしまったり。
それで、またしばらくしてから、利益、利益、ほら利益率はこんなに安定していますよ、エェ、なにしろ技術開発投資もやめましたし、新規市場開拓もやめました、新人の雇用もやめましたし、ジジィババァはみんな辞めさせました、エェ、あと数年で店じまい、売却の積もりです、エェ、だからほら、こんなに利益、利益…などと。
本音は納税が、補助金が、と心配で仕方ないのではないか、或いは海外の投資家たちに脅し上げられている、か。
「誰が」ばっかりの世界で糸を辿っていけば、どうしても「こういうリスク」もある。
その「誰が」ばかりを売りにして仕事を斡旋している業者もいるが、なおさらおかしい。

以上

謝辞

ここに提示の記事は、いずれも私自身の判断責任のもと編集・投稿したものです。

大半の投稿は学生など若年層向けを意図してやや平易な表現にて、通俗性は極力回避しつつ、論旨の明示性を重視しつつ書き綴りました。あわせてまた、社会人の皆様にお読み頂くことも想定しつつ、汎用性高い観念知識を相応に動員しながら記した積もりです。

私なりの思考着想によるささやかな閃きが、皆様の諸活動にて何らかの光源たり得れば、望外の喜びであります。

山本