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東京都立川市出身、慶應義塾大学卒業、某電機メーカ勤務にてソフトウェアシステムの海外プリセールス等を経て、現在は教育関連に従事

2016/10/31

理想的な経済システムとは

ふと思いついた問題。
『日本は長引く景気停滞にも関わらず、科学技術開発は進む一方であり、知的所有権にかかる収入も増えている。これはいったい何故か?
本問につき、たとえば学生にたずねてみると、一様に混乱した面持ちになり、判然とした回答はなされない。
そうだ、この問題は学生ふぜいには答えられぬものなのだ。
いや、女性たちにとっても回答しにくい設問であるといえよう。
だが、まともに頭を使って働いている男性なら、まあ概ね答えは分かっている。

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① 或る経済ビジネスの系にあたったとき、我々はまず 『何が』 『何を』 『どうする』 『どうなる』 で分析するべきである。
『何が』 『何を』 としては、まずマテリアルを掴む ─ 無機物もあれば有機物もあり、天然物もあれば工業製品もある。
すると、それらの機能としての 『どうする』 『どうなる』 ロジックといえる ー 論理であり数学であり、運動であり反応であり、ソフトウェアである。

さて。
これらマテリアルロジックをもって、人間の経済行為の対象とする。
ならば、人間自身の経済行為はおしなべて何らかの 「創造開発」「供給」「消費」 として単純に定義出来、この連続サイクル(交渉)であることが分かる。
市場経済にて唯一の万国共通の大命題である需要と供給とは、これら 「創造開発」 「供給」 「消費」 の連続サイクル(交渉)における調整要素のことである。

いや、官僚などは 「消費」 だけじゃないか、というかもしれないが、冷静に考えてみて、「消費」 だけの職能が市場経済にて存続するわけがない。
女性はたいてい 『誰が』 『誰を』 から思考をスタート/リスタートする習性があるので、マテリアルロジックに対する探求が滞りがちになり、責任だとか謝罪などと空疎な罵り合いに陥りがち。
と、ここは笑わせて頂こう。

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② ここで、「創造開発」 「供給」 「消費」 の連続サイクル(交渉)とおいたのには、重大な意義がある。
理想的な経済システムは、宿命的な分業の細分化ではなく、むしろ連続的な協業の連続でなければならぬ。

そもそも、新規創造の意欲有る者たちが、ワーとかギャーとか意見交換し、試行錯誤を繰り返すうちに、新規の 「創造開発」 がおこる。
ここで新規に生まれ出てきたマテリアルロジックは、 「供給」 の段に至る過程にて、事業者内部および外部事業者との交渉が続く。
そこで、或るポーションは強力な知的ストックとして品質のフレキシビリティが重視され、更なる「創造開発」 の源泉となる。
一方、別のポーションは単純な量産フローアイテムとして 価格納期の効率化が追求され、大量供給と代金回収が最優先される。

さぁ、ここで交渉が止まりマテリアルロジック「消費」 がどんどん進むにつれて、ポーション別の分業化が徹底され、豊かな者は高く稼ぎ続け、貧しき者は安く駆けずり回るのであった、アーメン
…というのが、たぶん欧米型の経済モデル。
しかし。
理想的な経済システムというのは、「消費」 からまた新規のマテリアルロジックの 「創造開発」 が沸き起こるもの。
ここでまた、売り手も買い手も新たにワーとかギャーとか意見交換し、試行錯誤を繰り返す、そんな連続サイクル(交渉)としての経済システムが望ましいではないか。
たしかに、「供給」 の段にては、分業がいったんは固定化されるにせよ、「創造開発」 「供給」 「消費」 の連続サイクル(交渉)が永続するかぎり、分業は固定化しないだろう。

唯一、これらの連続サイクルを停止させ、交渉を腑抜けにして、分業を固定化させる要因があるとすれば ─ それはカネだけじゃないかな。
いや、カネそのものには意思など無いので、物価と所得を操作して連続サイクルを停止させる外部意思がどこかに在るのだろう。

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③ 以上が、理想的な経済システムについての極めて単純な一稿。
冒頭に挙げた日本経済システムの謎?についての、ひとつの見解たりうると信じる(信じたい)。

なお、とくに製造業に勤めて間もない人たちに、是非伝えたい。
マテリアルロジックの 新たな「創造開発」 は、けして単独の部門部隊のみにてなされるものではなく、だから「供給」の段にて分業化を固定化させてはならない。
開発・設計・製造・部材調達・営業と法務と経理と財務(と金融機関)、物流部門、さらに国内商社と海外代理店と調達パートナー、なにより顧客たち…すべてが、「創造開発」 「供給」 「消費」 の連続サイクル(交渉)の担い手たりえれば、最高である。
たしかに、電気メーカの営業部長のくせに電池の基本も理解出来ず論理回路をいつも読み違えるような、そんなアホだって残留している、が、そんなおかしな思想信条の連中が居座っているような企業が、まともな経済システムにおいて存続するわけがなかろう。

以上

2016/10/25

【読書メモ】 P≠NP 問題

 『 P≠NP 問題 野崎昭弘・著 講談社Blue Backs』
本書を手に取った直接の理由は、何気なく立ち読みしていたさいに不定方程式の解判定のくだりに惹き込まれ、さらに別ページにては、合成数(素数)の計算プログラムにおける非決定性云々に、クスリと笑わされてしまったこと。
ほほぅ、そうかなるほど、と頭から読みとおして…いや、本書はこれまで手にしたどんな新書版よりも難しい、やめときゃよかった!僕の見識ではとても読みとおせるものではない、だいいちサブタイトルは「現代数学の超難問」とな。
それでも僕なりの頭で概括すれば ─ きっと本書が呈する主題は、「数理問題の特性とくに難しさを、そこでのアルゴリズム(計算手順)の論理仕様を以て定量的に判定」 するこころみであり、それらの様々な事例紹介をとおして難問の世界に読者を誘う、というところではないか。

本書のみならず、数学について書かれた本では、面白いことに学術タームの日本語表現があいまいに映り、たとえば 『問題』 と 『解』 とその 『解法アルゴリズム』 の論理上のかかわり、とくに 『…という問題のアルゴリズム』 といった表現における助詞の 「の」 がいつも判り難い。
尤も、これらのかかわりについては、むしろ数式や計算プログラムから直観した方がピンとくる(だから此度の読書メモにても僕なりの直観に則って記してみた、まあ大筋は正しいだろう)。
とくに、数学やコンピュータ設計に通じている読者ならば、引用されている数式などを参照しながら読み進められた方が、主題と真意をいよいよ直観的に汲みやすかろう。
※ とりわけ、数学問題へのアプローチ例のほか、チューリング機械のデータ処理基本フローやループ問題、さらにオイラー路やハミルトン路の図示、そしていわゆる非決定性チューリング機械における数理計算の検証例など、パズリングな引用の数々。

なんにせよ、以下の僕なりの読書メモにては、あくまで総論概括を列記するに留めることとする。


コンピュータの高速化と巨大化を追求のため、特定のハードウェアにもプログラム言語にも限定されない、論理的に最も効率的な「アルゴリズム(計算手順)が追求され続けている。

<現在のアルゴリズムの主な評価尺度>
「時間計測量」: たとえば2つのデータ x,y を x≧y という大小関係として判定するような、特定の計算において、その計算ステップの実行回数を数値化したもの。
「サイズ」: たとえばn元連立1次方程式の n や、n次多項式 f(x)=0 の次数 n など、計算量に影響を及ぼす規模の数値。
「多項式時間」: とくにサイズ n の多項式でおさえられる時間計算量。
「指数関数時間」: サイズ n の指数関数でおさえられる時間計算量。
(※ p.116 に問題のサイズ(オーダー規模)と時間計算量のマトリクスあり。)

<必要なアルゴリズムと計算量に基づいた、問題の難度クラス分け>
クラスL: アルゴリズムが、或るサイズの1次式(対数や平方根ふくむ)に収まり、簡単に解を導ける計算量の問題群。
サイズのみならず、一定時間内に解けること明らかな計算量問題も含まれる。
クラスQ: これはクラスLの問題を含み、さらに、アルゴリズムの計算量が或るサイズの2次式に収まる問題群。
たとえば数値データを整列する問題など。
クラスT: クラスQまでの問題も含みつつ、さらに、アルゴリズムの計算量が或るサイズの3次式に収まる問題群。
クラスP: クラスTまでの問題も含みつつ、さらに、アルゴリズムの計算量が或るサイズの多項式に収まる問題群。
或るアルゴリズムがここまでのクラスに属することが、サイズを問わず解を判定するための必要条件である。

クラスEXP: クラスPまでの問題も含みつつ、さらに、アルゴリズムの計算量が或るサイズの多項式を指数とする関数に収まる問題群。
たとえば、或るサイズの入力を以て指定された入出力関係を満たす、最も簡単な電子回路の設計難度レベルであるが、このクラスになると、サイズ次第では計算量が爆発する恐れアリ。
クラスS クラスEXPまでの問題も含みつつ、計算量はともかくとして、有限時間内に解きうるであろうアルゴリズムの問題群。

※ なお、このクラス階層分類のさらに外縁に、解くためのアルゴリズムが存在しないであろう=つまり一般的にみてどうしても解けないであろう問題群が、無数にある。

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数理計算問題の難しさを、解法アルゴリズムの有/無を以て確認するため、とくに何らかの解の存在判定を目的とする計算問題をおく。
これをいわゆる「決定問題」と称す。
※ とくに任意定数a,b,c,dなどを含む数学的な問題群を、決定問題の論考における足がかりに据えている。
一方、実際の解の算出や最適化の提示を求める問題は、「決定問題」には含めない。

<決定問題と、解法アルゴリズムの関係(例)>
・ヒルベルトによる第10問題。
「指定された不定方程式が整数解を持つか否か、そこを判定する"一般的な"方法はあるか?」
むろん、1次の不定方程式の場合に限れば解法アルゴリズムが在り、必要十分条件の定理として、定数項が係数の最大公約数で割り切れればよい(ユークリッド互助法で確認出来る)。

・一般的な解法アルゴリズムが在る、と見做せる決定問題であれば、1930年代以降のいわゆるチューリング機械の応用系にてそれを定式化=実証出来る ─ ということになっている。

・だが併せて、チューリングによれば、そもそも「ヒルベルト提起の決定問題には、定式化どころか、そもそも原理的に一般化出来ず、解法の有無判定すら出来ない問題も『ありうる』」由
(上の問題クラス分類でいえば、クラスSのさらに外側の問題にあたる。)
チューリング機械においては、或るプログラムが実行停止した際にそれが論理ループによる異常終了か否か、その判定をそのプログラム言語自体で確かめることは出来ない、とされている (プログラムの停止問題)。

なお、不定方程式についていえば、ずっとのちになってマチャセヴィッチが 「不定方程式の解の存在を判定する一般的な解法アルゴリズムは無い」 と定理済み。

・経路図の「グラフ」に関わる問題例。
経路図を節点(node)と辺(edge)を以て表現すると、とくに全ての辺を一度ずつ通る単純経路がいわゆる「オイラー路」で、この存在判定の必要条件は、辺が奇数本集まっている点(奇節点)が0または2個しかないこと
しかし併せて、この経路のどの節点もなんらかの経路で連結されてこそ、オイラー路存在の十分条件を満たすといえ、ここまでは、オイラー路の存在判定のための必要十分条件でとしてアルゴリズムが定理化されている。
なお、特に奇節点が0の図は「オイラー閉路」と呼ばれる。

・だが、やはり経路図のグラフについて、有名な問題に 「ハミルトン路」 がある。
こちらは存在判定のためのアルゴリズムが無く、存在判定には総当たり方式による経路探ししかない。
とくに出発点と終点が同一であるものを、「ハミルトン閉路」という。
この「ハミルトンの閉路」の存在判定アルゴリズムは、上分類のクラスEXP内に属していることは分かっているが、クラスPにまで属しているかどうか分かっていない。

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<非決定性アルゴリズム>
「決定問題」にては、その解法アルゴリズムの有/無判断をウヤムヤにしてしまうインチキアルゴリズムも混じり、それを特に「非決定性アルゴリズムNon-determinisitic Algorithm」という。
コンピュータプログラムにて、この非決定性アルゴリズムの介在を直接確かめることが出来る。
(そもそも、乱数を利用しないコンピュータプログラムは、決定性アルゴリズムだけで走る ─ はずである。)

その具体例は、「自然数 n (<2) が合成数かどうか?」を確かめる計算プログラム。
ここで n>k>1 の有限範囲にて任意の k を選ぶさいに、決定的な要件指定ナシに自由な数をおいており、ここは「非決定性」のステップである。
たとえ、その先の条件分け 「n を k で割った余り d が0か否か」 が決定性のステップでなされているにせよ、プログラム全体としてはあくまで「非決定性アルゴリズム」の実行というべきである。

しかも、この非決定性アルゴリズムの実行プログラムにおいて、結果的に最小の「時間計算量」をもって、アルゴリズムの実行力を評価している。
さらに、この同じ計算プログラムにて自然数 n が素数であった場合には、「n を k で割った余り d が0か否か」 のところで答えが No となり、計算が繰り返されることになる、が、このケースを無視してアルゴリズムの実行力を評価している。

以上にみられる不完全さにも拘わらず ─
非決定性アルゴリズムが何らかの解を出力する場合には、これを一応は認めつつ、その最小時間計算量を「非決定性時間計算量」と限定的に定義する。
そして、この非決定性時間計算量が何らかの「サイズ」の「多項式」で収まる問題クラスを、「非決定性アルゴリズム(Non-determinisitic Algorithm)にて多項式時間(Polynomial time)で解ける問題、つまりNP問題という。

このNP問題のクラスは、上の分類にてはクラスPをすべて含みつつクラスEXPの内に存在する─ことにされている。
上に記した「自然数 n (<2) が合成数かどうか?」 の問題は、非決定性アルゴリズム抜きと見做せばクラスPの問題だが、じっさいには非決定性アルゴリズムが含まれていることは明らかなので、クラスNPの問題とされる。
さらに、ハミルトン閉路の問題も、その計算にては非決定性アルゴリズムの要素を無視しつつも、多項式のサイズを勘案すれば、クラスNPに属した問題だといえる。

なお、クラスNPの内におかれつつ、クラスPには無いという、そんな問題は「ひとつも見つかっていない」。
ということは、問題クラスがPと問題クラスNPは、もしかしたら同じ問題なのかもしれない。
この疑義を P≠NP 問題と称している。

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以上

2016/10/02

ビジネス命題

① 所得の高い家計に育った子は、学力も高くなる、という。
教育ビジネスにとって、これは立派なビジネス命題だ。
もちろん、一般消費者を教育への積極投資に誘っているからである。

それだけ教育熱心かつ、科学技術と経済効率における先進国にありながら、どうしていつまでも奨学金が必要なのか、そして、どうして返還出来ない人たちがあとを絶たないのか?
いやいや、愚問だ。
奨学金はあくまで経済全体におけるカネの分配問題であり、教育ビジネスの命題設定範囲を逸脱している。
ほっとけ、そんなもん。
豊かな家計の子弟が素晴らしい秀才に成長し、世界のあらゆるエリート大学組織に進学出来れば、それでミッションコンプリートだ。
どうせ、どんな秀才を育ててみたところで ─ 地震や津波を制御はおろか予測だって不可能だろうし、核戦争を永遠に抑止することも出来ないかもしれぬ。
出来もしない思念を、教育ビジネスの命題俎上に乗せてはならぬ。

…とまあ、このように、ビジネスを「特定の損得のみに絞って絞って絞りぬいて"命題化"」するのが、プロのプロたる所以である。
したがい、量(volume) よりもむしろ率(ratio→rate) での勝負に徹する。
エネルギーではなく、物質でもなく、短期的観測データで素早く勝負。
知識量でも論理勘でもなく、誰かが設定した偏差値で手っとり早く勝負、と言い換えてもよし。
サービス業はおおむねこういうもの、マスメディアも同じ、小口金融もそこを期待しており、左派勢力も同じ、かもしれんよ。
議会政治のありようも似ている。

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② サービス業や議会政治のような短期的事業は、ともかくとして。
大局的に産業全体をみれば、ビジネス命題化の徹底は自己矛盾してもいる。
その 「論理上の最適解」 は、すべての事業者がオンリーワンのサプライヤを目指し、おのれの製品のみに特化し、損得を極限までちっちゃくちっちゃく微分していくこと。
そうするとコストは…と説くのが小口金融の経済学だが、もっと理知的に勘案すべきは、需給のうちとくに供給能力が解体される一方であること。
インテグレータもコーディネータも居なくなってしまい、システム複合型の製品が実現化出来ない方向へ。
こういう供給能力解体の局面が続けば、まあ、少なくとも三井物産や三菱商事や丸紅などは縮小の一途となるでしょうな。
総合電機メーカなどは無くなってしまうだろう。
自衛隊や総合病院、いや、国体は維持出来るだろうか。

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③ もっと苛烈に皮肉を言えば。
ビジネスの命題化を極限まで突き詰めると、むしろ、カネの集積のみを以て何事もなしうるという、本末転倒の錯覚すらまかり通るかもしれない。
たとえば。
或る閉ざされた部屋にて、シャーペンの芯のかたわらに1億円の現金をお供えし、ウァーーーッ、トリャーーーッと念仏を投げかけていれば、それがパッとダイヤモンドに変わっている ─ というような。
そういう論説答案を作成する子が東大や京大に入るようになったら、反日左派メディアは手を叩いて喜ぶ、かもしれない。
しかし、かかるメチャクチャな供給破綻と需要幻想が、教育ビジネス命題化の宿命たりうるだろうか?

いや、グラファイトとダイヤモンドは、これこれこのように組成属性からして似て非なるもの…だからカネだけお供えしても物質が変わるということはないのだよ…我々はいろいろなことを更にさらに検証していくべきなのだよ…
というふうに、供給プロセスのリスタートを何度でも何度でも説いて聞かせる雄大な活動こそが、まともな需要も触発するのでは。
それこそがまともな教育のはずである。

以上

謝辞

ここに提示の記事は、いずれも私自身の判断責任のもと編集・投稿したものです。

大半の投稿は学生など若年層向けを意図してやや平易な表現にて、通俗性は極力回避しつつ、論旨の明示性を重視しつつ書き綴りました。あわせてまた、社会人の皆様にお読み頂くことも想定しつつ、汎用性高い観念知識を相応に動員しながら記した積もりです。

私なりの思考着想によるささやかな閃きが、皆様の諸活動にて何らかの光源たり得れば、望外の喜びであります。

山本