2016/04/18

地震考

※ 不愉快なニュースを立て続けに視てしまったため、腹が立ったから、ちょっと改編。

此度の大地震から、極めて総括的に、この世界と我々自身について考えてみた。
以下の命題 A. B. C. D. は、全てないしは少なくとも2者間にて因果関係があるだろうか、それともすべてがだろうか?

A. 地震や火山爆発や巨大津波が発生する
B. 核戦争が起こる
C. 人類は科学技術と経済効率を向上させ続けている
D. 人類はいまだに絶滅せずに生き残っている

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これらA. B. C. D. 4つの因果をすべて整合させるためにこそ、我々は努力し続けるのだ、といえば、(能力は別として)理系的センス、ひいては日本人らしい見解。
いや、これら4つはどれも互いに素だね、宇宙の事象はすべて諸行無常の偶然にすぎぬ、とシニカルに断言できれば、悲しい解釈ではあるが、これまた理系的な見解とはいえる。

ともかくも、これら4つの命題の、原因⇔結果の関係有無について、我々は意識し(続け)なければならぬのではないかな。
それぞれの間で、因果関係が有るなら有る、無いなら無い、どちらかしかない。
ただ、この5年間だけ見ても、そう簡単に決着がつくとは到底考えられないけれども。

なんでもいいから早く見解を提示しろよ、と煽るのが仲介型組織や便乗型産業からの要請ではなかろうか。
しかし、知識とロジックの追求や整合を他者に依存して、表層情報だけかっさらってメディアやSNSにバラ撒くという根性は、少なくとも日本的ではない。
ネットの情報通信のキャパは極めて余裕が有るのだから、何を語ってもいいじゃないか、というかもしれないが、そんな問題ではない。

それから。
いわゆる未来予測について、ちらっと考える。
上の4つの命題における因果の有無をちゃんと見極めてこそ、未来予測ではないか。
たとえば、どれか2つまでしか念頭におかず、残り2つは最初から無視、というのは不誠実だ。
ちなみに、地震を予知するといわれるナマズや猫には、A.(地震や火山爆発) とD.(サバイバル)しか無い。


以上

2016/04/15

東京大学の英語

そんなものは、無いんだっ!
(ははははは。)

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① まず、根本的な命題。
いかなる教養であれ、構成要素はどこまでも知識だ。
いや論理力だ、というかもしれないが、知識の組み合わせを論理といい、論理を組み合わせても知識は増えないのだ。
(尤も、数学だけは知識と論理が一体的なので別枠とする)。
とりわけ、英語科は典型的な知識依存、つまり単語量に依存する教科。

そこで前提1。
知識習得を課すのだから、何らかの目的が有るはず。
たとえばだが、高校での理科と社会科の履修内容をすべて英単語で表現できること、など。(これが一番妥当だと僕は考える。)
次に前提2。
知識に目的があれば、何らかの量的な上限設定も可能なはず。
たとえば、高校履修の理科と社会科のターム。

これら 「知識習得の目的」 と 「知識量の上限設定」 は、当然セットでなければならない。

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② さて。
大学入試の総本山(のはず)である東京大学は、入試に英語科を出題する「目的」と「知識量の上限」について、セットでハッキリ明示しているだろうか?
していない。
つまり、いわゆる「東京大学の英語」など、無いのだ。
だから、他の大学の英語も無い。

では高校はどうか。
とりわけ利発でフレキシブルな子が揃っているのは、都立西高などいわゆる公立のトップ高で、長尺にみて何でも成功させそうなキャパシティが見てとれるので、あえてトップ高と書く。
一方で私立高校には、すでに実社会の知識見識に通じたプロ仕様(?)の子、或いは天才の卵のような子も時おり散見される。

だが、こういう小憎らしいほど頼もしい子たちにしても、どうも大学入試英語の「目的」と「知識量の上限」を併せて了察してはいない様子。
と、いうことは、たぶん公立高校も私立高校もこれらをセットとしては明らかにしていない。

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③ なるほど、猫も杓子もコミュニケーション能力という。
つくづく、これはおかしな逃避的定義、だって「目的」と「知識量の上限」がセットになりえないからね。
尤も、女子には初めから何か響くものがあるようで、おそらくは、オモテナシビリティの一環としての先天的な信念(?)が働くのだろう。
精神性としては素晴らしいが(俺はそんなもの興味無いが)、オモテナシビリティにおいて「目的」と「知識量の上限」がダブル設定可能だろうか?

さらに、TOEICやTOEFLをもって、英語教育の「目的」と「知識量の上限」とおくこともある。
だからさぁ、それはなぜなんだ?
ハッキリしていない。

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④ とまれ、東大をはじめとする大学も、そして高校も、入試英語における「目的」と「知識量の上限」のセットを自発的には明示していない。
にもかかわらず。
予備校や塾のような中間産業が、勝手に「東大の英語」なるものを定義している。
さらに英語学力の偏差値算定までしてやがる。
奇怪なこと、この上無い。

とりあえず言えることは、大学入試英語は今のところ 「目的も量も曖昧なまま、つまり恣意的な暫定」 にすぎない。
恣意的な暫定なのだから、知力など反映しえない。
いちいち真剣に悩まなくともよろしい。
※ あえて勉強で悩みたいのなら、数学と論説文読解と理科と社会科で思う存分に悩むがいい(笑)。

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ただ、ヒントはある。
早稲田と慶應の(とりわけ理数系学部の)入試英単語だけは、客観的には「目的」がかなりハッキリしている。
理科と社会科のコンテンツを英語で理解出来るようになっておけ ─ これである。
これで「知識上限」もとりあえずはハッキリと踏まえることが出来る。
ならば、早慶が自分でそう宣言すればいいと考えるが、いまのところ、まだハッキリさせていませんね。

以上

2016/04/11

【読書メモ】 戦後経済史は嘘ばかり

戦後経済史は嘘ばかり  高橋洋一・著 PHP新書』
本著者の高橋洋一氏は、言わずと知れた我が国最高峰の経済政策提唱者、肩書きも実績もあまりに巨大ゆえ、敢えて記さない。
まず、タイトルこそ経済史なれど、本書は経済政策論そのもの、そして極めて一貫している。

本書におかれた経済政策論を、ざっと僕なりに概括すれば;
「経済とは、マクロのキャパシティとして捉えるべき定量的=数理的なシステムである。
マクロ経済政策は、最も流動性の高い財貨つまりカネの上限量抑制に留まるべきであり、ミクロの(民間市場の)随意的な需要供給のダイナミズムを潰してはならぬ。
逆に、もろもろのミクロ経済活動が、マクロキャパシティの最適化を導くことはない。
このマクロとミクロの因果関係を逆転させ、特定のミクロ事情を軸に据えてマクロ経済を統制はかり、民間の自由な需要供給活動を損ねる連中は許し難い。
(こうして概括してみれば、どこか人体と血流血圧のかかわりにも似ていなくもない。) 」

そもそも、我々はおそらく誰しもが、理系文系も職業も問わず、統制経済の幻想をどこか思念上のボトムラインとして据えてしまってはいないだろうか?
あらためて、我々はおのれの浅薄さについて、そして先人たちの智慧について、本書から謙虚に学び取るべきである。

本書のコアエッセンスはまこと深遠、おいそれと反論のしようがないソリッドなパワー、それでいて、数学通と自認される氏の明示的かつ段階的な文面は実に涼やかで読み易い
かつ、脇を固める日銀や省庁などのカラフルなエピソードは一層平易にセーヴされた文面にて、ユーモラスなほど反復的に書き進められている。
ゆえに、定量的=数理的な洞察の書としても、また人間の定性的な可笑しさを突いた事情本としても、本書をここで紹介したくなった。
以下、あくまで僕なりの留意事項として列挙しおく。


・終戦後の日本経済の生産量回復は、占領軍による重油、原料炭、鉄鉱石など基礎材料の量的な援助によるところが極めて大きい。
アメリカからのエロア資金(経済復興資金)が、これら輸入を可能とした。
この結果、従来の民生品工場が原材料調達が可能となった。
一方、この過程にて、日本政府による傾斜生産方式の推進はほとんど貢献していない。

復興金融公庫と復金債(日銀引受)の意義は、市場全体への資金供給であり、政策金融として特定業界へ優遇融資するためではない。
当時始まっていたインフレは、復金債によるカネのダブつきではなく、生産供給力が貧弱であったためにすぎない。

なお、復興金融公庫を吸収した日本開発銀行(日本政策投資銀行)は、公金を元手に民間の市場金利を下回る低金利で、企業の設備投資に融資。
これが不自然な低金利の政策金融の例であり、却って民間の金融機能を損ね、しかも民間の実需に応じることは出来なかった。

同時期の預金封鎖の目的は、インフレ対策のための貨幣流通制限ではなく、敗戦による債務の償還を急ぐため、富裕層に財産税を課して税収増加を図ったもの。
それでも(生産供給力不足による)インフレ率が高すぎて、財政再建の効果は無かった。
もともと、財政再建のためには資産課税ではなく、生産供給サイドの強化による健全なインフレ分によって全体の税収を増やすしかない。
だからこそ、経済政策はあくまでインフレの上限調整が目的となるのである。

・農地改革の本当の効用は、大地主と小作人の資産格差の是正ではない。
むしろ、自作の地主層が増えた結果、彼らに経済的余裕が生まれたこと。
そういう農民が国民の多くを占めたため、政策当局が進めかけていた経済統制(共産化)を防ぐことになった。

・GHQは財閥解体も過度経済力排除も徹底していない。
財閥は看板を変えつつ、おのれ内部の企業間取引を継続させることが出来、だからこそ日本は生産供給力を維持強化することが可能であった。
GHQもこれを見て見ぬふり、だから日本政府の統制経済派も手を出せなかった。

・ドッジ=ラインによる緊縮均衡財政の要求に従い金融引き締めに走った結果、日本ではカネのだぶつき抑制以前に、せっかくの生産供給力の拡大が止められることになり、デフレに陥ったという本末転倒。
ドッジ=ラインはマクロ経済学も国民経済計算も不完全な時代の発令ではあった、が、(ドル運営の大本である)IMFはこれまでに多くの途上国に緊縮財政を強要し、結果としてそれら国々の生産供給力を損ねた経緯がある。
そして、当のアメリカは現在まで100年の間に100回近く財政赤字を拡大させてきたにも関わらず、財政破綻などしたことがない。

・ドッジ=ラインによって統制経済(と生産供給力の減衰)が進みかけた日本に、朝鮮戦争による特需。
あわせて、GHQがアカ狩りを進めたため、日米の統制経済派を抑えることが出来、日本経済はまた生産供給力を復調させることが出来た。

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・通貨間の適正な為替レートとして、それぞれの通貨総量にもとづいての数学的な均衡レート」を定義可能。
アメリカは1949年以来、(なぜか分からないが)1ドル360円を外為レートとして設定、これは「均衡レート」よりはるかに円安の設定であり、日本の輸出産業の生産供給力にとって極めて好条件であり、東京オリンピックにかかる貿易自由化にて輸出製品の仕様を大いに向上させた。
なお、東京オリンピックにさいしてのインフラ投資拡大はあまり経済効果はなかった。

国際金融を総じてみれば、各国にて「自由な資本移動」、「固定為替相場」、「独立した金融政策」 の3命題の実現が理想、だがこれら3命題は、いわゆる「トリレンマ」の関係にある ─ 3つのうち最大2つまでしか成立しえない。
このうち「自由な資本移動」は資本主義経済の維持推進要件。

その上で 「固定為替相場」 を採ってきたのが、1985年のプラザ合意以前の時代。
極端な円安メリットを保持すべく、金融当局(大蔵省と日銀)による外債購入と通貨増刷といった調整措置が常に必須であった。
ゆえに日本国内はインフレ基調であった。
1973年の変動相場制移行後であっても、じつは金融当局によるいわゆる「ダーティフロート」介入が継続され、やはりかなりの円安を維持してきた。
つまり、 「独立した金融政策」 はなされなかった。

為替介入を完全に止めて(いわゆるクリーンフロート状態に放任して)本当の 「変動相場制」 に移行したのが、プラザ合意である。
ここから 「独立した金融政策」 がなされることとなった。
が、その代償として、為替レートは上述の「均衡レート」にどんどん近づき ─ 通貨量に応じて円高基調となり、わずか1年後には1ドル150円となった。
ここから、さらに激しい変動に左右され続けることとなる。

いわゆる「マンデル=フレミング効果」の理論に則れば、マクロ経済政策は、「固定相場制」か「変動相場制」かに応じて、「財政政策」と「金融政策」の2者択一しかないことが明らかである。
つまり ─ 固定相場制を採っているうちは、財政政策が効く反面で金融政策は効かないとし、一方で変動相場制を採ると金融政策は効果が有るが財政政策のみではほとんど効果が無い。

田中角栄政権の「日本列島改造論」は典型的な財政政策であり、プラザ合意以前の(実質的な)固定為替相場制の時期に謳われたもの、ゆえに理に適ってはいた。
ただし、固定相場の堅持ゆえ日本国内の通貨インフレは依然進行中、よってこの「改造論」による財政投資が結果的に急激な物価高をもたらした。
そこへオイルショックが追い打ちをかけた。
よって、オイルショックが急激な物価高の起因であるとの見方は間違いである。

更に続いたスタグフレーションは、オイルショックによって生産供給量が減少したためであって、通貨量が減少したためではない。

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・アメリカのレーガノミクスはサプライサイド強化の反ケインズ政策、との通説は完全に間違っている。
レーガノミクスは、金融引き締めによるアメリカ国内インフレの抑制、減税による需要増大、規制緩和、社会保険削減、軍事費歳出の拡大と失業吸収を図ったもの。
つまり、マクロのカネの量の短期的な調整に留まって、たとえ財政赤字が生じてでも有効需要の拡大を図った、典型的なケインズ型政策である。
(そもそも自由経済圏で、政策が生産供給能力をいじくりまわすわけがない。)

この結果として、ドル金利高(よってドル高)と輸出減、一方では国内需要拡大で輸入増、よって国際収支の赤字が拡大の一途、ゆえに財政と国際収支の双子の赤字。
そうなると却ってドルの国際的な信認が低下していった、というのが経済プロセス。
一方で、プラザ合意は上述のとおり(本当の)変動相場制に踏み切った合意に過ぎない。
だから、プラザ合意がドル安の安定的な容認とアメリカの輸出増大を図った戦略的な措置とは断定出来ない。

ちなみに前川レポートは、日本が内需にもともと強いので、プラザ合意後の(本当の)変動相場制では内需拡大しかない、と、当たり前のことを描写したに過ぎない。

・レーガノミクスはサプライサイド経済政策ゆえに素晴らしかった、との言質の根拠に挙げられるのが、いわゆるラッファーカーブの図。
この図によれば、生産部門への適度な税率低減こそが、結果的には最大の税収増加をもたらす ─ ようにも見える。
しかしこの図は数理的にお粗末なもので、税率と税収の関数曲線そのものに実体上の根拠が無く、主張者の利害次第でいくらでもデタラメに描けてしまう。

実際には、税収の9割ぐらいは税率ではなく実体経済成長によって決まることが証明済。
また金利上昇と経済成長もほぼ一致し、たとえ国債が一時的に増えても経済成長と税収によって賄うことが可能であること、自明である。

・プラザ合意に続くルーブル合意によって、日本は安定的なドル価の維持に協調必須となり、公定歩合の引き上げが出来なくなり、その結果として日本円の超緩和状態が生じて、日本経済全体がバブル経済に突入した
…との言質は正確ではない。
ルーブル合意前後の時期の日本の実質GDP成長率もまた物価も上昇率も、70年代までと比べると著しく低い。
異常に高騰していたのは不動産価格と株価のみであった。

株価が高騰していた理由は、証券会社(と銀行)による違法スレスレの株式運用受託
─ たとえば企業保有の証券を別の信託機関に移管運用することにより、簿価分離としての運用メリットをその企業に生じさせ、さらに損失補てんまで請け負う、など。
こうして、企業間の株式売買が異常な回転率をもって進行していった。
法令の不備のためにこれらが横行していた。

だが日銀は、日本経済全体が激しいインフレ状態にあると捉え、激しい金融引き締めに走ることになった。
日銀による、あまりにも大きな、そして長くながく続くことになるミスリードの始まりであった。

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ざっと、ここまで本書の前半から中盤までのエッセンシャルな(学術的な)箇所に注目しつつ、略記してみた。
本著者の高橋氏が幾度となく念押しされているとおり、経済とは規模のメリットであり、経済政策はマクロな数理システムの調整であり、そして生産供給力の強化は民間の自在な力量によるもの、とまとめられよう。

なお、最後に、本書最終段にある自由貿易(TPP)のメリット論について軽く触れておく。
p.209~p.215 にわたるそれぞれの需要供給曲線は、関税無き場合の貿易当事国双方のマクロなメリット、および、関税有りき場合のマクロなデメリットを示す。
ここでマクロな需給双方のいわゆる「余剰利益」の合計が図示されているが、これを平易にいえば、需給双方における期待売価(および買価)と実際の売価(および買価)の「差額の合計」である。
関税が高くなればなるほど、供給価格が上昇するため、この差額合計が大きくなっている、つまり余剰利益が小さくなっているのが、一目瞭然である。
本書ではこの差額合計を「デッドウェイトロス」として面積表示しており、極めて分かりやすい。

以上

2016/04/07

オフェンスとディフェンス

先に、新卒社会人向けのメッセージにて、世の中全体としては一定の目的など無い、と記した。
そうしたら、国防などしなくてもよいではないかなどとニヒリスティックに笑われてしまった。
そこで、ここのところもうちょっと記す。

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① たとえば、どんなスポーツにも、オフェンスとディフェンスがある。

オフェンスは各プレイヤーの生まれつきの天才やハートの強さで大小が決まり、自律的にリズムも方向も持っている。
いわば、芸術的、理数的、創造的な才気。
そんなプレイヤーの先天的なオフェンス能力を、あたかも電圧をかけるように指導者が押し出してやることは出来ると考える。
だが、どんな指導者も、プレイヤーのオフェンス能力を後天的に方向転換させたり潰したりすることは、出来ないのではないかな。

一方、ディフェンスは仲介的、配分的、政策的である。
他者が矯正し、補正し、誘導することがいくらでも出来る。
ディフェンス能力はトレーニング次第だから、量的にどんどん増大させることも出来る。
だが、ディフェンスばかり増やしても、オフェンス=創造力が強化されるわけがない。
まして、高齢化が進むとディフェンスばかり強化されるようになるから、世の中の創造力が減衰するとしてもやむなしですがな。

そもそも世の中の方向=需要と供給は、各プレイヤーなりの先天的なオフェンス能力によって「無作為に変わっていく」ような気がする。
つまり、運次第。
だから、一定方向など設定出来っこない。

じゃあ国防は、自衛隊は、となるが。
自衛隊とは、我が国にとってどこまでもディフェンス能力ではなかろうか。
だからもちろん意義も方向も政治的に設定されている。
そして、自衛隊に自律的な暴走など許されるわけもない(そんなこと危惧している人はちょっとおかしい。)

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② 民主主義の在りようは、常に議論され迷走させられる。
それは、民主主義をオフェンスとして捉える着想と、ディフェンスとして捉える着想が、錯綜しているからではないかな。

民主主義は、技術テクノロジー全てに対して最高の知識を有する人間たちこそが実現しうるもの ─ というのがオフェンスとしての政治論だと考えられる。

むろん、僕を含めたほとんどの人間には、それだけのオフェンシヴな技術テクノロジー知識など無い。
実務能力も経験則もない。
さらに、それらを習得する機会もありえない。
ざまざまな情報源に接することはあれ、それらのどれが正しく、どれが間違っているかなど、判別出来るわけもない。
だから、ほとんどの人間にとって、民主主義とは基本的人権を維持することのみがせいぜい、つまり他律的なディフェンシヴオプションでしかない。
ディフェンスゆえ、方向設定も合意も簡単で、一斉になされる。
だがまた、おのれの生命を保持するためゆえがこそ、カネと多数決でオプショナルにコロコロ変わり続けるのも当たり前だ。

たとえば、国防論を論理的に突き詰めるためには、核武装の方法について全国民がオフェンシヴな見識を交わさなければならないでしょう。
だが、そんなこと本当に全有権者に出来ますか?
俺はやだよ、いまさら原子物理学から核融合までマスターするなんて。
そんなもん、そういう分野におけるオフェンシヴな天才のお偉いさんに決めてもらうしかない。
俺たちは、毎日生き延びるためのディフェンスがせいぜいだ。

テクニカルに捉える以上、民主主義によるオフェンシヴな合意など実現出来そうにない。
しょうがないでしょう、ディフェンスがまずありきなのです、誰も悪くありませんよ。

以上

2016/04/03

TOEIC 2020

「社長、お呼びで御座いましたか?」
「オー、君か、ビーンウェイティングフォーユー。さあ、カムイン、オーバーヒアにビーシーテッド」
「はい、では失礼致します」
「さて、実はね、ユーとコンファームしておきたいサムシングをアイヴゴットでね」
「ははぁ」
「今年度の新入社員たちのイングリッシュスキル、どんな程度にハウグッドかスペシファイ?」
「そのことで御座いますか。ええ、とりあえずは TOEIC スコアのずばぬけて素晴らしい新入社員を、数名ほど採用いたして御座います」
「オー!グッジョブ!グッダーザンサポ-ズドだよ!これから営業拡大に向けて、キャットのハンドもボローしたいからね。イングリッシュスキルのハイなフレッシュピーポーは実に心がストロングだ」
「いえ、あのぅ……実はですね社長、その新入社員たちにつきまして、敢えてご報告申し上げたいことが」
「ん?何か問題がプロブレムハプンかね?」
「はぁ、そのぅ……確かに彼らは英語力は文句無いのですが…ちょっと一般見識において問題がありまして
「ほぅ?どんなライクホワット?さあ、ドントヘジテイトでフランクリーにウドライクユーのオピニオンテルミーだ」


「はぁ、では申し上げます。実はある新人についてですが、どうも、電流と電圧と電力量の違いについて、何度説明しても理解出来ないとか」
「ほぅ?それがホワッツザマター?」
「しかしですね社長、これはちょっとお粗末過ぎやしないかと」
「ナッシングバッドだよ君。で、その新人はどこの大学をグラデュエイトしたのかね?」
「はぁ、大学ですか、えー、××××ですが」
「グーーッ!私立の最難関じゃないか!グレイトリーにグレイトだ!」
「ええ、まぁ…それゆえにこそ採用致しました次第で…」
「なんだ君ィ?その奥歯にサムシングがスティッキングしたような物言いは?」
「ですが社長、まだ他にもですね、おかしな新入社員がおりまして」
「どんなライクホワットストレンジ?」
「ええ、そのぅ…どうも、3の六乗と6の三乗は同じだと言い張っているそうで」
「ハハン?ノープロブレムがアトオール、そいつも英語はオールモストフルマークにゴットイットスコアードなんだろう?」
「はあ、それはもう」
「ソー、どこの大学をグラデュエイトディドヒーだ?」
「はぁ、やはり××××でして」
「グーーーッ!我が社にジョイナスでハイリーアプリーシエイトだよ」
「ですが…まだ、他にもひどいのがおりまして」
「ハハン?ハハン?どんなエルスがエニシングバッドなのかね?!さあ、マターズをビークリアにハヴしたまえ!」
「はぁ。やはり英語力は最高なのですが、そのぅ、請求書と領収書の区別がつかないとか…」
「アーンド、その新人の大学は?」
「やはり××××でして」
「じゃあ何もプロブレムはノットイグジスティングじゃないか!もうイナフ、僕はすっかりマイハートがレリーブドだ。我が社のトゥマローはローズカラーだぞ。さあ、君、ちょっとアーリーだがこれからメシでもイート?」


(俺のフォールトじゃないからな、ははははは。)

2016/04/01

新卒社会人の皆さんへ (2016)


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① 新卒社会人の諸君。
これから当分の間は、腹いっぱい食え。
食生活が堂々としていれば、たいていのことには豪胆になれる。

女子諸君は聞け。
いつか、いっぱしのレディになりたければ(笑)、身振り手振りは控え、今よりもっと颯爽とした身こなしで、まっすぐに話すよう心がけよ。
毎日勉強せよ、勉強を続ければいつまでも美人で在り続けることが出来る ─ かもしれない。
時には母親と口げんかするかもしれぬ、だが侮辱してはいけないよ。
母親を侮辱したら君たち自身も終わりだぞ。

それから、男子諸君はよーく聞け。
君たちは母親から甘いあまい愛玩を受けてきた、かもしれぬ。
だが男子たるもの、自己の確立のためにこそ社会に出ていくのだ。
だから、男の先輩にアハンウフンとすり寄って媚を売ったり、てめぇの学歴を囁いてニヤついたりするな。
いつかブッ飛ばされるぞ (ブッ飛ばすぞ笑)。

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② 仕事とは。
(人間ふくめた)実体マテリアルを組み換え、物理移動させ、そのロジックを伝え、そこに価値と権利を付与すること。

これらのプロセスにおける、それぞれの実務や売買を自己内製化させてこそ、一丁前の創造的なプロフェッショナルになれる。
だから、理数系ほどプロフェッショナルになりやすい。
逆に、分業化を図る事業ほど、それだけド素人の便乗コストマンばかり増え、創造性が減衰していく。

なお、これらのプロセスにて、どの当事者のどのフェーズでも反応せずに残っちゃったもの、それが情報だ
つまり、情報は燃えカスに過ぎぬ。
同じ理由から、外国語もそれのみでは燃えカスに過ぎない。

我々はみな、違う人生において、違うペースで仕事をすすめ、だから我々の求める知識量はつねに違うはずなのに。
なぜ新聞は毎日かならず同じページ数なのか?
なぜ報道番組はいつも同じ時間帯を占めるのか?
新聞や報道番組が、いかに燃えカスを盛りつけているかってこと。
どうしてもテレビ観るなら、無音声でよし。

ヒマな年輩者が説教がてらに披露する思い出話も、ほとんどが燃えカス情報だ。
その実体は遥か過去の無間にとっくのとうに霧消しており、二度と復元されぬ。

燃えカス情報にいちいち一喜一憂するんじゃない。
もっとマジメにおのれのコンテンツそのものに挑み、おのれ自身の役回りを創造していこう!

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③ 学生の発想に則れば、この世の中の諸要素は、みながハッピィになるよう有目的に収束していくようにも見える。
しかし。
実際のところ、世の中のあらゆる実体は無秩序に膨らんではしぼみ、それらが無目的に振動し続けている。
無目的ゆえにこそ、市場経済が盛り上がる。
だが、おかしな連中が肥大化することもある。

ある連中がまともか否かは、経営形態によっても、適用法準則によっても、また多数決によっても完全には判別出来ないようである。
つまるところ ─ たとえば科学と、数学と、法規範(と神)のみで決まるのではないか。
粉飾決算をポロポロと小出しに白状したり、放射線被爆容量をコロッコロと変えてみたり、顧客データがいつのまにか紛失したり盗まれちゃったり。
こういうのは、きっと、科学か数学か法規範の少なくともいずれかにおいて狂っている。

たとえ一時、おのれひとりとなっても、狂うなかれ、一介の社会人としてまともであり続けろ。
そんな頑固なまとも人間たちこそが、まともな自然科学とまともな市場経済を存続させる。

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以上
なんだか説法調の文面とはなったが、考えるところをちょいとまとめてみた。

謝辞

ここに提示の記事は、いずれも私自身の判断責任のもと編集・投稿したものです。

大半の投稿は学生など若年層向けを意図してやや平易な表現にて、通俗性は極力回避しつつ、論旨の明示性を重視しつつ書き綴りました。あわせてまた、社会人の皆様にお読み頂くことも想定しつつ、汎用性高い観念知識を相応に動員しながら記した積もりです。

私なりの思考着想によるささやかな閃きが、皆様の諸活動にて何らかの光源たり得れば、望外の喜びであります。

山本