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東京都立川市出身、慶應義塾大学卒業、某電機メーカ勤務にてソフトウェアシステムの海外プリセールス等を経て、現在は教育関連に従事

2013/09/22

入試英語の学力を必ず伸ばす方法

なんだか、もう聞くに耐えないデタラメが英語教育に横行続けているようで。
しかも昔からずーっと改善されていないようで。
まったくもって安易であり、横着であり ─ つまりはぜーんぜん頭を使っていないようである。
以下にまとめてコンパクトに反論しつつ、僕なりに考えるまともな頭の使い方を記す。

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① SVOCで文章を類型化しても、英文解釈とはならない!
とにかくヴォキャブラリーを増やせ!

まずは、ちょっと飛躍するようだが、以下のような化学式について考えて欲しい。
(化学式そのものを理解出来ようができまいが、ここでの引用の意味について無理やりにでも理解して欲しい)。
NH3 + HCl NH4+ + Cl-
「ハーイ、これは配位結合式ですね、おわり」
…という具合に、これで1つの命題解釈は終わる、かもしれないが、実際の化学の論題はそんなものではない。
そもそも NH3 とは何か、HCl とは何か、そして NH4+ + Cl- とは何か、どういう電子対にどういうイオンが配位結合したといえるのか、といった科学的属性によってこそ、イオン反応が決まっている。
しかしながら、イオン反応の類型によってこれら化合物が決まるわけではない。
更に実際の論題は、これら化合物のイオン反応に則った引用や実証例が挙げられたり、展開論が転々と演繹されたり、疑義反論が挙がったりして、一応の総論に至る。
だから、NH3 やHCl の属性について知らなければ、「これは配位結合式」などと類型パターンを覚えたところでどうにもならない。

…と、ここまでふまえて。
さあ今の引用についての英文解釈を考えてみる(とはいえ、ここは僕なりの強引な英作文)。
Ammonium has its own redundant lone-paired electrons neutralised with outer positive-ionised hydrogen, which in turn form coordinate-bonded molecule composites as of NH4+ ... .

こうやって英文にしてみると、早速またまたSVOCを持ち込む先生が多いんだね。
「はい、いいですか~、Ammoniumが主語(S)で、hasが動詞(V)、neutralised はhasを受けて分詞になってますね~、positive-ionised はhydrogen を修飾してますよ~、formもまた動詞(V)で~、molecule compositesが目的語ですが、この場合はそれ自体がそうなるのですから目的補語(C)といってもいいかもしれませんね~」
いったい、こんなふうに文章の類型回帰をいくら続けたところで、それで英文の何が理解出来るというのか。
こんなもの英文解釈の講義でもなんでもない。

これらのneutralise, ionise, cordinate, composeという動詞、およびammmonium, electrons, molecule, hydrogenといった名詞、これらの限定的な意味の合算によってこそ、この文意が成立している。
それをいちいち動詞だ目的語だと類型回帰するのは、文意の無機的な分解でしかない。
まして、これらヴォキャブラリーの意味を知らなければ、現実的な英文読解の論説文についていけるわけがない。

では英文法には意義が無いというのか!と気色ばむ人もいるかもしれないが、そうは言ってない。
ここでは、英文法そのものがヴォキャブラリーによって決まるのだ、と念押しをしているに過ぎない。
とにかくヴォキャブラリーを増やしなさい、類型化で誤魔化して逃げるのはやめなさい。
学生たちへ、というより、これは英語教育に携わっている全ての人たちへのお願い、無意味なトークでカネを取るのはよせ。

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② 読解の速度を上げることを心がけよう。

化学式でも、経済学でも、簿記でも情報処理でも、そして外国語の理解においても、接する上での適度な速度というものがある。
入試英語の文章くらいになると、普通以上の思考速度の人が書いたものだと考えた方がよい。
だから、出来れば執筆者に近いスピードで読解出来れば素晴らしい。
それを、SVOCなどといちいち類型回帰ばかり熱心に、ゆ~っくりゆ~っくりと、常人の意識の数倍もの時間をかけて読んでいてはいけない。
相撲やボクシングやサッカー中継をとてつもなく減速再生するがごとしで、何やってるのかまともに理解出来るわけがない。
(敢えてゆっくり、ゆっくりと解析してメリットがあるのは、きっと学術論文や法律における「解釈論争」の時くらいだろう。) 

速く読解するポイントは、たった一つ、ヴォキャブラリーを増やし、文意ひいては文脈を確実に捕捉すること。
そしてこれには効用が十分にある。
①に記したとおり、ヴォキャブラリーの組み合わせによって文意は決定される ─ つまりは、「ヴォキャブラリーには用法の相場というものがある」。
文章を速読することで、その相場を実感することが出来るようになる。
ちょっとヴォキャブラリーを目にしただけで、「あぁこれは途上国の政策と利害損得についての論説だな」という具合に、読解の心構えも定まってくるもの。

もちろん、あらゆる英文読解がそうとは限らないが(一橋や東京外語大の出題のように主題を掴みにくくイライラさせる英文もあるが)、そこを我慢して読み進めるだけの忍耐力も、速読力によってこそ培われるものである。

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③ 英語は博学のツールである。
少なくとも英文解釈に理科系と文科系の分類などないので、一切意識せず、日頃から広範な学識に触れること。

英語はおもに科学技術と戦争とスポーツとビジネスと司法で発展してきた言語であり、したがいあらゆる実在を対象として、論説を進めるツールである。
あらゆる実在を対象とする以上は、その対象物は結局のところ、(日本人のいわゆる)理科系分野が対象とする素材や現象となる。
ゆえに、英語の動詞も理科系のコマンドがほとんど。

大学入試だけが英語学習の目的ではない
 ─ それはその通りだが、しかし博学的な見識を広めるツールとして、入試英語はけして無駄ではない。
その一方、英語教育において理科系とか文科系と分けたがる人たちには何ら論拠は無いように察せられる。

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④ 英作文は、おのれの最も使いやすい名詞と動詞をまず据えることで、論理的にまとまった英文が書きやすくなる。

採点者は英文法と語法の正確さを見るのですよ、という。
それはもちろんそうだが、しかしそれだけなら個々の箇条書きで済まされるものに如かず、着想力を見極めることにはならない。
特に女子に多いのが、バラバラな表現をほわんほわんとくっつけ合わせる技法。
個々のディテールは丁寧だが、全体としてパンチの効いたシンプルなメッセージとはなりにくい。
(床屋で女性の理髪師に切ってもらうと、実に細やかに、そしてやさしく丁寧にカットしてくれるが、髪型としてはあまりインパクトが無い ─ それに似ている。) 


ここで、ふと思いついた【例題】 ─ 以下の日本語を英訳しなさい。
『今日は休日で朝からプレステの野球ゲームにふけっていたら、いつの間にか日が暮れており、シャツを干すのを忘れていた。』

最初から一筆書きで文章をつくろうとすると、途中で時間の前後関係や事態の因果関係が循環してしまい、あるいはバラバラに乖離してしまい、どんどん書きにくくなる。
まず、誰が、どうする ─ この「どうする」を具体的に思いつくまま書いてみる。
そこで思いつく動詞が名詞とのコンビネーションを決め、時制も不定詞も態も決める。

(1)今日は休日「であった」…すぐ思いつくのはbe動詞、だがenjoyを使ってもよいし、spendを用いても悪くなさそうだ。

(2) ゲームに「ふける」…spend, be engaged in, forget, enjoy, drown などを思いつくか。
そうすると、たとえばこんなフレーズが出来る。
I spent hours in Playstation baseball games.
I have been engaged (caught) in baseball on Playstation gadgets.
I forgot hours passing by while I enjoyed Playstation baseball.

(3) 「日が暮れる」…こちらはあまり思いつかないが、set, end, go down などをひらめくか。
The sun already set.
The sunshine went down.
The daytime ended.
It was already late evening when ...など。

(4) 次に、シャツを「干す」…dryが妥当だが、exposeも使えそうだ、もっと大胆な動詞用法でairというのもある。
それを「忘れた」のだから、たとえば。
I forget to dry my shirts.
I missed chance to air my wet shirts.
I regret I didn't expose my wet shirts to sunshine.

以上のごとくパラパラとひらめいた(1)~(4)を、ササッと問題用紙にメモれればよし。 
いよいよここからが、自己流の着想力の見せ所。
ここで動詞同士の最適な連結を図る、と、たとえば(1)と(2)でともにenjoyやspendを起用していることに気づく。
それならば、Today I enjoyed my good holiday hours on Playstation baseball games.
(3)と(4)もくっつけると。
Today I enjoyed my good holiday hours on Playstation baseball games, "so" I forgot to dry my shirt "before" the sun set.
これが一番わかりやすい時系列。
ただ、 ここでは「干す」と「日」は因果関係そのものなので、それらをまとめてもっと洒落た表現だって出来うる。
Today I devoted myself to Playstation baseball game until the late evening, when I noticed I missed my holiday chance to have my shirts "dried in the sunshine hours".

ちなみに、Playstation と baseball と game という名詞をズラズラっとぶっ続けで一つの名詞としても構わない、いや、むしろその方がいい。
名詞を捻出するさいは、フランス語などのような"A of B"の型はあまり使わない方がよい。
その理由は、ofでズラズラと連結すると、何が何に含まれているのか或いは同等なのか、だんだん判然としなくなるからである。

以上

2013/09/19

ヨーロピアン

なぜヨーロピアンに憧れるのか、というと、それは彼らには「尊厳」と「美学」があるからだ、という。
一方で、モンゴロイドには「尊厳」も「美学」も無いからイヤだ、という。
それが大半の若者の本音だろう。
もしも生まれ変わったら、絶対にヨーロピアンになりたい、という。
僕だってそうだったし。

「尊厳」については、ヨーロピアンにはイザとなったら命を捨ててでも黒を白と言いくるめる頑強な精神性があり、ああこれは、カネによってヘイヘイコロコロと人生を棄てる卑怯なモンゴロイドとはきっと魂の密度が違うのだろう、と考える。
だからヨーロピアンに憧れる。
では、自分はそういう高純度かつ高密度の精神性を持ち合わせているだろうか、と考えると、どうもそんなことはなく、だからイザとなったらヨーロピアンに一方的に洗脳され懐柔されちゃう。
…という思案が働くと、もう「尊厳」は、ヨーロピアンを憧れる理由とはならない。

では「美学」はどうか、といえば、これまたハッキリ、ヨーロピアンの森林も海岸も住宅も、色彩感覚も、言語のアクセントもとてつもなく綺麗だ。
ゴミ溜めみたいなアジアや日本とは、天と地ほどの違いがある。
だからヨーロピアンに憧れる。
しかし、自分がそういうヨーロピアンの世界の一員として骨を埋めることが出来るだろうか、音感も色彩感覚も先天的に違う(ように見受けられる)世界で同じ美学を構築出来るだろうか、と直観してみれば、ああこれは無理かもしれないなとどこかで諦めてしまう。

と、いうわけで。
「尊厳」「美学」のいずれも、ヨーロピアンにほわんと憧れるきっかけにはなるが、最終的な目的とはなりにくい。
にもかかわらず、我々日本人がヨーロピアンに憧れる理由は、なんだろう?
はい、もう分かりますね、それは「消費購買」の意欲。
ヨーロピアンの「尊厳」に迎合し、ヨーロピアンの「美学」をつまみ食いする、そういう「消費購買」の意欲ですね。
「消費購買」だけならば、カネだけでどうとでもなる。
と、いうことは大半の欧米人も分かっているので、「ハイ、ご苦労さん、我が国でどんどんカネを落としていってね」と内心ニヤニヤしているだけです。

やっぱり、欧米に買い物に出かけるのではなく、自身がヨーロピアンから高く高く買われる存在となるべきでしょうね。
先方だって、本音としてはそういう日本人を求めているんですから。
経済はいつも競争、競争では他律的な消費に回っていればいつも損をする、コップ一杯の水に1万円を支払う羽目になる、でも自律的に優れた供給能力をもつ者は常に売り手として有利となる。
だから、ひたすら「供給能力」を高めなさい。

実際のところ、他のモンゴロイドはさておき日本人のテクニカルな「供給能力」は極めて高く、多くの分野で大抵のヨーロピアンを既に上回っている。
だから、ヨーロピアンに対して何ら引け目はないぞ、と、とりあえずは自信満々。
だが、いざ自分が何らかのテクニカルな「供給能力」でトップクラスを目指すとすると、ヨーロピアンのトップクラス連中と激しく鎬を削ることになる。
うわぁ、そんなものとてつもなくキツそうだから嫌だ、やっぱり「消費購買」だけでいいよ
…なんてジジババみたいなこと言ってないで、そこを強い気持ちと激しい感性と深い学識で乗り越えないと。

以上

2013/09/08

東京オリンピック

2020年夏のオリンピック開催地が東京に決まった。
さぁ、オリンピックを迎えるにあたり、とりあえず以下のようなことをあらためて考えている。

・スポーツは本来的に、頭脳および肉体、すなわちハードウェアの性能品質を競うべきである。
・ハードウェア(実体)による体現化(materialisation)なくしては、ソフトウェア(ロジック)は宙に浮いたままで、起動しない。
・或る国民にとって自律的な資源や製品は、いつでも常にその生産するハードウェアであり、その能力の貧弱な国民は市場経済において他律的な買い手に留まる。

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① 世界最高レベルのアスリートを日本で続々と育て上げること。
とくに、これまでずっと日本人が見て見ぬふりをしてきた最重量級、つまりヘヴィ級のボクシングで、今度こそ金メダルを獲得しよう!
これまでずっと白人や黒人が最上位に君臨してきたヘヴィ級ボクシング。
スポーツの本質からして、これほどおかしな現実は他に無いのではないか。
先天的な人種格差、と片付けてしまうのは安易に過ぎるでしょう、だって陸上競技も水泳も日本人は常にトップクラスに位置しているし、柔道では最重量級まで日本の金メダルが当たり前だし、いや、ボクシングだってミドル級まではもう日本人が金メダルを獲っている。
いったい何故、ヘヴィ級ボクシングに限って、日本人はいつまで経っても弱いのだろうか?
ちゃんと「研究開発」をしているのかな?

日本人のヘヴィ級チャンピオン…その「ハードウェアとしての研究開発」は物理的に不可能というのだろうか。
そこのところ、よくわからないが、しかし本当に無理だというのなら、せめて「ソフトパワー」で金メダルを狙おう。
たとえば、白人や黒人のヘヴィ級トップランカーをカネの力で買収、つまり彼らに日本国籍を与え、2020年に日本人として出場させればよい。
むろんこの程度のことは既に世界中でなされている。
それでも、仮にこれがアンフェアだなどと難癖をつけられるのなら、我々日本側はもっとアンフェアな対抗手段をとればよい…つまり、2020年の東京オリンピックで、ヘヴィ級ボクシングを廃止すればよいのである。
ハードのパワーで勝てない分野は、ソフトパワーで勝て!
それでオリンピックといえるのなら。

おのおのの世代にとって、2020年の東京オリンピックは異なった意味をもつ、と云われるし、まさにその通りだろう。
しかしせっかくのオリンピックを、遊び半分、カネ半分で終わらせてしまったとして、それで幸せになれる日本人はきっと皆無に近いだろうなあ。
だから、出来れば自前のスポーツハードウェアをじっくり育てていきたいもの。

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② 日本のハードウェア能力を存分に発揮すべく、産業力を徹底強化すること。
(ヘヴィ級ボクシングの金メダルは困難としても)、我々日本人は常にインフラから医療まで、分厚いハードウェア能力=産業力で以て鳴る民族である。
あらためて、なぜハード、ハードと拘わるのか記す。
それは経済と産業の区別がつかない、あるいは故意に取り違える人たちが多いため。
そこのところ、どうにも、我慢ならない。
そもそも、競争経済の最大の基本原則のひとつ、それは ─
人間は「自律的な売り手」として発展し続けるか、それとも「他律的な買い手」に堕ちてしまうか、どんな財貨サービスにおいても、このどっちかしかないということ。

日本人は(日本国家は)、「自律的な売り手」たらんことを目指し、だからこそ基幹インフラから医療に至るまで自前のハードウェア強化に努力し、多くの分野で世界チャンピオン級に登りつめた。
一方で、もし戦後の日本が金融や保険「だけ」で生き残る道を選んでいたのなら ─ 経済数値(GDPや国民所得)は仮にそこそこだったとしても、我々の多く は欧米ビジネスの他律的な下請けとして短期利益に振り回され、国際収支の赤字にいちいち萎縮し、自前の技術も製品も無く、サービス業は欧米人への慰安ばかりで、遥かに貧しく危険な状態のままだっただろうなと察する。

1964年の東京オリンピック、リアルタイムで観たわけではないが、これは日本が国家主権の回復からわずか12年、国連加盟からわずか8年しか経っていない当時のオリンピック主催であった、と学んだ。
その時点でハードウェア能力を押し出した日本は、国力の復元力、結集力、革新力を全世界に大いに知らしめたであろう、と想像に難くない。
首都高速や新幹線こそは典型的な日本のハードウェア、つまりは産業力の徹底的な体現だっただろうが、もちろんオリンピック競技本番での強さもまさにハードパワーといえる。

なるほど、第二次大戦の記憶もまだまだ生々しかったであろう1964年当時のこと、日本のハードパワーの傑出した高さを当時すでに熟慮していた欧米人(外国人)も少なくなかったかもしれない。
がしかし、大半の欧米人にとっては日本はクーデタと切腹とカミカゼと貧民身売りの国程度にしか映っていなかったかもしれず、そうであれば、1964年の日本のハードパワーが驚異(脅威)に映ったことだろう。
そして、日本のハードパワーは彼らの想像を超え、嫉妬や憎悪すらも煽りながら、それでもほとんど全世界から歓迎されて今日に至る。

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③ つまり、話は日本だけには留まらない。
日本のハードウェア能力が欧米を凌駕したからこそ、アジア諸国のハードウェアの充実もあり、一方では欧米のアジア搾取だって終焉していったのではないか。
資源採掘技術、発電技術、鉄鋼やアルミニウム産業、造船技術をはじめ、例は幾らでも挙げられよう。
また、いやなたとえだが、中国共産党軍が蒋介石の国民政府を打倒するにあたっても、日本軍の残していった兵器が大いに活用された。
なにより、日本の工作機械は今でも世界チャンピオン。
日本のハードウェアによる下支えと技術供与があってこそ、アジア諸国で金融やITにシフトする余裕が有ったと理解する。
そうでなければ、アジアはみんな銭ゲバと貧民ばかりであったはず。


日本がこれから一層ハードパワーをアピールすることにより、欧米(全世界)に対する重大な牽制効果を保持し続ける。
だから2020年の東京オリンピックに向けて、経済指標ばかりおいかけて損得と私怨に憂き身をやつすよりも、世界に堂々と挑戦状を叩きつけるくらいの気位をみせてほしい。
さあ、俺たちよりももっと優れたハードウェアを鍛え上げて、かかってこい、って。
たとえば陸上のトラックで、柔道の畳の上で…あるいはボクシングのリングで静謐に挑戦者を待ち続けるような…そんなスポーティな精神性の日本で在り続けてほしい。

以上

2013/09/07

スケイグン

最近、SKAGENデザインの腕時計を買った。
あ、これだ!と咄嗟に閃いての衝動買いである。 
ぺたっとした薄手の機構設計、そのくせ大づくりの文字盤デザインが妙にのっぺらぼうで、そこが実にモダン。
店のショウケースにさりげなく並んでいたのだが、なんとも僕の好みだったのでぱっと目に留まり ─ だからSKAGENの時計にとっても僕がパッと目に留まったに違いない ─ そのせつな、「これだ!」となった次第。
或いは、SKAGENの時計として具現化された何らかの仕様・デザインのヴィジョンが、僕なりに過去にどこかで発言したり描いたりしてきた時計像とどこかで被っていたのかもしれない。
それらが巡り巡って、ついにSKAGENの時計となり、とうとう邂逅か…。
そのくらいデッカイことを考えた方が人生は楽しいぞ。

だいたい、何事につけても、衝動買いこそが結局は正解のようで、いつまでも愛着が廃れることなく、だから効用は常に何らかのかたちで最大限であり、ゆえにその愛着も効用も時間とともに増す一方で、損失感覚は全くない。
はい、この理屈、分かりますか?
分からなくとも本コラムはどんどん進行する。

もちろん、たかが腕時計のこと、どこにぶっつけるかわからない、だから常識的な値段のものである。
随分昔のことだがボーナスでバーバリーの腕時計を買ったさいには、なまじっか値の張ったものだったため、傷つけたりするのがおっかなくてなかなか携行する気になれなかった。
どんな買い物にせよ、取引にせよ、価格帯だのクチコミ評価だの特定の数値レートに一律換算して選ぶものは、本当は必ず自分以外の誰かの押し付け(か、その集積)であるから、おのれが積極的に好きになることはない。

今般買ったこのSKAGENの腕時計は、ロゴマークの下に小さくDenmarkと記されていて、これを知人の英国人に見せたら「スケイグン?」と発音していた ─ 英語の発想だとそう読めてしまうのかもしれない。
さらに、「なんだかドイツ製みたい、ハードでサイレントよねぇ」…などと面白がっていた。
白人はえてしてこういう大らかな気質の人間が多いように見受けられる。
大らかなのは、もっとずっと図太い尺度がどこかにズカーーンと一貫しているからじゃないかしら。
いや、もっと言えば、工業製品の仕様や名称については然るべき時に然るべき処で確かめればそれでいい、という「オーソリティ」の弁えなのだろう。
「えーっ?スケイグン?違うよ!これはデンマーク語でスカーゲンと読むんだよ!」などと、やにわに意地になるのはアジア人の骨格やはらわたからくる神経質な習癖、かもしれない。


そういえば、これも随分昔のこと、RIMOWA製の頑丈かつ軽量のアタッシュケースを買ったことがあり、実はこれも恐ろしくシンプルな外形デザインのもので、まさに衝動買いだった。
その値段が10万円だったと知って、当時の職場の連中のうち何人かが妙に不機嫌になった。
そして、あんたには勿体ないとか、課長になってから買えとか、まあ嫌味タラタラでうるさかったわけで。
たかが10万円のアタッシュケースで、何でこんなにムキになるのか、数十億円級のプロジェクトに関わっているベテランだって居るっていうのに…

ちなみにこのアタッシュケースは出張や旅行にていろいろな国に携行してきた。
どこへ行っても、このアタッシュケースにチラリチラリと視線が集まるのが面白く、それでいて値段を訊かれたのは中国と韓国だけだったというところがなおさら面白いところである。
ただの消費者に過ぎない僕に値段を訊いて、どうしようってんだろ?

以上

謝辞

ここに提示の記事は、いずれも私自身の判断責任のもと編集・投稿したものです。

大半の投稿は学生など若年層向けを意図してやや平易な表現にて、通俗性は極力回避しつつ、論旨の明示性を重視しつつ書き綴りました。あわせてまた、社会人の皆様にお読み頂くことも想定しつつ、汎用性高い観念知識を相応に動員しながら記した積もりです。

私なりの思考着想によるささやかな閃きが、皆様の諸活動にて何らかの光源たり得れば、望外の喜びであります。

山本