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東京都立川市出身、慶應義塾大学卒業、某電機メーカ勤務にてソフトウェアシステムの海外プリセールス等を経て、現在は教育関連に従事

2013/04/21

不条理を生きる権利

① 人の世は、もともと不条理に出来ている。
人間はみな異なる環境に生まれ、異なる能力を習得し、異なる嗜好も育み、異なる体質と異なる寿命に弄ばれ、だから異なる正義感だっていくらでもある。
いい星回りもあれば、悪いタイミングというのもある。
そんな不条理の塊である人間が何億人も何十億人も居て、それで全構成員の永続的な合意や納得があろうはずもない。
…と記している僕も不条理の塊であり、読んでいる皆さんもそうである。
つまり、この世はもともと本質的に不条理なのである ─ と考えればいちいち思いつめたり憤激したりテロを仕掛けたりすることもない。

不条理の世界だからこそ、たまには面白いことも連続して起こるし、或いは不快なことが立て続けに起こるものであるし、需要も交換も生産も供給も自由な経済活動が続く。
或る時は天才だと褒められ、また或る時は能無し扱いもされ、かと思えばまた持ち上げられたりして。
そんなことを一斉に仕掛けてくる(ように見える)連中も、一人ひとりをよく見れば、みんな不条理にフワフワと委ねられており、時々冷や汗をかきながら走り回っていたりして。
この浮き沈みのスリルを楽しむ権利を、僕なりに「不条理を生きる権利」だと考える。

とはいえ。
どうせ不条理な世界なんだからテロだって許される ─ などということは絶対に無い。
此度のボストンテロの(今の時点での)容疑者は若年者であり、格闘技も嗜んでおり、さらに何よりもチェチェンからの移民筋であるとのことで、たしかに90年代半ばからチェチェン共和国はロシアからの独立抗争を苛烈化させ、劇場占拠や学校占拠をはじめ血なまぐさい事件を起こし続けて悲劇的な展開に至ってきた
…と、ここまで考えるとこの悲劇性は心情的に何ともやりきれない。
だが、秋葉原のテロも同様だが、たとえテロ犯がこの世界の不条理に委ねられた挙句のことだったと自認しているとしても、そのテロで死傷させられた人々は最早この世界の不条理のスリルを楽しむことすら出来なくなってしまった。
自分が不条理に弄ばれてきたからといって、自分だけが一段上に上って条理を謳い、他者の「不条理を生きる権利」を永久に奪ってよいはずがない。

いや、一神教の世界は絶対の条理がある ─ というかもしれないが、キリスト教やイスラーム教などであっても、世界は不条理があるという前提での生きる知恵を説いているし、一神教の歴史を紐解いてもれば、やはり不条理を暫定的な正義で裁きつつ、今に至る。
世界は本質的に不条理なればこそ、暫定的な正義として法があり、税があり、代議制があり多数決もあり、技術規格があり、上流と下請けがあり、中央と地方があり、大学があり偏差値がある。
暫定的だからこそ、自由な需要を黙殺圧殺し、供給ばかり調整し、特定者ばかりが儲かるという、そんな経済システムさえも導入され得る(そういうのを中央集権とか社会主義経済などという)。

全て、不条理の塊の誰かが、不条理の世界を生きぬくため、不条理なルールと承知の上で定めた暫定的な条理のフレームでしかない。
そうするしかないからだ。

僕は復讐は認めるし、卑怯な相手は背中から狙撃してやってもいいと見做しているが、それだって互いの「暫定的で恣意的な条理」が拮抗している範囲内においてのこと。
一方だけが自前の条理を確立させつつ、相手はどうせ不条理に生きているのだからと背後から狙撃してよいはずがない、と考えるのである。

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② さて。
暫定的な条理をずっと融合し続けていけば、いつか永続的な条理に完結するだろうか。
そんなことはない、どこまで行っても不条理さ、という人々がほとんどで、だからこそ「合成の誤謬」が当たり前だと一般に考えられているのではなかろうか。
原発事故のあとは、尚更のこと。


かつて養老孟司氏は幼少時の戦争体験を想起されつつ、不条理の世界において何か絶対に変わらない真理だって有るはずだと思案され、そこから解剖学に進まれることになったそうな。
だいたい自然科学の道に進まれる人々は性根の生真面目な人が多いようで、不条理のどこかに必ず確固たる条理があると考えられるようである、が、合成の誤謬も数理的な試行錯誤から出てきた着想であるらしい。
養老孟司氏も、世界は不条理が当たり前であり、暫定的な対処で事にあたるしかないと仰っている。

金融や保険や不動産の業界は、資本の調達運用効率を高めるために努力もしてきた、が、同時にカネばかり摘んで何ら生産的な仕事をしない連中も増やしてきたことだろう。
ああなんという不条理か!
そんな狡いだけの法人をリストラすれば、金融も保険も不動産もぐっと効率的に機能し、デフレも不況もぐっと小規模で済んだだろう…と判断するのが暫定的な条理。
さあそれでは、と、ROEだのBIS規制だのと便乗企業のリストラを突き詰めていけば、金融や保険や不動産の運用効率がどこかで却って悪化し、ひいては経済活動が縮小してしまう。
それを眺めた別の人々が、ああ、なんという不条理か!と続く。


IT事業者が追求してきたネットでのサーチエンジンは非常に便利なアルゴリズム技術だが、同時にネットでの誹謗中傷の閲覧機会も増やす。
たとえば、グーグルやヤフーで「安倍晋三」と入力すると、所謂サジェスチョン機能が働き、すぐに中傷記事の引用に行き着く。
ましてや「小泉純一郎」と入力すると、中傷ページのヒット数は更に多い。
国会の代表者にして内閣政府の最高統率者である総理大臣に対する中傷記事を、子供でも閲覧出来る状況になっている。
サーチエンジンを開発した研究者も、サジェスチョン機能を充実させた技術者も、それを普遍させた営業担当も、その環境に投資したクリック広告事業者も、そこに投資する一般企業も、それぞれはネット中傷やバッシングなど企図してはいなかっただろう。
が、それらの集積が、総理大臣への中傷記事の公開をもたらしてしまう。
暫定的な条理を求めたシステムとは、新たな不条理(外部不経済)をもたらすものである。

(もっともこの不整合についてはちょっとした改善にもすぐに思い当たる。
たとえば検索時に「安倍晋三」だけではなく、たとえば「安倍晋三」∩「TPP」∩「地域経済」という具合に必ず複数データ項目でマッチングを取るよう入力系を多重化すれば、少なくとも根拠レスな中傷記事への自動誘導だけは避けることが出来るとも考えられる。)

とにかくここで申したいことは、人の世は全て不条理の連続であるが、だからこそ我々は暫定的な条理に凝り固まることなく、また憤ることもなく、その不条理の大海を逞しく泳ぎ続ける権利を謳歌していこうとの一点に尽きる。

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なお本旨については、以下の本が更に深い洞察を誘う ─ かもしれない。
『阿片戦争』 陳舜臣
『世界史の中から考える』 高坂正堯
『悪意なき欺瞞』 ジョン・K・ガルブレイス 
『大国の明日』 ヘルムート・シュミット

以上

謝辞

ここに提示の記事は、いずれも私自身の判断責任のもと編集・投稿したものです。

大半の投稿は学生など若年層向けを意図してやや平易な表現にて、通俗性は極力回避しつつ、論旨の明示性を重視しつつ書き綴りました。あわせてまた、社会人の皆様にお読み頂くことも想定しつつ、汎用性高い観念知識を相応に動員しながら記した積もりです。

私なりの思考着想によるささやかな閃きが、皆様の諸活動にて何らかの光源たり得れば、望外の喜びであります。

山本