2014/02/24

日吉キャンパス

つい先日のこと。
或る知人の娘さんが慶應の総合政策学部を受験するに際して、その娘を適宜応援するよう頼まれ、一緒に日吉キャンパスまで出向いて行った。
といっても、もちろん、たかが未成年の女子のこと、「お車にて送迎」さしあげたわけではなく、そんな依頼を受けたわけでもなく、あくまで随行してやったというところ。
(こんな無礼な書き方をしていいのか、と思われるかもしれないが、本ブログは彼女のご両親は読まれないだろうから、いいのだ。)
日吉の駅に着くと、いわゆる正門の銀杏並木の入口まで渡り、そこで彼女に最後の激励。
総合政策は、たぶん日本の入試で一番難しい読解問題が出るが、それは受験者みな同じ条件だ、恐れるな、それから小論文課題は大胆にいけ、でっかく考えればこそ多様なアイデアが出るもんだぞ。
などなど。

他の受験生たちに混じって小走りに坂をのぼり試験棟に向かっていく彼女を、しばし見送る。
それから僕は、駅の西口に抜けて普通部通りや中央通りを歩いてみる。
かつてたらふく食った超大盛りのチャーハンだのラーメンだの、メシのことばかり回想。
やがて、また駅を通り抜け、今度は日吉キャンパスの外苑をぐるりと散歩してみた。
懐かしさが、徐々に、徐々にとこみ上げてくる。


そして。
「頃合」を見計らうと、僕は日吉キャンパスの正門に立ち戻っていた。
もう試験は始まっており、しん、と静か。
さて、と…。
僕は一人、閑散とした銀杏並木の坂道を上っていく。
いやぁ…何年ぶりだろう、いや、もっとだ。
在学当時は味もそっけもないと感じていた日吉キャンパスの、今にして見ればなんと懐かしいことか。
そして、入学当初はまこと巨大に感じられたキャンパスが、都心部に慣れっことなった今の感覚からすれば、なんとまあこじんまりとして小さいこと。

まずは陸上運動場、眺め下ろせば景観はほとんど変わっていない。
それから塾高の前を通り、マムシダニの林まで階段を降りていき、テニスコートの脇も抜けて更に進めば、野球部だのの体育会の部室があちらこちらに並ぶ。
それらに感動したり、嘆息したりと、しばし時間を過ごす。
そしてまた塾高の脇から日吉記念館の前まで戻ってくると、またキャンパス内をぐるりと周回だ。
もちろん入試期間だから棟舎には入館出来ない、するつもりもない。
ただ、藤山記念館だの食堂だのを通り抜けながら…わっさわっさと20前後の学生たちでごった返していた情景が蘇り、懐かしさがいよいよ増すばかり。
ちょっと矢上方面まで遠望してみれば、ああ、そうだ、ここは丘の上だったのだなとあらためて実感。

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あらためて自分の半生を振りかえれば ─ 
そうだ!僕自身の「近代史」はこの日吉キャンパスから始まったのだった。
喜び、笑い、感動、怒り、悲しみ、そしてもちろん学識も論理勘も着想、すべてのフォーマットが。
原風景、という言葉があるが、まさに人生の試行錯誤の原風景が此処に在る。
一方で、都心部の三田のキャンパスはといえば、つい2年ほど前にも旧知の友人のはからいで棟舎内をいろいろ巡ったばかり。
が、しかし彼の事も含め、大学の思い出は、その始まりは、そして楽しさはとなると、やはりこの味もそっけもない日吉キャンパスなのだ。
そうだったのだ!
此処こそが、何もかも出来損ないで中途半端だった僕の、大学時代の小さな道場だったのだ ─ 。


これは実に奇妙な邂逅だった。
今までほっといて、すまなかったな、でも、そっちだってもうちょっと早く俺を呼び覚ましてくれればよかったんだよ…
といった感傷に揺さぶられつつも ─ 本当に不思議なことなのだが、もう暫らく此処へは来まいと同時に決心していたのだった。
ああ、そうか。
つまり、こういうことか、都心部の三田キャンパスでは、何事も決算は大きければ大きいほどよいという「現代史」を教わったが、しかしこの日吉の丘では、決算以前の「近代史」において諸々の枠組みづくりに励んだというわけか。
いつも青空の下、この小さな世界は僕の一部であり、僕もこの小さな世界の一部だったのか。
お互い、何かを供与するでもなく、返済するでもない…きっとそんな意思も時節も不要なのだろう。
そういうことなんだな。
それなら。
僕の未来から日吉の過去へ、そして僕の過去から日吉の未来へ、縁と由から再びめぐり会ういつかまで、とりあえずはさようならだ。
まあ、そんなようなことを僕は内心ひとりごち、かつ、こういう青臭い相性もまた僕らしいものだなあと失笑も漏らしつつ、日吉キャンパスをあとにしたのだった。


(そういえば、あの娘の合格発表は確か今週の水曜日、直観的に推察すればあれだけ利発な娘なら受かっていてもおかしくはないのだが…ともあれ、たとえ一斉の選抜試験といえども、結果は縁と相性のなせる業だと弁えて欲しいもの。)

以上

2014/02/14

ランダム (続: 『コードブック』)



ダイスやポーカーは、事象がランダムに発生するからスリルがある。

いや。
本当はどんなゲームにも何らかのシーケンシャルな規則性があるのに、我々自身の意識がランダムに発生しているから、ゲームの事象がランダムに見えてしまうのか。

それとも。
全てのゲームは実際にランダム事象発生型なのだが、我々自身の意識がシーケンシャルにしか動かないため、ゲームもシーケンシャルに見えてしまうのか。

もしも。
人間の時間的な制限を超えた、巨大な意識が宇宙に存在するとしたら ─
その巨大な意識は、人間をどのように見ているのだろうか。
宇宙の巨大な意識にとって、全ての人間の意識活動はランダムに発生しているに過ぎないのか。
いやいや。
宇宙の巨大な意識こそがランダムで、だからゲームのランダム性こそが自然であり、シーケンシャルな連続である人間の意識の方が不自然なのか…


「ちょっと!あんたいつまで本を読んでるの?早くこっちへ来て夕飯のお料理を手伝ってよ!毎日、毎日、同じことを言わせないで!」
「毎日、毎日じゃないでしょ!その場限りの思いつきで叱るのはやめてよ!」
「いちいち文句言わないの!どうせくだらないカード占いの本でも読んでるんでしょ?早くこっちへ来て!夕飯の手伝いも出来なくてどうするの?」 
「うるさいなぁ!いま面白いところなんだから!」
 


(…続く、かもしれない)

2014/02/08

英語教育はどうあるべきか (3)

英語教育については、常日頃より、どうしてもどうしても言いたいことがある。
それも、たくさん有る。
これまで、以下のように投稿してきたが、まだまだ言い足りない。
英語教育はどうあるべきか
http://timefetcher.blogspot.jp/2012/10/blog-post_20.html
英語教育はどうあるべきか(2) 
http://timefetcher.blogspot.jp/2013/05/blog-post_26.html

さて今回は、とくに大学入試英語に絞って記す。
いつだったか予備校の受講生で、防衛大学を受験するという学生が居たので、以下のように英文読解の勉強法をアドバイスした。
「まず① TOEFLに出題される名詞を覚えられるだけ覚えろ。それから ② 早稲田人間科学部の出題英文は短いが論理性が高く、過去問がわんさかと有るから片っ端から読め。それだけやれば防衛大学の入試英語もほぼ全部解けるようになるから」
この旨、じつは最初は担当スタッフに説明してやったのだが、「本旨」が全然伝わっていなかったようなので、当人に直々に伝えた次第であった。

で、この本旨は以下の通り。

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① まず、理科と社会科の重要性について
大学入試で出題される英文のほとんどは、おそらくTOEFL同様、理科や社会科の学識高いネイティヴの執筆者によって著されたものである(ここでは文化芸術論も理科に含む。) 
なぜか。
それは、理科や社会科の学識こそが、我々の世界で実際に起こっていること、そして人間が考え、実践することを説明しているからである。
ゆえに大学への入学審査で問う知的素養として望ましい。

たとえば、大学入試の英文中には、"energy" という語、"resource" という語、"material" という語が頻出する。
ここで、或る「新高3生」に、「energyの意味を言ってみろ」と問うてみたとする。
その生徒が、「それはエネルギーです」、と答えたとしよう。
「じゃあ resource の意味は?」と重ねて訊いてみると、今度は「それは資源という意味ですね」と答えるだろう。
「ならば material は?」「物質ですよ」
なるほど、これで大抵の大学には受かるし、センター試験の英文読解もほぼこなせる、間違いなし。
しかし。
仮に最難関の国立大学や早慶の英文を「厳密に読みぬく」ところまで意図するのなら、受験生は "energy" と "resource" と "material" のそれぞれの「学術上の意味」を、少なくとも学校教育の範囲内において精緻に理解していなければならない。
"snow" という英単語をみて、「雪」…とはいったい何か、まで理解しておきたい、ということ。
同様に、"survey", "research", "study" の違いについてもそう。
"government", "council" , "committee", "conference",  "board", "panel" の違いについても同様。 
─ と、ここまで鑑みれば TOEFL の狙いにも近い。
そして一方で、ホテルの予約とかメール確認の方法などを問うTOEICの英語はやや的外れである。

なんだ、それじゃいっそのこと、英語版の高校理科・高校社会科の教科書を読みこなせばいいじゃないか!…というかもしれないが、まさにそのとおり。
本当はそれこそが大学入試英語における最強の学習法なのだ。
なぜそういう英語版の教科書や用語集が日本で普及しないのか不思議である ─ いっそ俺が書いちゃおうかな、誰もオーソライズしてくれないんだろうけど。

それはともかく。
あわせて学生たちに奨めたいこと。
理科と社会科の学際的/複合的なエッセイ(日本語でもよい)などに慣れ親しんでおきなさい
しつこいが、早慶や最難関国立大の英文テキストは、TOEFLの英文以上に抽象度が高く、意味深な暗示や巧みな皮肉さえも込めて、近未来の科学や産業や政策について述べた論文エッセイも多い。
話が学際的/複合的になるがゆえにこそ、出題文がどんどん長くなっている。
或いは逆に、東大や慶應文学部の出題英文などに見られるように、短めの英文の中にこそそれらの学際的なエッセンスが凝縮され、真意の把握において戸惑わされる例もある。
これらを読み解くためには、理科・社会科の基礎素養に加えて、学際的/複合的な○○論に慣れておかなければならない。
一方で、出題文の語数が増えただの減っただのという営業マンみたいな分析講評にはあまり意味が無い。

よく知られるように、たとえば早稲田政経や社学はほぼ毎年のように英国誌 The Economist のリーダー記事を引用しており、同誌の執筆陣(僕とは何ら利害関係はないが)はそこいらの新聞記者より3段階くらいレベル高い学識者にして、世界級のオピニオンリーダである。
だから、そういう英文ないしは過去問を英語教材の標準に据えれば、理科や社会科の見識も高くなり、学際的なエッセイにも強くなるんだ……と何度言ってやっても聞く耳をもたず、異様な英文テキストの外注作成をせっせと続ける予備校もあり、それでも経営存続出来るのだから日本の教育業界はまだまだ常識に欠けている。

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さて次に、②論理性について
冒頭で早稲田人間科学部の過去問をチャレンジ奨めた理由でもある。

そもそもわれわれの日本語表現の論理においては、動詞表現が希薄で、「◎◎でーす」といった平坦な「名詞化」が目立つ。
だが英語においては「動詞の峻別」が目立つ。
なんというべきか、…もともと日本人(アジア人)は自然条件や環境条件に恵まれていたがゆえか、表現やアクションにおいて、欧米人のようにいちいち「Xさんはaを行い」、「Yさんはbを行う」、などと「動詞を排他的に取捨選択する必要」が無くなってしまったのかな?
それで日本人(アジア人)は 「AはA的な感じ」、「BはB的な感じ」、といった具合にbe動詞表現が増え、さらに「A的っぽさ」、「B的っぽさ」といった按配に全部が大雑把な名詞観念になってしまったのか。

…という前提をまずおきつつ、上で教科書について挙げたからそこにも絡めて更に言う。
数学や理科の(日本語でもよい)教科書の文面を思い返せばすぐ閃くこと、それらにおいては名詞(要素)と動詞(アクション)のコンビネーションのみによって文意を成立させている。
なるほど、日本語の世界では「これって正しいっぽい?」と記しても真意が伝わりうるが、理科や数学の世界では 「全ての実数としてxを『設定する』、この場合に以下の等式が『成り立ちうる』ということをおまえが『示せ』」 などと記されている。
この理科や数学における名詞と動詞の厳正なコンビネーションが、英語構造にそっくり。
だから英語の学習においては理数系思考の脳が求められるのだと、僕は以前から言ってるんだ。 
(因みにコンピュータ言語もほぼ同じ論理構造で出来ている。)

とりわけ、(何度も挙げるが)最難関大学の入試英文についてはまさにこの名詞と動詞の厳密な組み合わせが文意正誤問題などで深く鋭く問われる
簡単に創作するが、例えばこんな出題ね。

「航空機Xについての技術設計において、AはBよりも物理制御系の見識において『勝る』、かどうかは客観的な『立証』はなされていないが、Bは他のどの技術者よりも素早くシステムダイアグラムを『修正』することが出来る、と『実証』されている。とはいえ、Aは航空機への燃料電池の『実装』だけはBよりも『経験的に熟知』していると『主張』している」
ここで、問: 以下のうち正誤判断の出来ないものを全て選べ
ア) Aは航空機Xの技術設計における知識はBに劣るということが明らかにされている
イ) 燃料電池の実装技術はBがAに勝るという証言は無い
ウ) 物理制御系の見識においてAとBのどちらが勝るかは分からない
エ) システムダイアグラムの修正における力量はAもBも変わらない

こんなものが英文読解の出題か?などと仰天する英語教師はさすがに現在は少ないだろうが、ともかくこういう論理ガチガチの、日本人(アジア人)の本能にそぐわない読解問題こそが、難関大学入試では主流。

かつ、上の①で記したように理科の知識と社会科の学際的なセンスが問われるのは言うまでもない。
…というところまでふまえればこそ、論理的チャレンジ英文が細切れに大量出題されてきた早稲田人間科学部の入試英文を、本記事の冒頭部で奨めたわけ
(もちろん、これでどこの入試問題にでも対処出来るとは言っていない。)

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③ さて、主要大学の入試英文が上述のように①「理科英語」「社会科英語」の学際性/複合性、および②論理性をいよいよ重視する方向にシフトが進む以上は、日本の大学入試英文が全般的にそうなっていくことが予期される。 
ゆえに、外注委託作成にみられる一部の異様な入試英文は消えていくことになるだろう。
だからそういう業者と一緒に儲けてきたくだらない教育機関もサヨウナラ。

さてそんな現況において、英語を教える側はどう対処すべきなのか。 

以前にも別稿で記したが、英文の真意を掴むためには、その英文を書いた人たちの知的素養に少しでも近づかなければならない。
それは学生には無理かもしれないが、英文解釈を説く側は無理だとは言っていられない。
だから;
(1)英語教育の職業的な担当者である以上は、理科英語と社会科英語に習熟すべし。
逃げたり誤魔化したりは許されない ─ と僕自身に常々言い聞かせている次第。
そもそもTOEFLの対策だって英語教育担当者の職掌内にあるわけで。

(2) 理科英語と社会科英語の指導に耐えられないのなら、おのれは英語教育の担当から外れ、理科や社会科の担当者に英文読解指導を全面委ねるべきである。

(3) 大学入試の英文の理科社会科へのシフトが許せない、もっと娯楽や嗜好についてのリラックスした英語を出題しろ、というのなら文科省か経産省に直談判すべきである。


以上

謝辞

ここに提示の記事は、いずれも私自身の判断責任のもと編集・投稿したものです。

大半の投稿は学生など若年層向けを意図してやや平易な表現にて、通俗性は極力回避しつつ、論旨の明示性を重視しつつ書き綴りました。あわせてまた、社会人の皆様にお読み頂くことも想定しつつ、汎用性高い観念知識を相応に動員しながら記した積もりです。

私なりの思考着想によるささやかな閃きが、皆様の諸活動にて何らかの光源たり得れば、望外の喜びであります。

山本