2016/12/25

ラヴレター

「やぁ、こんにちは!今日はどういったご用件で?」
「はい。じつは、この手紙について、ご相談申し上げたいことが」
「ちょっと拝借 ─ ほぅ、手書きの手紙ですね。これ、読んでも構いませんか?」
「はぁ、どうぞ」
「それでは。えーと…なになに?…貴女が好きです?へぇ、ずっと以前から…ふんふん…貴女は小さなピアノのよう…ははん…僕は貴女の鍵盤になりたい…ははははっ、いや、失礼。しかし、これは面白い、はははは」
「そうでしょうか?あたしは、どうも腑に落ちなくて。だって、この手紙には差出人の名前が無いんですよ」
「へぇ? ─ あぁ本当だ、住所も連絡先も記されていませんね。郵送の消印も無い」
「それ、郵便じゃないんです。じつは昨晩のことですが、仕事帰りのあたしの鞄の中にその手紙が紛れ込んでいたんですよ。ヘンな話でしょう?」
「……うーーーむ。もしかしたらですが、これは内気な男の悪戯かもしれません。しかし、自身の筆跡を残しているあたり、なかなか楽しいことをする奴じゃないですか。サンタクロースみたいで。はっははは」
「あのぅ、あたし、その筆跡に心当たりがあって」
「ほぅ?筆跡に、ですか?」
「以前からの知り合いの男性のものに、すごく似ているんです」
「ははーーん?それじゃあ、その彼が、貴女に忍び寄って、そっと、この手紙を」
「でも…やっぱり、あたし、その手紙の主が許せなくて」
「えっ?許せない?ど、ど、どうしてですか?」
「だって、あたしの名前さえもぜんっぜん記されていないんだもんっ」
「あっ!しまった!」
「ねえっ!もう、いい加減にしたらっ?それ、あなたが書いたんでしょう?だって、あなたの筆跡にそっくり!文体も!ねえ!その手紙を何通も書いて、いろんな女性宛てに片っぱしから届けたんでしょう?!」
「……」
「いったい、どういうことなのよっ? 『内気な男の悪戯かもしれません』 て、何事なの?なにがサンタクロースよ!?ああ、あたし、ぜったいに許せない!」
「……たしかに、これは僕が書いたものです。僕なりの誠意を込めて、手書きで綴ったんですよ。そして、そしてですね、そのことに気づいてくれたのは、貴女だけなんですよ。だから、だから…」
「だから、なに?もう、あなたは一生許さないから!二度とこんな悪戯が出来ないように、あたしはあなたのピアノになって、あなたに毎日同じ曲を弾いてもらうことにするから!さぁっ?返事はっ?」


(おわり)

2016/12/18

フリーダム

人間の知性というものは、いつもリスクから回避する=リスクを先送りするように起動している、と考える。
知力が高い、とは、リスク回避オプションを多く有するってことだろう。
だからこそ、ケダモノより人間の方が知性的だと言われるはず。

自由競争、という言葉はしばしば勘違いされている。
自由競争の能力とは、経済(学)用語でいう 「取捨選択オプション数の多さ」 のことなのだから、もちろん投資の自由や技術開発の選択数でもあるが、また同時に、投資や技術開発や雇用を「回避し放棄する」選択肢の多さでもある。

だから、いわゆる超インテリたちの逃げ隠ればかりの言動を追えば、人間の文明の論理的な寿命がわかる
─ かどうかは知らないが、なにはさて、いかなる個人にも企業にも、市場から撤退する自由があり、技術開発を放棄する自由があり、従業員を解雇する自由だってある。
我々日本人がこれまで頼りかかってきたアメリカ(さま)にだって、撤退する自由があり、孤立する自由がある。

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ところが、だ。
どうも妙なことに、人間がリスク回避の自由権にのっとり、おのれの外縁部にバラ捲いてきたもののち、ある程度のものまでは、むしろ逆に「人間とリスクを近接させてきた」ような気もする。
すぐ思い当たるのは核エネルギーで、戦争を回避するための叡智としての核兵器だったはずなのに、却って戦争を全人類共通の同時的なリスクとしてしまっている。
ほかにも放射線、有毒ガス、電磁波、数学、コンピュータなど。

時々考えること。
情報の電子データ化によって、マテリアル上のリスクと資産運用のリスクを分散することは出来るようにみなされる、が、同時にまた、電子データはネットワーク化と極めて相乗しやすいので、リスクの現実化かつ拡大化をも導く一方ではないか。
ひとたびネットワーク共有化されてしまったデータのうち、ある特定の情報属性のものだけを、選択的に削除出来るだろうか? ─ 否、むしろビッグデータ化にともない、選択的な削除はますます困難になっていくのでは?
却って、全ての電子データを削除してしまうほうが容易な気がしないでもない。

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おっと。
コストの話をしていませんね。
戦争リスクを回避し、被曝リスクを回避し、伝染病リスクを回避し、経済リスクを回避し、ネットとデータの悪用リスクを回避する ─ そんなリスク回避の知性と自由を謳歌するためにこそ、国家があり領域があり、政府や軍隊があり、だから国家連合のような理念だってある。
とすると、これらは自由と知性のためのコストだということになり、これら政府や軍隊が巨大化していればいるほど、我々は自由で知的だということになる……??
いったい、どう考えたらよいのだ?
EUの理念は少なくとも政体としては瓦解しかけており、TPPはアメリカが逃げ腰だが、これらは 「リスク回避」 の放棄なのか、はたまた、「リスク回避という自由競争」 への逃走なのか。
アメリカがいつまでも合衆国であり、単一国家でないのは、どちらを意図してのことなのだろう?

鍵は通貨に在るような気もしている。
通貨とはあらゆるリスク回避のための媒体、と考えられるが、しかしそのリスク回避のために通貨を奪い合うからこそ、あらゆるリスクが増大しているのでもあって。
じゃあインフレになればなるほど、我々は自由で知的だってことかいな。
どこか、おかしい。

以上

2016/12/04

【読書メモ】 意識と本質

ちょっと哲学論考。
ごく最近読んだ不思議な本として、『意識と本質 井筒俊彦・著 岩波文庫 という難書についてざっと触れてみたい。
おそらくは、著者自身のさまざまな見識と哲学研究を大成させた著作(集)であろうか、かなり緻密かつ重層的な随想ゆえ、ここではコンテンツ抜粋/要約は記さないこととする。

ただ、少なくとも導入箇所を読む限り、本書でほぼ一貫されているように見受けられる総論は ─
人間はその本性として、存在するモノや事象に対しておのれの意識を切り込ませ、万物にて”普遍的”であろう”本質”をそこに見出し、それを人間なりに形而化(ターム化)させる」
といったところか。
この人間の意識活動をものすごく大雑把に表現しなおしてみれば、森羅万象を成す瞬間瞬間の偶然のうちに、永遠の必然という公約数を見極める行為」、と言えなくもない。

本書では、東洋人に卑近な宋学や禅にみられる”普遍的本質”への探求活動を、意識が「分節」して万物の”普遍的本質”と一体化する、との技巧表現にてひとつの基調に据えている。
或いはこれを、アリストテレス以来の原子論とイスラーム哲学の苦悩的な邂逅、そしてマーヒーヤ論にも見い出しつつ、ドゥンス=スコトゥス、アヴィセンナ(イヴン=シーナー)などなど、哲学史上の巨星たちの名が続く。
さらには、その”普遍的本質”は美であるとして万物から蒸留せんとしたリルケや、万物の希釈の果てにこそ美が残るとしたマラルメまで紹介。

かつ反面にては、偶然因果律?も中世以来連綿と続いてきた旨、例示されている 。
いかなる事象にても、人間意識の「外部に」神のごとく存在し続ける「随意」が確かに見出せるのだから、たかが人間意識による”本質”の設定に”普遍性”などおけるわけが無い、と。
近代英国最高の哲学者ヒュームでさえこの見方をとった由。

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さて。
本書は人間意識による”普遍的本質”探求についての考察本ゆえか、以下の2つについては踏み込んでいないようにも見受けられた。
① 実在する物質(なんらかの量子)の経時変化やエントロピーと、人間意識とのかかわりについて、動的な関係付けがハッキリしない。
さらに。
② この”普遍的本質”への探求過程にて、人間の意識のうちに何らかの勘違いないし嘘が混じり込んでいるか否か、その見極めについて記されていない。

ここのところ、科学者はどのように解釈するであろうか?
『たしかに既知の物質や事象は確かに動的に変化し続けるし、人間だって移り気な動物にすぎぬ。
それでも人間は、森羅万象に対して、質量や圧力や熱量という共通尺度をもって、元素やイオンや電磁波や粒子などを還元してきたのだから、皆がこれらをいつも「了解」すれば、もう真実も嘘もないじゃないか』
 ─ と、なるのだろうか?

ならば、逆エントロピーとして存続し変化し続ける生命と、その生命としての人間の知性は、いったいどう関係していると考えたらよいのだろうか?
生命に対して”普遍的本質”を探究すること自体、おかしいのだろうか?
もし、この問題を脳意識(情報)と生命と物理環境の連関におきなおしてみたら、たとえば解剖学者の養老孟司氏は如何ように哲学化されるだろうか。

(頭が痛くなってきた。)

以上

謝辞

ここに提示の記事は、いずれも私自身の判断責任のもと編集・投稿したものです。

大半の投稿は学生など若年層向けを意図してやや平易な表現にて、通俗性は極力回避しつつ、論旨の明示性を重視しつつ書き綴りました。あわせてまた、社会人の皆様にお読み頂くことも想定しつつ、汎用性高い観念知識を相応に動員しながら記した積もりです。

私なりの思考着想によるささやかな閃きが、皆様の諸活動にて何らかの光源たり得れば、望外の喜びであります。

山本