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東京都立川市出身、慶應義塾大学卒業、某電機メーカ勤務にてソフトウェアシステムの海外プリセールス等を経て、現在は教育関連に従事

2013/05/29

経済学を学ぶ理由


経済学は、社会科においてはかなり理論化が進んでいるフィールドである、とよく言われるが、まだまだ虚構性も高いと考える。
その理由を以下に記す。
とはいえ ─ いや、だからこそ予め記し措くが、我々は経済学の素養センスを是非とも高めておくべきだろう。
これからますます人々の職能が細分化されていくとともに、経済学的な着想が随時問われていくと考えるため。 


<経済学の虚構性: 本当の需要を明示しきれていない

いやいやそんなことはないだろう、需要とは買い手の意思であって、それはちゃんと価格で提示されているだろう、だから予算化もされるのだろう…とたちまち反論されるだろう。
しかし、需要と供給の均衡価格と称されるものは、実はすべて供給価格のみであること、言わずもがな。
それどころか、購入希望価格として明示されたさまざまな価格レンジさえも、本当の需要ではない。

本当の需要は、買い手の脳内心中に在り…つまり交渉以前の無形の未来であって、それが需要価格=予算として一律に数値化されるはずがない。
ある財の需要価格と供給価格が均衡し、つまり取引が成立した瞬間、いやそれ以前に、もう次の新たな財の需要が買い手の脳内心中に生じている。
そもそも、売り手だって同時に何かの買い手であり、やはり常に自分なりの新たな需要に駆られている。
ただ、それらを相手に口外すれば自らが不利になるから、黙っている。
その黙っている需要こそが未来の需要である。
こんなこと、実際に自由競争のビジネスに携われば誰だってたちまち体感すること。

財や為替通貨の需要を、実際には供給実績価格であるにも関わらず、需給の価格均衡を唱えて予算化する手法は、統制経済(社会主義経済)における便法ではないかな、と考えたこともある。
なぜなら統制経済(社会主義経済)は、まさに財貨や通貨の需要幅を政府が一方的に定義するシステムだからである。
それらは、財政やGDP実績やマネー流動量や発行量、株価や貿易実績における経験値から供給価格ばかりを演繹し、予算化し、それで需給の均衡ですなどと言っているにすぎない。

むろん公共事業とはそういうもので、自分自身が若干はそういう世界と折衝したこともあったし、それを良いとか悪いとか言っているわけではないが、マクロ経済学はあくまでここに留まっているのではないか。
それは一見、無駄を省いた財政運営のようであり、金融証券保険による景気の宣託のようであり、世界市場一体化のようでもあり、社会科の本質のようでもあり、数学的なインテリジェンスの粋でもあるようでいて。
実際はこういう需要固定型の学説には職業人の其れかあらぬかの徒事まで含めたスリリングな匂いが無い。
経済学ではなく、統計数学でしかない。


<経済学の可能性: 本当の需要を予測出来るか

買い手(および売り手)の脳内心中の本当の潜在的な需要は、いったい何に依るのだろうか。
なぜそれらは流動的なのだろうか?
蓋し、経済学の本旨が財や通貨の受給の未来予測であるのなら、これこそが経済学の知的探求の所以ではなかろうか。
よし、そこまで探り出そう ─ 理数的な人間の行動分析も総動員して ─ といういわば経済探偵学が、ミクロ経済学の本質ではないか、と考える。
これこそが未来予測のダイナミズムであり、理科と社会科の融合でもあり、実学でもあろうか。
たとえばドラッカー氏、クルーグマン氏、日下公人氏といった先生方は概ねこちらに立脚されているのではと察している。
(だから、これらの先生方を右派だの左派だのとマクロ経済の高みから色分けするのは全く間違っている。)


需要は常に、我々のうちに姿形を変えて在る。
特に若いうちほど、そうである。
何を買っても、何を売っても、いや見聞きするだけでも、それらたちまち、おのれのうちに新たな需要を生み出す。
それらこそ、でっかい未来として、何かウズウズと出番を待っている。
それらが新たなアカデミズムと、新たな産業と、新たな市場と雇用とをもたらす。
需要価格として数値化・予算化されるのは、そのうちほんのわずか、ほんの今だけ。 

経済学を志す人たちには、この本当の潜在的な需要予測、スリリングな未来予測を追求して欲しいものだ、とそっと願っている。

以上

2013/05/26

英語教育はどうあるべきか (2)


① まず、実践的な話から。
英語教育ではあいも変わらず、文章を文法的に分解し、諸要素として分析させるという手法が大手を振るっている。
つまり、S(主語)+V(動詞)+O(目的語)+C(補語)といった類の分析型読解である。
あくまで僕個人の主張ではあるが、学生諸君にはこんな勉強お勧めしません。
また、ゆくゆくはこんな分析型読解指導は廃止してほしいものである。
こう否定的に語る理由は、とてつもなく簡単。
英文は英語圏の人々が「或る思念をメッセージ化して記し、語る」もの、つまり、どの英文もひとつの意味が完結している。
その意味の完結した英文をわざわざ単語に分解すれば、全体の意味が不明瞭になること、当たり前である。
日本語を読み書きする我々が、いちいち頭の中で単語を品詞で定義しながら文章を作っていますか?
ロボットじゃないんですよ。

なるほど、数学であれば要素の和がその集合全体と等価になる(場合もある)。
化学だのでいえば、諸要素の合成は、全体と等価どころか同量にもなるといえよう。
しかし言語は、そうではない。
個々の単語と全体メッセージは、むしろ必ず意味が異なる。
たとえ個々の単語の属性が相互間の結合オーダーを決定しても、それらが全体を決定するわけではない。

早い話が ─
"Bertrand Russell collected the signatures of nine other eminent scientists and issued the proclamation that became known as the Russell - Einstein Manifesto."
…という英文について。
これを 「うーん、Russell が主語、collected が動詞、the は冠詞で signatures は署名、あ、先生?次の of はどうして by ではいけないんですかぁ?」
「ああ、それはね、of は~のという所有を表す前置詞だからで、うーん、by でもいいような気がするんだけど、それよりほらほら、次の nine other に注意してね、これは other nine signatures と書いても文法上は正しいんだよ、但しその場合には others は形容詞じゃなくて副詞で…」
─ なんて具合にグダグダと議論していて、この英文の総意を一気に理解することが出来ますか?

この英文を記した人物からして、ウーム、proclamation は名詞、became known の known は過去分詞つまり受身だぞ…などといちいち思案して書いたわけがない。
それから、collected も issued も他動詞であるか自動詞であるか…という分析もほとんど実効性がなく、むしろ誰が何を collect して何を issue したのかを読み取れば文意がわかる。
これは経験則によるしかなく、単語と単語の相互関係を互いの属性から導きあってもしょうがないのである。

上の引用文において、基幹的な語である of にせよ、other にせよ、文意そのものを憶測すればこそ却ってそれぞれの意味が判るというもの。
of についていえば、これは前置詞ですよなどという品詞分類は無意味で、むしろ「of は質的に同じものをつなぐ」と諒解した方がはるかに意義を把握しやすい。
United Kingdom "of" Great Britain and Northern Ireland
United States "of" America
それぞれ、なぜ "in" ではなく "by" でもなく、"of" なのかと思い立てばもう一目瞭然、グレートブリテンと北アイルランドの合計がこれすなわち連合王国であり、合衆国そのものがアメリカなのである。
(日本語の 「の」 が寧ろ不明瞭であって、この助詞は日本語から撤廃すりゃいいのに、と僕は常常考えているくらいである。)
それから、"nine other eminent scientists" と "other nine eminent scientists" の違いも、品詞で判るものではなく、前者はラッセル自身以外の傑出した科学者が9名居るの意で、後者はラッセルたちの組とは全く別に傑出した科学者の9人組が居るという意味にとれる。
これらの判断も、前後を読めばこそ出来ようもの。

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② なお、産業力強化のため企業内で英語を ─ というところ、実はちょっと疑問符を付けたい。
この戦略のベースに在る着想は、英語で購入した素材を英語で最終的に販売するにあたり、いちいち日本人向けに日本語に転換するアクションが「余計なコスト」だというところでしょう?
しかしですね。
日本人の日本語の発想を「コスト」だと切り捨てておいて、それでいったい何を作って何を売ろうってんですかね?

僕は製造業あがりなので、いろんな職能分野について見聞きしてきた積もり。
それですぐに思い当たるが、たとえばハードウェア駆動系の微調整について「全部英語でやれっ!」と指示が出た場合、本当に従来のような尖鋭なモーターや光学処理系の製造や品質管理が出来るんでしょうかね?

いわゆる英語圏お得意のモジュール型(ソフトウェア型)組み換え製品ならば、「グッド」「ウェルダン!」「イナフ!」などとロジカルコマンドで簡単に切り貼り出来る、かもしれない。
ただし。
世界的に知られるトヨタのかんばん方式についての概説をどこかで読んだことがあったが、その本旨は欧米企業が追求する在庫低減のリーン生産メソッドにはあらず、むしろ極度に複雑なライン並走化の保持であり続けているとのこと。
そういうそれぞれ別系統の部材技術の専門部隊を ─ だからそれぞれ動詞コマンドだって異なるであろうところを ─ 全部英語式の一律のロジカルコマンドで束ねることが出来るのだろうか?

企業内で英語力を、という路線については、あくまで輸入~販売までのコスト低減に勝負を賭ける商材に限ってであれば、社内コマンドを全部英語に置き換えてもよいかもしれない。
また、一部のソフトウェアマニアが咆哮しているように、IT関連の商材であればこれも海外労働依存度が高く、コスト低減が勝負を左右しようから、社内を全部英語コマンドで統一してもよいような気もする。
同じ理由で、金融関係などが全部英語で、というなら、これもなんだかぶきみではあるが理解出来なくもない。

さはさりとて、それらが本当に日本の命運を左右するほどの産業たりうるのだろうか。
本旨についてこそ、もっと議論さるべきであろうかと考え及ぶ昨今である。

以上

2013/05/17

シャーロック=ホームズ


飛行機は、わりと深夜便が好きである。
とくに着陸15分前の、機体から下にのぞむ夜景が、ワクワクするほどに楽しい。
さらに見やれば、ヘッドライトを照らしつつ道路を走ってゆく車両やトラックさえもが、もうすぐ眼下に判別出来る、そのタイミングこそ至福のとき。
さあ、この国で、この町で、いったいどんな連中が俺を待っているのかな、と、いろいろな想像が膨らむ一方だ。

ふと、機内に視線を戻すと、ちょっと離れた座席では相変わらず一人の少女が本を読みふけっている。
それは英語本のシャーロック=ホームズ、表紙は有名な『赤毛組合』か、読んでいるその娘もやや赤い髪をしているのを見やればアイルランド系かもしれない。
旅慣れているのか、あるいは着陸に向かって降下し続ける飛行機にそっと緊張しているのか、一心不乱に読んでいるその娘がおかしくてたまらない。

やがて、ゴゴゴッと機体は着陸し、それからのっそり、のっそりと着陸ゲートにむかう。
こっちは時差の関係でさして眠くもないため、さてこれから夜明けまでどうやって眠りにつこうか、と軽く思案してしまう。
入国審査を済ませて、ホテルに向かうタクシーの列に加わる…いや、その前にちょっとだけタバコを。
腕時計と相談しながら、いそいそと喫煙ブースに向かう。

その喫煙ブースの中で数人がタバコを吹かしている。
「ちょっと、君…そう君だ、日本からだね?」
と僕に話しかけてくる痩身の白人紳士がいて、僕はちょっとだけドキリとする。
それでも、ああそうですよ、と答えると、さらにこの紳士は僕の顔や靴などをすっと一瞥して、「君は仕事で来たんだね、IT関係だろう?」と立て続けに語りかけてくるのである。
「いったいなぜ、そんなことが判るのですか」、と僕が訝しげに訊き返すと、この紳士はフーーーとタバコを吹かしつつ続けるのである。
「おほん。まず君のタバコだ、そのマールボロはアジアのパッケージだ、それから君の歩き方、中国人ではないね。それから首や肩だ、フォーマルスーツをかなり着慣れた形と見た。それに君の書類入れ、ずいぶん大きいが、しかし他の荷物は衣類だけじゃないか。ということはその書類入れの中にパソコンとドキュメンツの束をぎっしりとまとめて持ってきて、この国でまとめて作業する積もりだろう。そんな完結的な仕事をするのはIT関係だけだ。さらに、もし君がエネルギー関係のビジネスマンなら、こんなところで時間を弄んでいるわけもなく、とっくに出迎えのベンツに乗って一流ホテルに直行のはずさ」
ここまで聞いて、僕は思わず吹き出してしまう。
「そうです!その通りですよ、まるでシャーロック=ホームズですね、貴方は」
こう言ってやると、紳士はフンと軽く歌うように鼻を鳴らし、「僕はもっと賢いんだよ」と独りごちて、微笑んだ。


そんなふうにちょっとだけタバコを吸ってから、僕はあらためてタクシー乗り場へ。
異国の夜空の下、風情の全く違う連中の列に加わってタクシーを待っていると、なんともスリルが胸の奥からこみあげてくる。
やがてタクシーが来るので、それにサッサと乗り込み、予約済のホテルに向かう。
運転手はインド人で、やや聞き取りにくいアクセントではあるが、「俺のタクシーは良心的なんだぞ、メーター以上のカネは絶対に請求しない。ノープロブレムだ」と云う。
「へぇ。それじゃあ性質の悪いタクシーも出回っているんですかね?」 と僕が聞きかえすと、運転手はそうだよと答える。
「たとえば、どういうタクシーに気をつければいいんですかね?」
「そうさなあ…たとえば日本人に対して、馴れ馴れしく友達みたいに装って、俺は天然ガス大企業の関係者だとか、荷物をホテルまで運んでやろう、そこにベンツが待っているから、などと言ってね…」
「ほぅ、それから?」
「それから、ぐっと遠回りをして、町外れの小さなホテルまで連れていき、そこで法外なチャージをするのさ」
「へぇ」
「真夜中だし、もう他にタクシーなんか無ぇし、それにそのホテルの界隈はガラが悪いときたもんだ」
「ふーん」

やがて僕は予約のホテルに着くと、もう深夜3時である。
そのまますぐシャワーを浴びて、ベッドにひっくり返る。
ベッドの脇の小さな書庫には、シャーロック=ホームズの挿絵の本が有り、それは燐を塗られた野獣が大口を開けて襲いかかってくるという『バスカヴィル家の犬』。
ちょっと手にとってみるが…いや、やめておこう。
夢のまた夢、さらにその夢、きりが無さそうだ。


以上

2013/05/14

パスポート

一般に紙幣や証書などの偽変造をハードウェア技術としては "counterfeit" と定義し、制度上の虚偽としては "forge" と範疇分類しているようである。
どちらもそれなりに使う表現だが、それはさておきつい先日、 「パスポート」の偽変造についてかなり驚かされた場面にたまたま立ち会ってしまったので、ここに記す。

或る教育指導者が、学生に向かって、「パスポートの偽造なんかね、そこら中で簡単になされているんだよ、あははは、だから怪しいやつが日本に出入りしてんだよ」 などと冗談めかして説いていた。
これを眺めていた僕は、唖然としてしまった。
とっさに、「バカなこと言うな!」と威圧してやろうかとも思ったが、それだと却って僕が不自然な人間だと見做されるかもしれず、また本人はふざけ半分であったのだろうとも察し、だからその場は黙殺しつつ別室でチラリとこの人物に諭しておいた。

このブログは学生諸君も覗いているだろうから、ここでハッキリ断っておく。
「パスポートの偽造、変造は絶対に出来ない」、かつ、「偽変造パスポートの保持も発行も許されない。」
その理由を以下に記す。

① まず、少なくとも日本人向けに日本で発行されたパスポートは、絶対に!偽造も!変造も!出来ないマテリアルである!
今しがた、僕が不自然な人間に見做されるかも…と記したが、まさに僕は偽変造防止にかかわる不自然な業界と取引していた経緯もあり、またそういう特殊技術の専門企業と技術的な交渉に立ち会ったこともある。
だから、日本で発行されたパスポートが絶対に!偽変造出来ないという、その技術的保全性の傑出した高さについて知っている。
たとえば、製本されているパスポートはひとたびバラしたら二度と復元は出来ないよう、実に巧みな構造で作り込まれている…だから一度バラしたら誤魔化しようがなく、ただちに偽変造の要件たりうる。
またパスポートの各ページも、如何なる光学的技術を用いようと完全な複写は出来ないので、あえて複写したならすぐにそれと知れてしまう。

これ以上は書かないし、書けないが、ともかく日本で発行されたパスポートは絶対に!偽造も変造も出来ない。
では諸外国のパスポートはどうか、といえば、これとて偽変造など出来ないように製造されている「に決まっている。」

② パスポートは、その被発行者が発行国内の法を適用される”人間”であることを証する。
だが、偽変造パスポートの保持者は、自分がどこかの国・地域の国内法を適用される人間であることも証明し得ない。
偽変造パスポートを保持することはもとより、発行することも、国際間のセキュリティ保全コストを増大させることになる。

③  少なくとも、日本人向けに日本で発行されるパスポートは、その被発行者が日本国内法の領域外を渡航・居住する場合に、その人物があらゆる可能な限りの保護と扶助 ("every possible aid and prtection") を享受出来るよう、それらの国の関係諸官("all those it may concern") に要請するものである。
これらは特定の相手国向けの宣言ではなく、被発行者が渡航する如何なる国(地域)に対しても無差別に宣せられている。
偽変造パスポートを発行することも、保持することも、あらゆる渡航滞在国に対してその発行元の国の制度上の信用を流用したことになり、もちろん偽変造パスポート保持の積極的な事由も無いため、大抵の場合は悪用したと見做される。

④ 上の②と③の理由から、パスポートは国家と被発行者の関係以外、如何なる法人・個人間においても交換・売買の対象になりえない。
だから、偽変造パスポートを経済的な算段によって純正なパスポートと交換出来るわけがない。

…と、簡単に思い当たるだけでも上記4点の理由から。
偽変造パスポートについては、その発行地がどこであろうと、その保持者が本当はどこの国民であろうと、また事由が何であろうと、個人および国家の信頼を大きく損ねるものであり、保持も発行も許されない。
そんな偽変造パスポートについて、実社会の責任意識に比較的乏しい未成年/学生に面白おかしく仄めかすような物言いは、たとえ冗談であったとしても絶対に許されるものではあるまい。

(なお、EU地域におけるパスポートがどのような法定義に則ったものか、実物を見たこともあったのだが忘れてしまった!もちろん複製など有り得ないので何とも語りようがない。)

以上

謝辞

ここに提示の記事は、いずれも私自身の判断責任のもと編集・投稿したものです。

大半の投稿は学生など若年層向けを意図してやや平易な表現にて、通俗性は極力回避しつつ、論旨の明示性を重視しつつ書き綴りました。あわせてまた、社会人の皆様にお読み頂くことも想定しつつ、汎用性高い観念知識を相応に動員しながら記した積もりです。

私なりの思考着想によるささやかな閃きが、皆様の諸活動にて何らかの光源たり得れば、望外の喜びであります。

山本