2014/06/24

スタッカート




柱時計がこーんこーーーーんと鳴った。 
午後4時、かと思ったら、おや、もう5時だったのね。 
心なしか陽の翳ってきた部屋では、老婦人がいそいそ、出かける支度。 
そこへ。 
ドタドタと孫娘が駆け込んでくると、おや、心なしか、ぽっかぽかと温か。 
老婦人は、少しだけ外出を躊躇してみたり。 
まあ、こんなものね - と、ほくそ笑む - なんだ、かんだと、名残惜し。 
差し込む日射しは、ぐるりと、でっかく。


「ねえ、おばあちゃん、どうして、いつも帽子を被って出掛けるの?」 
ほーら、始まった。 
若い子は、すぐ理屈をつけたがる。 
本当は他人の理屈なんか聴きたくないくせに。
「あら、女性はね、お出かけも真剣勝負なのよ」 
「ふーーん、そんなもんなの」 
ませた口調で、孫娘は自らの指先を、つ、と顔の前に掲げ、爪と手の甲を代わる代わる。 
つくづく、見つめている。 
老婦人が苦笑をおさえつつ、かすかに微笑む。 
微笑みながら、いつもの黒い帽子。 
つばがやや狭くて水色のリボンのついた、その帽子を、白髪頭の上にちょいとのっける。


「おばあちゃん…ねえ?おばあちゃん?」 
今度は孫娘が、奇妙に笑いを噛み殺したかのような声色をあげる。 
「何かしら?」 
「おばあちゃんの、その帽子、白髪を隠すためなんでしょう?」 
「あらあら、まあ、そうかもしれないけど、だったら、どうなのかしら?」 
「…それとも、顔を隠すため?ねえ?そうなの?ねえ?」 
さてさて、何と答えてやったものか。 
「あ、わかった!若く見せるためでしょ?」 
おや、おや、まあまあ。 
なんでも、かんでも、すぐそこに答えがあると思ってるのねぇ。 
老婦人は、また、ほくそ笑む。 
「そうね、全部かもね」 
そういうと、老婦人は帽子のつばをちょいとつかんで、ぐいっ、と深くふかく被り直してみる。 
私なりの“流儀”。 
何事にも、流儀ってものがあるのよ。 
お分かりかな、お嬢ちゃん?


「ねえ……おばあちゃん、みんな歳をとったら、顔を隠したがるの?」 
とつぜん、孫娘がかすかに、心細そうに。 
老婦人は、玄関にささっと立つと、靴に足を踏み入れる。 
「あたしも、いつか、そうなるのかなぁ?」 
「ええ……?あんたが、どうなるって……?」 
「あたしも、帽子を被ってお出かけするようになるのかなァ?」 
まあ、まあ、この子は。 
でも、ご心配なく。 
あなたがそんなことを考えるのは、もう、ずーっと、ずーーっと、先でいいのよ。 
ほら、ほら、あたしの話を聞きなさい。 
聞くだけなら、タダなんだから。 
あまりにも安すぎて、どこにも売っていないくらい。 
だからこそ、よーく聞きなさい……。


この帽子はね、つまり、捕まえるためなのよ。 
時間がどんどん逃げていかないようにね。 
自分が霞んでしまわないようにね。 
時間の翼の止まった瞬間を見計らって、サッと上から捕まえるためなの。 
そう……すっごく大きな譜面のね、さらさらっと流れていく音符をね。 
きゅっと、捕まえるってこと。 
これが、あたしなりの人生の流儀なのよ。
流儀というもの、お分かりかしら、お嬢ちゃん。
さぁ、さぁ、わたしは出かけよう! 
老婦人は、颯爽とドアを押し開けて、タッタタ、タッタタ、と足早に出て行く。


さて、孫娘はといえば。 
三面鏡に向かって、ブゥゥゥ、と、ちょっとヘンな顔。 
かと思えば、もう。 
真顔に戻って髪を梳かしている。 
ねぇ、ねぇ、聞いた? 
あのね、人生には、流儀というものがあるんだってさ~。 
じゃあ、おませさんでも、いいもんね。 
と、いうわけで。 
またひとつ賢くなったあたしは、時間を超えて、鏡のあっちからこっちへ。 
すーい、すいすい。 
きっと、あしたも、あさっても。 
タッタカ、タッタカ、タンタタ、ターーーン ♪ 
そう、ピアノのスタッカートのように。 
これが、あたしの、流儀なの。
ちょっと毛癖のある前髪は、まるで天使の翼のように、ふわふわしている。 
と、思えば、ほら、鏡の隅から、もう夕陽がさしかかっている。


おわり
(何年か前に書いたものを改編)