2017/11/19

目覚め


「おい!君、どこに行くんだよ?そんなでっかい瓶なんか抱えてさ」
「この先の泉に行くのよ、水を汲みに。だって、うちの井戸から水が出なくなっちゃったから! ─ ほらっ、どいてよ」
「なあ、君さぁ、そんな格好で歩いてたら、じきに腰の曲がったばあさんになっちゃうぞ」
「もう!どいてよ、日が暮れる前に水を汲んでおきたいんだから!しっ、しっ」
「なんでそんなに急ぐのさ、若さはもっと楽しまなくっちゃ」
「うるさいなぁ……ねえ、あんたさぁ、そんなにヒマなら、この瓶にいっぱい水を汲んできてよ、ほらっ!」
「なんで、俺が、あははは、イヤだよそんなの」
「ふーん、男のくせに弱いのね」
「べつに…弱いってことはないよ」
弱いわよ、あー、本当に情けないわ。痩せ犬みたい。女の子の労働すら引き受けられなんて、あんたのお父さんが見たら顔を真っ赤にして怒るだろうなぁ、こんな弱っちい息子だったのかって。ふっふふふ」
「そんなことはない!なんだ、そんな瓶くらい!おら、貸せ!いいか、俺は痩せ犬じゃないぞ。泉の水を入れてくりゃいいんだろ、ここで待ってろ、すぐ持ってくるから!」


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「はぁ…はぁ……ほらっ、どうだ!?」
「うわー、早かったのね、走ってきたの?ご苦労さま、ふっふふふふ」
「…俺は、痩せ犬じゃなかっただろう…」
「うん、見直したわ。ちゃんとした犬だってことがよく分かった」
「犬じゃないぞ!バカにすんな!」
「感謝しているのよ、ありがとう」
「…なあ、君、こんなこと毎日続けてたら、すぐに腰の曲がったばぁさんに」


「ねえ!」
「ん?」
「ほら、きれいな夕陽!どうしてあんなに真っ赤なんだろう」
「夕陽だと?…さぁ、どうしてかな」
「ああ ─ いつまでもこんな素敵な日々が続きますように」
「さぁ、どうだろうかね。それより、さっきまで走っていて気づいたんだけど、いつの日か、俺たちがこんなことしなくてもいいように、もっともっと便利なことが起こっているんじゃないのかな」
「あたしは、今のままでも楽しいんだけど…」
「でも、いつか、君や俺みたいな若い連中が、もっと楽をしてもっといろいろなことを学べるような時代が、くるかもしれないよ」
「今のままで、いいんだけどなぁ…」
「ふーん、そうかね」


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「ねえ、影を見て」
「え?」
「影って、不思議ね…何もかも教えてくれるもん、影って」
「へぇ。そんなもんかね」 
「あたしの影を見て。さぁ、あたしが何を考えているのか、わかる?」
「分かんねぇよそんなもん」 
「そうね、あんたの影も『わからない』って言っているわ」
「なんだそりゃ ─ それじゃ、俺が何を考えているのか、君に分かるのかよ?」
「ふふふふっ、馬鹿ね。あんたの影は『俺はいま何を考えているのか分からない』って言っているわよ」
「訳の分からないことを言うなって。こんがらがってくる」
「でも、影はこんがらがってないわよ。何もかもお見通しなの。ふふふっ、あんたって、やっぱり犬みたい」
「ふん、そう思いたければ思え ─ じゃあここでお別れだ」
「そうね。さようなら。それからありがとう。あ、そうじゃなくて、ありがとう、それからさようなら、かな?ねえ、どっちがいい?」
「どっちでも」
「…ねえ、明日も会ってくれる?」
「気が向いたら」


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気が向いたら、と言い放つやいなや、少年はとつぜん踵を返し、猛然と走り始めた。
ああ、遅い、遅い、俺はあまりにも遅い。
犬でさえも、遥かに速く走るぞ。
何をモタモタしているんだ!
人間はもっと、もっと速く!
いま駆け抜けるこの草原と、地下を流れる水脈と、あの沈みゆく太陽は、きっとどこかでつながっている。
その何か、そのかかわりを、いつか巧みに結び付ければ、きっと巨大な世界がはじまる、彼女が喜ぶ世界が出来る、みなが喜ぶ世界が興る。
俺にも、なにかが、出来そうだ。
おのれにそう言い聞かせながら、少年はいよいよ膝高く疾走していく。
どんな闇よりも速く!
明日の太陽よりも強く!


(永遠につづく)

2017/11/14

ピアノの家

先月のこと、近所の新築住宅に越してきた家がある。
ちょっと贅沢なつくりの真っ白な木造二階家、生垣は品のある淡いジャスミンの植え込み、その隙間から庭先をちらりと覗き込めばささやかなガーデニングは小ぶりなバラであろう、芝生は見事に刈り込まれている。
夜半になると、オレンジ色の照明が白塗りの壁に映え、あったかな格調と佇まい、ピノキオやピーターパンの影絵さながらだ。

あらためて表側の門構えを見やれば、木製看板で 「ピアノ教室」 とある。
ほぅ、ピアノか。

平日の朝は、このピアノ教室の家から一人の娘が駆け出してくる。
服装や身ぶりから察すればおそらく中学生だろう、たまに路上で僕とすれ違うと、ずり落ちそうな眼鏡をきゅっと引き上つつ、気取った仕草で速足に、市街地方面行きのバス停に向かってゆく、これがなかなか可笑しくて堪らない。
とはいえ、近所だからといって馴れ馴れしくするとおかしいだろうから、と、彼女も考えているだろうから、そっけなく素通りする。

そういえば。
あの娘は、あの家でピアノをつま弾くことがあるのだろうか。
そもそも、「ピアノ教室」 と冠している以上は、母親がいわば講師であろう、としたら、あの娘はピアノ演奏をいっさい禁じられているのかもしれぬ。
あんたが弾いたら、下手っぴーなピアノが近所に聴こえちゃうじゃないの!ダメよ、ダメダメ!…などと諭されていたりして。

いや、それよりも。
これまで幾度となく、あの家の前を昼にまた夕刻にと通りすがったことがあるが、ピアノを演じているのを聴いたことがない。
ははん、もしかしたら、看板は出してはみたものの、まだ越してきてから日も浅いので、受講生は居ないのではないか。


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あの娘は毎日、学校から帰宅するやいなや母親に尋ねている、かもしれぬ。
ねえお母さん、ピアノの受講申し込みは有った?などと。
ううん、まだ無いわよ、気長に待つことにするから、あんたは気にしなくていいの、と母親は素っ気なく答えるだろう。
でも ─ とあの娘はちょっと怪訝そうに問いただすかもしれぬ ─ ピアノ教室がうまくいかなかったら、うちのピアノは売っちゃうの?
ばかね、と母親は軽く嘆息しながら諭すことだろう、そんなこと心配しなくてもいいのよ。
でも、お母さんはせっかくピアノが上手に弾けるのに、なんだか可哀そう。
もう、そんなことは気にしちゃダメ、ねえ、あんたは勉強さえ頑張っていればいいの。
そしてレースのカーテンをさっと開けながら夕陽の採光に室内を照らしつけ、ちょっとだけため息をつきながら…
そんな母親の背中を見ているうちに、あの娘はきっと堪らなくなって口走るだろう、ねえお母さん、いつかこの家にも住めなくなっちゃうの?
そんなことはないのよ、と母親は踵を返しながら口早に反駁するだろう、そんなことはないの!さあもう自分の部屋に行きなさい、ちゃんと宿題を済ませなさいよ!それが済んだらお台所を手伝ってくれる約束でしょう。

あぁ。
もしもそんなふうな実情だとしたら、あの娘の胸中、いかばかりか。
そして、だ。
もしもだよ、そんなおりに、こんなふうなe-mailがあの家に届けられたら、どんなことになるだろうか…。

『拝啓
初めてお手紙を差し上げます。小生は御宅近郊に住む一介の男性で御座います。御宅にてピアノ教室を運営されている由を拝見致し、一筆執らせて頂くことと致しました。
小生には中学生の姪が有り、本人曰くピアノに熟達しております。或る故有って、この姪っ子が此度の冬休みの期間につき小生の自宅に滞在することとなりました。しかし生憎ながら小生宅にはピアノが有りません。
そこで、誠に恐縮な御願いながら、当該期間に限り御宅にて彼女にピアノの練習機会を頂けぬものでしょうか?もし御受け頂けます場合には本信にご返信賜ればこの上無き幸甚に存じます。
尚、小生の実名及び住所は当面の間は開示を控えさせて頂きたく、理由は、弊申し出をお断り頂いた際の貴方様及び小生の心苦しさを勘案致す為で御座います。本旨重ね合わせてご了察頂ければ幸いです。
敬具』

このメールを受け取った母親は、きっと最初は大いに慮り、しばし疑いまた穿ち、ふっと失笑し、それでも、ああもしかしたらこのメールの主旨は真実かしら、もし真実であればなんて素敵なことかしらと、幾度となく思いを巡らすことだろう。

そして一夜が明けると。
翌朝、あの家の娘はいつもよりも溌剌と、もう跳ねるような足取りでバス停に向かってゆくに違いない。
なぜなら、無論のこと、あの娘は母親からメールのことを聞かされて、ほぅらやっぱりあたしのお母さんは偉いんだ、世の中にはちゃんと見てくれる人がいるんだなどと自尊心でいっぱいだろうからだ。
そんな刹那にすれ違うこの僕こそが、母親にメールを送った善意の匿名者であろうとは、この娘はついも悟ろう訳が無い、それでよいのだ。


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以上のようなことを僕なりに勝手に想像しつつの、今朝方のことである。
またも、この娘とすれ違った。
すれ違いざまに、彼女は、つい、と僕に一枚のチラシを差し出した。
「あのぅ、これ、読んで下さい」
「なんだ、これは?」 ドキリとしつつも、僕は訝し気に問うた。
「うちの宣伝です。うちはピアノ塾をやってるんです。現在、生徒を募集中なんです」
「へぇ」
さりげなく答えてはいたが、この時、僕は心臓が早鐘を打ち始めたような切迫感に駆られていた。
これはなんということだろう…あたかも、ピアノの鍵盤におそるおそる指を置いて音階を確かめていたら、そのピアノが勝手にソナタを弾き始めてしまうような、そんなふうな驚きである。

いや、しかし。
しかしあくまで、僕は素っ気なさを貫くことにしたのである。
「あのぅ、ご家族に、ピアノに興味がお有りの方は」
「おい、君」 と僕はつとめて静かに言った 「こういうものはね、君じゃなくてご両親の仕事じゃないか。君はこんなことしなくていいんだよ」
「…」
「だから、このチラシは受け取れない。分かったね」
彼女は黙ってそれを手にすると、小さくちいさく折り曲げながら、ちょっと顔を高揚させつつ、すいませんでしたと小声で謝り声をあげた。
「おい、待て」 と僕は続けた 「すいませんなどと言う必要は無いよ。僕は何も読んでいないし、何も受け取っていない。だから何にも知らない。それでいいじゃないか。何にも気にすることはないんだぞ」
彼女は頷いた ─ かに見えた ─ それから突然駆け出していった。

その姿をしばし見送りながら、僕はほんの一瞬、猛烈な後悔を覚えていた。
僕の姪っ子がこの冬に我が家に逗留するかもしれず、そうであるのなら、この娘のピアノ塾に通わせてやりたい、と、これは僕が本気で考えていることである。
この由を、あの娘に伝えてやったなら。
ああ、もしそうしたら、あの娘はどんなにか喜ぶだろう、僕の姪っ子と出会い、母親の前でピアノの演奏を競いあい、そして楽しく合評しあう、そんな日をどれほど楽しみに待ち焦がれることだろう ─ 
いや、やはりこの話はどこまでも母親に筋を通すべきだろう。
そう、すぐに思い直して、僕はこの娘には何も話さないことに決めた。
思念と現実は、幾重にも折り重なり、また入り組んでいるもの、そこを峻別し、また斟酌するのが大人ってもんだ、と僕なりに考えている。


おわり

2017/11/03

【読書メモ】 人工知能はいかにして強くなるのか?

 『人工知能はいかにして強くなるのか? 小野田博一・著 講談社Blue Backs』

ディープラーニング(深層学習)の数学上の意義にはなにか。
そもそも、我々はAIに何を「教えて」いるのか ─ のみならず、AIにどのように「判断させ」「考えさせて」いるのか、ここを概念理解してこそ、ディープラーニングへの了察が始まるのであり、そしてもっと総括的にいえば、人智/ハードウェアのこの論理接続こそがコンピュータ(自動化)の根本であり、ソフトウェアや数学の本質でさえある。
……といったところを再認識させてくれたのが本書の導入箇所であり、それゆえ本書の紹介にあたっては、コンテンツの大半を占めるAIの対戦ゲーム論ではなく、基礎教育分野のひとつとしての数学論(多変量解析)を挙げておこう、と僕なりに思いついた次第。
なるほど、向学意欲に溢れ能力も高かろう学生諸君にとっては、この第2章までは安易に過ぎぬやもしれぬ、いや、それでも諸君のこんごの指向ないし進路像にて少なからぬ知的インパクトたりえるのではないか。

とまれ、以下の『読書メモ』にて本書の第2章を基礎数学論として概括してみることとした。
かつ、本書にては詳らかに紹介されていないデータスキャニングの入出力(とくに畳み込み方式)や数学論に関しても、僕なりの拙い知識でちょいと捕捉しおく。


<大前提>
ニューラルネットワーク(neural network)とは、多数の入力データが特定のパターンに合致するかどうか、部分的な観測結果を加え合わせて判別するための、多層構成のパーセプトロン(膨大な演算ユニット群=コンピュータ群)。
ニューラルネットワークに接続されたコンピュータに、データ分析と判別のための多変量解析を学習させてゆく方法論が、ディープラーニング(deep machine learning)である。
この多変量解析のための数学手法として、データの回帰分析および、それを活かしつつ閾値によってグループ分けを行う判別分析、評価関数などがある。
特に本書では、多変量解析の具体的なアプリケーション例として、画像データのスキャニングと判別を挙げている。

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<回帰分析>
複数のデータ式のパラメータ要素 x0, x1, x2 ... xn における係数 a0, a1, a2, ... an を調整計算し、線形の一次式 y = a0+a1x1+a2x2+a3x3 + ... anxn   に回帰(収束)するように係数を合わせてゆく数学論理。
これは、{「y:実測値」-「y':予測値」} の2乗の総和の残差 Σ(y-y')2 におけるΣ値が最小値に収束するように係数を調整計算する最小2乗法のアプローチである 。

・ここでは行列演算を起用することが出来、たとえば 「行列Xのデータ群」と「行列Yのデータ群」 のどの係数 a0, a1, a2 ... であっても、 (X'X)-1X'Y の演算により「論理的には」最適値を算出できる。
(※ ちなみに、X' は行列Xの転置、X-1 は逆行列…これらは現行の高校数学には含まれぬようだが、たとえば暗号数学などにては必須のテクニックである。)
なお、たとえば二次式 y=a0+a1x1+a2x22 のような非線形の式であれば、ここでのx2をx1とは別個の一次の変数(zなど)とみなし、その上で行列演算から係数を論理的に導くことも出来る。

・ヨリ実際上は、係数を「小刻みに逐次近似」させながら、全体を厳密に最小値収束させていく方法もある。
たとえば、係数 a0 (定数項)を0から1刻み、係数 a1 と a2 はそれぞれ-1~+1まで0.1刻みとし、まずΣ値が最小となるように計算、さらに今度はそのΣ値にのっとりつつ 係数 a0 (定数項)を0.1刻み、係数 a1 と a2 はそれぞれ0.01刻みとし、あらためてΣ値が最小となるように計算…
こうして、すべての係数が整数に収まるまで続けてゆく。

・二次式以上の非線形の式にては、ロジスティック曲線(シグモイド関数曲線)を充てて回帰分析がなされることが多く、一般には y= 1/(1+e-u) ; u = a0+a1x1+a2x2 ...+anxn として回帰式を求める。
この対数式を変形して対数log化すると、ln{y/(1-y)} = u = a0+a1x1+a2x2 ...+anxn
これでuつまり右辺は線形の一次式になり、以降は上に挙げたように各係数を求めつつΣ値を最小に収束、回帰分析が出来る。
(※ なお、この対数で底に置かれているeはいわゆるネイピア数 2.71828 のことらしいが、なぜこれをおくのか僕には未だに分からない。微分しやすいからであろうか?)

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<判別分析/教師付き学習>
・上に挙げた回帰分析により、複数のデータ式を線形の一次式に回帰させた上で、さらに今度は一定の閾値に則りつつ、それらデータを特定のカテゴリー群に分類する。
これがグループ判別分析であり、ここではパラメータ「要素」にかかる係数をその「特徴量」として捉える。

たとえば、犬、羊、牛の画像データ数枚があるとして、それぞれにて共通した「"何らかの"2つの要素 x1, x2 」と各々の「特徴量 a1, a2, a3 ... an 」に応じて、それらデータが犬か羊か牛かをグループ判別する、とする。
この際、どの動物と見做すかを数値上さだめるための「一定の閾値(±0)」を併せて設定しておけば、要素とそれら特徴量から回帰分析(逐次近似計算)を繰り返して、犬か羊か牛かをグループ判別する ─ そういう判別式が導ける。
(ごく単純な例として、たとえば y = 2.0x1-1.0x2 などのような線形回帰分析式が成立しうる。)

・もちろん、このグループ判別式に「新たに全く別の画像データの要素と特徴量を入力」しても、やはり「同じ」回帰分析を繰り返し、おのずから犬か羊か牛かを予測的にグループ判別できるはずである。

・ここまでをコンピュータで実践する場合
まず設定用データとそのグループ判別式を人間がコンピュータに付与し、以降は新たなデータのグループ判別を"そのコンピュータに予測計算させる" ─ これがAIはじめコンピュータにおける初期学習、特に教師付き学習(supervised learning)の実相である。
もしこのコンピュータによる新たなグループ判別が実像とズレてしまう場合には、たとえば「特徴量」と「閾値」を調整の上であらためて設定用データと判別式をコンピュータに与えてやればよい。
チェスやチェッカーにて、譜面データから勝敗や引き分けをAIが予測する「評価関数」も、この初期学習をもとにAIが判別分析を起動させて作っていく。

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<主成分分析>
各データにおける諸々のパラメータ「要素」の「特徴量」を定量的に抽出し定義する論理。
n次元に展開する分布データであっても、座標を直交回転して便宜的に平面ベクトルとして各々を捉え、データ主成分の相関係数を算出する。

(※ そうはいっても、このあたり本著者も指摘のようにかなりイメージし難い数学で、僕にはどうにも捕捉出来ない。
そもそも、別の類書によれば、多変数の関数を偏微分し最小化するためにいわゆる勾配降下法を用いる云々とあり、そのさいにベクトル化を活かしてどうだこうだなどとあり…いや、やっぱりここのところはどうも僕なりの概念が繋がらない、気が向いたらそっと勉強しとく。)

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<画像データ識別、対戦ゲーム>
幾つもの画像データをスキャンしてグループ判別させるよう、或るコンピュータに初期学習させる、とする。
その際に、そのコンピュータの画像スキャニングスケールと表現能力に応じて、初期学習のスケールが定まる ─ たとえばスキャニングのドット数は幾つか、パラメータ「要素」は何にするか、それらの特徴量の表現方式は二進数かもっと大きいか、など。

これを高度に応用したシステムが、たとえばAIによる AlphaGo である。
まず、碁の高段者の棋譜をこのAIに初期学習させて、AIはそれらにおけるパラメータ「要素」と「特徴量」などに基づいて自らが必勝の手順を予測的に(但し確率的に)回帰分析、勝敗を予測的に判別分析してゆく。

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とりあえず、このあたりまで読んでみた。
コンピュータに何を学習させ、どのように予測させるのか、そこに係る数学(多変量解析)の超ド基礎について僕なりに分かったつもりだ。
と、ともに、ディープラーニングと数学について様々な書籍やネット記事で引用される「入力データの活性化関数」や「階層化と畳み込み」などについても、何をやっているのかくらいは直観的に閃くことが出来た。
その点では、本書に大変感謝している。

さて、本書の第2章にては対戦ゲームにおける「評価関数」についても触れているが、ここまでくると人間とコンピュータの主体/客体関係について僕なりに視座が定まらない。
そんな僕の苦悩はさておき、本書は第3章における「完全解析」論以降、いよいよ実践的な対戦ゲーム必勝プログラムなどなどの紹介に突入してゆく…こういう世界に興味関心のある学生諸君などは、せいぜい呻吟しまた快哉を叫ぶがよろし。

続きは、また気が向いたら。

以上

2017/10/28

what と why

どんな愚鈍な御仁でも、何らかの物事についてその what を語ることは出来る。
たとえば、或るセンセが子供たちに元素周期表を見せながら、これらが元素でーす、と言ったとしますね。
ふーん、なぜそういう表が在るのか?と訊けば、このセンセはほわんと怪訝な表情を浮かべつつ、これらの元素が既に存在しているからだよと答える。
ほぅ?それではその元素周期は、どれも必然的で連続的な秩序なのか、非連続的な想定も混ざっているのか、そもそも電子配置数とイオン化のしやすさと周期の内外の関係は…
そんな諸々の疑問を思い立ち、神妙に問い返そうものなら、このセンセは苦虫を噛み潰したごとくで、「細かなことは次回の授業で学びましょう」 と打ち切ったり。
次回も今回もあるか、総覧だけ見せておいて論理内訳は無しってことか、そんなもん、役所の窓口や軽薄なテレビ番組と変わらないじゃないか、もう我慢ならん!

こういう愚鈍なセンコーの話を毎回まいかい小一時間も聞かされる子供たちは、きっと化学が大嫌いになるだろう。
なぜ、こんなことが言いきれるか ─ それは、愚鈍な営業マンのトークを小一時間も聞かされた僕自身が、そいつらの売り込む製品システムをもう大っ嫌いになってしまったからだ!

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あほうの営業マンが既得の what を描写するだけなら、いっさいの接続副詞を排除したランダムな棒読みに終始してもやむをえまい。
そんなもん、無視すりゃあいいのである。
しかし、少なくとも教師は何事においても why/because を想起し、学生を触発すべきではないか。
why/because にこそ論理があり、論拠があり、ゆえに思考の系があり、だからストーリーを為し、相手に意味とコンテンツが伝わるもの。
それらを聞かされてこそ、生徒たちもおのれの思考を発動させますがな。
もしかしたら、センセの説くその why/because は本当はどこかおかしいのかもしれぬ、ならばいったいどこがおかしいか、そこの疑問をぶっつけ返し、教師がそれに答えてゆく ─ これを勉強というのだ。
そして一流の教師ほど、微妙な why/because を何本も捻出しつつ、それらを子供たちにぶっつけて反論をニヤニヤと待っているものである。

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教師自らが why/because を想起出来ない、としたら、その理由は、自身にそういう思考回路ないし思考細胞が無いからか、或いは儒教だか中華だか社会主義だかの要請によって why/because の創出が禁じられているからか。
なんにしても、そういうセンコーに無秩序な棒読みの what ばかり押し付けられた子供たちは、why/because の思考ゲームを楽しむことがない、だからきっと(男女とわず)理科や数学が超大嫌いになるだろう。
俗に「理系離れ」などと指摘されて久しいようだが、これは実相としては教育による「理系離し」なのではないか、それも、聞くところによれば明治時代から(いやそれ以前から)そうだったそうな。

さて、そうやって「理系離し」の教育に晒され続けた子供たちが大人になり、たとえば営業部長になっても、電池の原理が分からなかったり、プラスとマイナスの表記が逆になっていても気づかなかったり…それでも名刺の肩書は一丁前で、社会的信用は二人前で、年収は数人前であったりする。
まあ、しょうがないよ、世の中の需要は自由、だから供給も自由、why/because を学ぶも自由、それを放棄して既得の what にしがみつくも自由、誤った what が回りまわってたまには事故も起こるだろう。
しかし。
そんな随意な what の無秩序世界にても、えてして理数系思考の人ほど「公正」だの「偏差」だのという why/because を投入して、この世の中はおかしいだの許せんだのと憤っている。
そういう意味では理数系の人間もちょっとバカなのかな、いやそうであっても、そういうバカは産業でも教育でも常に必要なのだよ、きっと。

以上

2017/10/23

公論とはなにか

かつて僕自身の大学受験において、慶應の政治と商と早稲田の法(など)に合格した。
それで、どこに進学するか、しばし逡巡していた
両親や親族からは、文系の学問ならば会計分野こそが芯棒の通った勉強が出来る由のアドバイスがなされ、その一方で、政治分野なんぞはアホゥの空論に過ぎんのじゃ、まともな就職はよぅ出来んぞ、などとの言もあった。
もともと僕が政治学科を受験したことからして両親はどこか不満気ではあった、が、そういうのを聞かされているうちに、却って僕なりに政治学科に進学してやろうという意地が沸いてきた。
確かに、政治学などは未体系の学術に過ぎぬかもしれぬ、しかし、だからこそ何かオリジナリティの高い思考方法を習得出来るのではないかしら ─ などとガキの頭で考えていたような気がする。

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ともあれ入学して、最初に頭に入ってきた政治学、それはしごく単純明瞭なコンセプトで、「政治とは公共の利害に関する意思決定である」、であった。
しかし、一見単純な主題ほど、えてして難解なものである。
この最初のテーゼにて、利害については、カネの再分配のことだなと分かる、が、「公共」 と 「意思決定」は ─ これらが分からなかったし、今もハッキリとは了解していないままである。
「公共」なるものへの「意思決定」とはいったい何か?
それはつまるところ、全国民の「公論」によって共有資産を合意し形成することだ、としてみよう。
じゃあその全国民の「公論」とは何だろう?どこにあるのだろう?

人間は、一人ひとりが異なった需要をもって生きている。
頭の使い方も、カネの使い方も、税の多寡も、いや、生命の維持でさえもだ。
たとえば、仮にだが外国が日本に攻めてきたとして、それで自衛隊が仮に負けてしまったら、日本の全国民はいっせいに無条件降伏せねばならぬのか?
その通りだ、それが人の道だ、と意気込む高齢者もいる、かもしれないが、僕はたとえ一人でも武装して抵抗したい。
税にしたって、僕は自分自身で税務署と税率を交渉し調整したい。

では、そんな僕の意思は「公論」たりうるか?
「おまえのは国民全体と同期を合わせていない、だから公論ではない」、というかもしれないが、ほーら、つまり国民全体の公論などという定義そのものが論理矛盾しているのですよ。
(こういう理屈が分からない人はもう読まなくてよいです。)

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最近は、むしろ代議制(議会政治)と議院内閣制と決議方式こそが、マスメディアと一緒になって、国民の「公論」を強引に形成しているのだと考えている。
こう捉えてみれば、「公論」の形成とは統制経済/社会主義のフォーマットなのだと言えなくもない。

代議制(議会政治)は、国民がおのれ自身に係る生命と法と税の意思決定権限を議員に間接的に移譲すること。
この権限移譲は常に断片的かつ片務的であり、議員が国民ひとりひとりの利害をすべて汲み上げて代表しているわけではない(たぶんそんなことは永遠に出来っこない)。
その代議制に則っての、議院内閣制で、「公論」を代表した「であろう」国会が国権の最高機関として行政に圧力を加え、税や法や国防を国民優位に決めていくことになっている。
これでは、じっさいのところ、国民一人ひとりの需要が遍く国政に反映されてゆくとは言い難い。

さらに、閣議などの全会一致決議制度をのぞけば、代議制の選挙もまた国会の決議も一回限りのサドンデス多数決であり、いわば1か0かの二進数で決定しなければならず、その1か0のどちらにも引っかからない需要はすべて黙殺される。
このサドンデスの多数決のバカバカしさについては、学生の頭でもすぐに分かることである。

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これらのシステムに必ず悪意が介在する、とは敢えて言いませんよ。
善意の国民と善意の議会をもって、善意の行政と善意の司法に対峙する、と信用してもいい。

ただ、国民の「公論」を政治に集約するというコンセプトは、じつに虚構的だと、そんな気がしているだけである。
だから、とりあえずひとつだけ指摘しておきたい。
国民の「公論」を一人ひとりから拾い上げつつ政治に反映していきたい、などと主張しているやつは論理的に信用出来ないってこと。

以上

2017/10/21

ちょっとだけフランス大衆文学

本稿は時代考証などいっさい意識せず、つらつらと書いている。
何がロマンで何が自然主義でなにがシュールであるのか、知ったことか。
その上で言うが、僕はフランスの文化芸術はあまり好きではない。
お気に入りは音楽のドビュッシーくらいだ。
いや、ドビュッシーであっても、リストの「ため息」や「愛の夢」に匹敵するような感傷の抑揚効果はあまり発揮されていないような気がする。

音楽などの感傷性はさておくとして。
フランスのいわば大衆文学」の"仕掛け"において、少なくともひとつ、僕なりに留意しているものがある。
それは、人生において誰もが抱えるささやかな「論理矛盾」が、そのまま市場にそして世界に演繹され拡大されていく、というトリックである。

たとえば、誰もが一度は読んだことがあろうモンテ=クリスト伯』は、私怨と復讐から物語を起こしつつも主人公の大出世までを書き抜いた、痛烈な冒険物語だ。
『レ=ミゼラブル』は、貧困と慈愛のちっぽけなストーリーから始まりつつも、資本主義と理性主義の相克および市民革命までを巨大なモチーフに据えてゆく。
さらに、モーパッサンの短編は市井の悲しみとおかしさを論いつつ、人間世界の普遍性を暗示せんとする。
と思えば、怪盗ルパンのさまざまな冒険譚は、(いわば)掌中のナイフひとつを元手に豪華客船や巨大戦艦を盗み出すような、そんな破天荒なものばかり。

モンテ=クリスト伯にせよジャンバルジャンにせよルパンにせよ、一敗地にまみれた屈辱からのスタートではある。
だが、ひとたび彼らが俗世の「論理矛盾」を見出せば、それらをそのまんま関数として様々な事象を大括弧で括りつつ、驚くほどの効率で白と黒をひっくり返してゆく。
挙句の果てに、世界の常識感覚にすら挑むほどの大どんでん返しに至っており、悪く言えば山師ともなりえようが、よく言えば革命児でもある。

なお、例えばイギリスの大衆文学などは真逆のアプローチ、かもしれぬ。
つつがなく常識的に完結している「はず」のシステムのうちに、何か小さなほころびが露見されると、それをも含め合わせたシステムに拡大させつつも、常識感覚は変わらないような。
(あるいは、皮肉にとれば007のようにほころびの抑え込みに奮闘しているような気がする。)

思い出しついでに挙げるが、よく知られる『十五少年漂流記』について。
こちらはフランス的な論理演繹とイギリス的な常識平衡を、ヒューマニズムという原初的な土俵の上で見事にぶっつけ合っており、そもそも「事件」のきっかけ論争からして必然性と蓋然性の衝突と見えなくもない。
大人になってからあらためて読み返したい一冊ではないか。

範疇分けなど最早どうでもよいが、『異邦人』『ペスト』もよく知られたフランス文学の傑作で、厳然とした自然界において論理性追求に限界ありと認めたもの、とされている?(だから不条理系などと冠されているのか)。
さらに思い出せば、『星の王子さま』 はわけのわからぬ物語、もしかしたらだが、物質の存在量が永遠普遍かどうかはともかくも、論理だけはどこかで全宇宙が一貫している…とでも言いたいのかな?

ここいらあたりでフランス文学らしさが終わってしまったのかどうか ─ 
いや、彼らのことだから、また新たに痛快な、しばし危険な論理矛盾をそのまま関数化し、宇宙のパネルや世界のタイルをパタパタとひっくり返していくのではないかな(頭の中では)。

以上

2017/10/03

【読書メモ】 パズルの国のアリス

パズルの国のアリス 坂井 公  日経サイエンス』
サブタイトルは、美しくも難解な数学パズルの物語、とあり、物語とはいっても数多くの単問パズルが次々と呈される編成になっている。
数学の難問が本当に美しいかどうかはさておき、僕なりに本書を手に取った理由は、データエラー検出や修復に用いる符号論理(ハミング符号列)がいくつかの解答案に引用されており、また別問にては「暗号における論理演算」の基本もカチッと引用されていて、インダストリアルな技術の源泉はやはり数学にあったのかと直観したため。

さてそれではと、本書にて続々と投げかけられる(超)難問に挑んでみれば、あらためて数学の複合的ないし多段的?な構成力に感嘆させられる、とともに、しばしば紹介されているいわば「エレガントな解法」に呆気にとられることも。
こうなってくると、たとえば僕が永年に亘り仇敵のごとく憎悪してきた整数論にせよ、ちょっとは自信があった確率変動にせよ、全体の多段的な構成にてはあくまでひとつの調整弁に如かず、と、しばしため息が漏れ出でてしまうほどである (だからといって僕自身が数学好きになったわけでもないし、こんごも好きにはなれそうもないのだが。)

そもそも、何を前提命題とし、いかなる解法を投入させ、どこまで至れば正解を成すのかというパズル化において、数学ほどに自在な思考体系は他にあるまい。
少女アリスが次から次へと難問のワンダーランドに迷い込んでゆくという本書ならではの演出にせよ、若さ、直観力、飛躍力への誘いの趣きか、かつ、絶妙の問題設定の数々はカードゲームなどのプログラム設計をも想起させてやまない。

さて、以下にいくつか引用する此度の読書メモにては、本書のパズル形式の性質上、とくに前提と解法と正解を切り分けずに、概括的に列記してみることとした。


第18話
真の金貨と偽の金貨が一定数在るとして、その真偽判定のために最も効率的な計算手順を問うもの。
…といえば極めて簡単そうだが、ここに「無効な計測結果が混入しているかもしれない」 との前提条件が付加されており、それでも真偽判定の計算手順は変わらないだろうか、と問いかける
本問への解答案として引用されているのが、無効レコードの検出に活用される「ハミング符号」である。
ハミング符号につき、(僕なりにはるか遠い記憶を手繰り寄せつつ)思いきり要約するに ─ 2進数ほか或る進数の或るビット長における演算結果が白か黒か、を判別するためではなく、「白でも黒でもない演算結果を検出し、だから件数勘定から排除も出来る」ための符号順列…じゃなかったかな。
そうであれば、ハミング符号は、「それら以外では存在しえない(起こり得ない)はず」の最小限の進数/ビット長の順列である。
本問は前段部にて、3進数4ビット長のハミング符号の順列が概念投入されており、また後段部にては2進数7ビット長のハミング符号順列が誘導されている。
さぁ、これらによって「無効なデータが黙殺される」としたら、金貨の真偽判定のための計算手順は変わってしまうか、それとも変わらないか?

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第6話
こちらは、上にあげた第18話にて挿入されているハミング符号の順列を、ヨリ多段的に応用したもの。
7人が頭に戴く冠の色が、白か、赤か、これを2進数7ビットで表現できるというところまではすぐ思い当たるとしても、「どっちかわからない」とのオプションあり。
たとえ「わからない」が含まれていても、2進数7ビットのうちハミング符号は16列しか無いのだからこれを上手く活かせ、と誘う解答案は、かなり閃きの難度が高いのではなかろうか。
それどころか本問は、おのれの冠の色を当てるか外すか或いはわからないで通すかによって、ゲームの利得が変わってくる、との条件付きであり、ここまで込み入ってくると、解法を読みおおせてみても了解は難しいのではないか。

※ なお、ハミング符号、完全符号などなどエラー検出の数理論については、p.27の末尾にも概説の一端が有るが、総括的には行列とベクトルによる符号理論として体系化されているようである。
こういうのが好きな人は、どんどん深みにはまってゆけばよかろう、また、自分でなんらかの数理ゲームをデザインしてみようなどという変人にとっても、なかなか愉快なトリック源たりうるのではないかな。

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第21話
0から15までのカードのどれか1枚を、16枚のコインの表裏の出方によって仲間が言い当てる、というトリックゲーム。
これもじつに誘導的な設問になっていて、16枚のコインのうち1枚を故意にひっくり返すと、それが仲間に対してのカードNo.の合図となっている、という。
いったいどんなトリックなのだろうか…ここで解答案として導入されているのが、いわゆる「排他的論理和」の演算である。
例えばだが、初めに裏になってしまったコインNo. と、当てるべきカードNo. と、この両者まじえた排他的論理和を2進数にて演算し、この演算結果「番目」のコインをあえてひっくり返す。
その上にて、仲間がこれらコインからあらためて排他的論理和を演算し、それから10進数に戻すと、その数が問題のカードNo.にぴたり一致する、というトリックだ。
本当にそうなるのだろうか、いや、おのれがコンピュータになったつもりで演算してみればよい。
とまれ、排他的論理和のコンセプトそのものではなく、これを千里眼のごときトリックに応用するという飛躍センスこそが、「超」難しい。
(こういうロジカルトリックこそが、ロープレやカードゲームにふんだんに仕込まれているのではないかしら、よくは知らないけれども。)

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第13話
本問は題意そのものがちょっと捕捉しにくい。
或るアナログ円時計の長針(つまり「時針」)と短針(つまり「分針」)の長さがまったく同じである、として、このどちらの針も分刻みの目盛りまで正確に指す、とする。
この前提にて、「何時何分を指しているのか判別できない」タイミングは1日24時間のうちに何回起こるか?
…というのがおそらくは題意であろうが、残念なことに例示的な図案が呈されていないため、「何時何分か判別できない」とはいかなる状態であるのか、アナログ的にイメージし難い。
例えば、2時30分頃なのか、はたまた6時12分頃なのか、こういうのが時間判別できないタイミングの意ではないか、とも察せられるが。

それでも、とりあえず代数計算によって解法は確立されている。
或る t時 までの時針と分針の回転数をまず定義、かつ、別の s時 までの時針と分針の回転数も定義する。
時針と分針がともに分刻みの目盛りをピタリと指す、そのタイミングこそが、何時何分か判別出来ない時である、とすると、つまり時針と分針がともに整数であるタイミングだ、さぁその回数は0時~24時までの間に幾つ有るか?
─ なるほど、こうやって見れば実に簡単な代数によるとデジタルな解法である、が、本書では仰天するような別案も紹介されていて、それはなんと、分針の12倍の速度で回る「第三の針」を想定して、これが時針に重なるタイミングおよび分針に重なるタイミングを数え、その勘定数をもとに本設問の解法に向かう、というものである。
こういうのがデジタル思考の発展形であるのか、いや、もしかしたらアナログ的な大飛躍なのかもしれぬが。

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第4話
これは本書にても典型的な複合問題のひとつであろう。
トランプカードの神経衰弱ゲームで、2人が交互に自分の番に裏のカードを2枚ずつひっくり返し、もしその2枚の数が合致したらそのまま続けて次の2枚に挑む
…というルールであるが、これは細かく場合分けすればもうちょっと戦略的に込み入っていて、「おのれが既に表の数字を知っている」カード1枚を捲るか、「全く未知の新たな」1枚を捲ってみるか、これで戦略がまず変わる。
「全く未知のカードを1枚捲ってみた」場合に、続く2枚目のカードとしては既に確認済のものを捲るか、あるいは全く未知のものをランダムに選ぶか、このどちらかによっても「成功の期待値」が変わってくる。
もちろん、こうして挑んだ2枚目が当たりか外れかによっても、「更なる成功の期待値」は変わってくる。
では、この神経衰弱にて、出来るだけおのれに有利にゲームを運ぶためには、どういう戦略をとってゆけばよいか…?!

ちょっと考えるだけでも頭がどうにかなりそうな難題だ。
解法の道筋としては、裏返っているカードの残数(2の倍数として)と、既に一度は捲ってしまい表が分かっているカードの数をまず定義、この「両者の数値によって勝率全体が決まる」、としつつも、各局面ごとの成功の確率もまたこの両者の比によって別個に変わってくる、とする。
こうして、確率変動と期待値の項を複数足し合わせた(あるいはマイナスした)形の漸化式をつくり…

本問はとにかく多段的というべきで、付録的に提示されているカード枚数(残数)と期待値の実践的なマトリクスに、目が眩みそうである。
さはさりとて、これもまたカードゲームなどにおける実践的な数理アプリケーションたりえよう、そして本設問と解法はけして突飛な飛躍を課すものでもなかろう。

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第34話
これは暗号演算の数理の一つで、いわゆる3パス・プロトコルの適用だ。
もう設問までいちいち引用するのも面倒になったので、3パス・プロトコルの数理手法について本書引用の箇所をさらりと紹介しおく。

或る平文を c とし、これを暗号化したものを、暗号文 d, e, ...  とする。
送信者Aの目的は、この平文c を暗号化して受信者Bに送ることであり、受信者Bの目的はそれを復号化して元の平文cを入手すること。
暗号化の鍵関数として、送信者Aは関数f逆関数f- 1  のみを知っており、一方で受信者Bは関数g と逆関数g- 1 のみを知っている。
さて、送信者A は、平文cを関数f暗号化し、d = f(c) として受信者Bに送る。
B は、この暗号文dを関数gで暗号化し、暗号文e =g(d)=g(f(c))=f(g(c)) をAに送り返す…ここのところ、暗号文の暗号化であり、本方式の絶妙テクニックである。
Aは、この暗号文eを逆関数f- 1 復号化、z = f- 1 (e) = g(c) としてこれを再びBに送る。
そこでBは、 z を逆関数g- 1 で復号化、元の平文c を手に入れることが出来る。
見事なものだ、復号化するための逆関数を「AとBは共有していない」のに、Bはちゃんと復号が出来ている!

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以上、ほんの一欠片には過ぎぬが拙くも引用してみた。
数学思考の強化に充てるもよし、またゲームデザインのヒントに活かすもよし、これまで以上に数学を憎むもよし、とりわけ学生諸君には、僕の代わりに一問一問ぶっつかってゆくことを祈念しつつ、僕自身はもう当分は数学には手出ししないでおこうと思う。
なお、本書は初版が2014年末で、既に続編本も出ているようである(やはり超難問数学パズルのヴァラエティに富んだ連弾集だそうで)。

2017/09/20

インテリ社会人のような英語表現

ふっと閃いて、過去数年の某英文誌における気の利いた英語表現について、ざっとまとめてみたくなった。
大学生のガキどもにはちょっと厳しいかもしれないが、実社会人で英語を使いまわしつつインテリを気取っている人たちならば、まぁ過半は分かるのではないかな。
所詮はそんな程度のものゆえ、あまりテクニカルな実践性は無いけどね。
以下、英文そのものではなく、表現部分のみを抜粋してみた。

  • take on the cotton barons
  • balance two competing imperatives
  • a pillar of stability
  • overhaul an educational system
  • an economic system that glosses over the country's responsibility
  • deliberations between America and Japan
  • selling for a song
  • fierce competition with elbows flying
  • climb above the sharp elbows of rivals
  • slur stuck
  • tiptoe round the issue
  • collaborate on the basis of nepotism
  • selfishness and altruism
  • red in tooth and claw
  • once-feted but now-disgraced
  • cut corners in science
  • uneasy bedfellows
  • create a business from a scratch
  • in for a penny
  • rock the boat
  • huff and puff
  • sow turmoil
  • a clutch of alarmist books
  • you/he/she of all people
  • the unshackling of markets
  • conundrum and riddle
  • coaxed and wheeled into market choices
  • change the size of the deficit, one jot
  • raise anomalies of one's own
  • a bit of a fudge
  • a subordinate officer
  • rags to riches
  • on a dodgy ground
  • dwell on someone of Indian extraction
  • waxes and wanes
  • a talk that stokes indignation
  • horse-trading over investment
  • wisdom or senility
  • run corner to efforts
  • boot workers off their jobs
  • a blue-sky research
  • encumbered with nasty advisers
  • military conscription
  • amputate legs and genitals
  • clay labours
  • senior conscript
  • hush up
  • steel yourself
  • iconoclast
  • natural attrition
  • peddle an argument
  • ride on an answer
  • topsy-turvy
  • statistical tangle
  • caveat
  • a damp squib, not a constant ray
  • past lean years
  • fitful and half-hearted
  • rigging personnel
  • ward off that company's hostile bidding
  • pre-empt a hostile bid
  • a gap to a chasm
  • a research outfit
  • technologies at the margins of existing firms
  • socio-economic marginalisation of women
  • resonance
  • economic rationalism (that is) swamped by nationalism
  • coin oneself
  • inhibition of growth
  • a virtuous circle in online forays
  • pay homage to the insight of Shumpeter
  • a rule of thumb
  • management practice to vie and outdo competition
  • small close-knit group
  • no more flattering tribute than one's words
  • the once most propriety outfits
  • in the for corners of the earth
  • the vouched code
  • self-policing to ensure quality
  • cold snap
  • bump the company a few notches down the ladder
  • weather a period of deindustrialisation
  • depart to give final consolation
  • irrational exuberance
  • semantic issue
  • put a warning in the shade
  • tip a balance
  • kill for a position
  • switch in default rules
  • entrust pension money to his employer's custody
  • inertia
  • deeply embedded in culture
  • bronze-fisted, silver-tounged
  • come back down to earth
  • desert their president
  • deliver on promise
  • preside at the committee meeting
  • tax break for low income family
  • seared money
  • phase out
  • gas from diffuse fields
  • the hitch is ...
  • lend credence to a theory
  • rubberstamp the policy's revival

 ……こんな程度のものなら、まだまだワンサカとストックがあるので、いずれまた気が向いたら。

以上

2017/09/06

製鉄の基本

或る本をきっかけとして、製鉄についてごく大雑把にまとめてみたくなった。
高校化学の選択者なら誰もが一度は意識したであろう、鉄と酸素と炭素と温度のかかわり ─ しかしながら、鉄は極めて「業際的」な工業素材である。
よって、製鉄の工程について概ね理解することは、ひとえに化学に留まらぬ意義深い基礎教養たりえよう。
以下にごく簡単にサマライズしてみた。


<酸化鉄>
・約46億年前に地球が生成してから永い間、地球の大気は炭酸ガス、そこでマグマに含まれた鉄はイオンとして水に溶け、海に混じり出した。
鉄イオンは海中の酸素と結び付いて、酸化鉄として海底の岩石を成し、これがそのごに隆起して大陸となったので、酸化鉄である赤鉄鉱(ヘマタイト、Fe2O3の鉱脈をつくった。
赤鉄鉱は現在、露天掘りで大規模に採掘が出来る。

なお、日本列島は火山造成なので、赤鉄鉱はほとんど無いが、火山から噴き出したマグマが風化して、とくに磁性の強い酸化鉄、つまり砂鉄≒磁鉄鉱(マグネタイト、Fe3O4) を成した。
砂鉄鉱は、花崗岩や安山岩として河川に流れ込んできた。

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<融点低下・還元>
酸化鉄の鉱石から酸素を分離(還元)するため、炭素を用いる。
炭素を用いるメリットは、燃焼過程で鉄鉱石から酸素を引き離すこと、かつ、鉄鉱石の融点(凝固点)を下げ融解分離を促すこと。
ここまでの工程が、溶鉱炉(高炉)にてなされる銑鉄の摘出つまり製銑である。

溶鉱炉にて、鉄鉱石に炭材(コークスや木炭)と石灰石を混ぜ、約1200℃の高圧熱風を吹き込むと、炭材が燃焼して二酸化炭素を発生、さらに炭材と反応して一酸化炭素となり(ブードワー反応)、鉄鉱石から酸素を奪い還元する。
このブードワー反応は鉄の本来の融点以下で進み、鉄は固体のままでも還元が始まる。
しかも、固体としての鉄は炭素を吸収しやすい構造であり、炭素吸収によって鉄の融点は下がり続ける。
こうして、還元された鉄を溶鉱炉中で液滴として得られ、これが銑鉄である。
銑鉄中の炭素の多くは冷却すれば黒鉛として析出され、銑鉄は鋳型に流し込んで鋳物に出来る。

なお、赤鉄鉱の結晶は、鉄と酸素の原子配列がやや粗いコランダム構造を成し、一方で、磁鉄鉱の結晶はこれらの配列が密なスピネル構造を成す。
よって、赤鉄鉱の方が還元しやすい結晶構造であり、ヨリ低温から還元が始まる。
これら鉄鉱石にはもともとシリカやアルミナなどの脈石が混在しており、上のプロセスで還元中にもこれら脈石は残留し、石灰成分と反応してスラグを成し分離する。

鉄は炭素濃度を4.2%まで増やせば融点が1154℃まで下がる、尤も、これ以上に炭素濃度を増やしても融点は下がらない。

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<炭素濃度低減・精錬(製鋼)>
銑鉄や鋳鉄は2~4.5%の炭素と不純物(ケイ素やリンや硫黄など)を含んでおり、このままでは展性や延性に乏しい。
これら銑鉄を加熱し、炭素分離すれば、軟らかくて粘り気あり加工性に優れる「粗鋼」を獲得出来る。
この脱炭による粗鋼獲得の工程プロセスを精錬(製鋼)といい、転炉でなされる。

融解した銑鉄を転炉に入れて生石灰などと混ぜ、高圧で酸素を吹き込んで急速に酸化熱を発生させると、銑鉄から炭素や不純物が分離し、粗鋼が出来る。
炭素が分離されるので、粗鋼は融点が高くなり、鋼塊としても溶鋼としても得られる。

こうした得られた粗鋼が、圧延や外延の加工プロセス以降に回される。
ここで分離された不純物もスラグとして固定化される。

※ 転炉における粗鋼の精錬の基本工程は、ベッセマー方式の確立後、根本的には現代まで変わっていない。

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<以上までの、還元~脱炭の反応内訳>

炭材による、酸化鉄鉱石の還元
3Fe2O3 (酸化鉄III) + CO (一酸化炭素) → 2Fe3O4 (酸化鉄III鉄II)+ CO2 (二酸化炭素)
Fe3O4 (酸化鉄III鉄II)+ CO (一酸化炭素) → 3FeO (酸化鉄II) + CO2 (二酸化炭素)
FeO (酸化鉄II) + CO (一酸化炭素) → Fe (鉄) + CO2 (二酸化炭素)

銑鉄の酸化と脱炭による、粗鋼の精錬
Fe (鉄) + 1/2O2 (酸素) → FeO (酸化鉄)
C (銑鉄中の炭素) + FeO (酸化鉄) → Fe (鉄) + CO (一酸化炭素)

以上は鉄鉱石の還元~銑鉄の脱炭反応を段階的に成すフローだが、一気に直接成す反応と工程もある。

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<熱間加工・含有炭素量の調整>
そもそも鉄元素は(粗鋼も)、温度によって結晶粒子構造の異なる同素体であり、結晶構造に応じて含有炭素量が以下のように変化する。
912℃以下…α鉄、体心立方格子、粒子間が小さく、炭素は0.02%までしか溶けない。
912~1394℃…γ鉄、面心立方格子、粒子間が大きく、炭素が1.7%まで結合する。
1394℃以上…δ鉄、体心立方格子、粒子間が小さく、炭素は0.1%しか溶けない。

そこで、粗鋼をたとえば以下のように「熱間加工(鍛造)」して、炭素含有量を調整する。
「焼き鈍し」…γ鉄をゆっくり800℃以下まで冷却し、フェライトとセメンタイト(炭化鉄)の交互分離したパーライト層構造とする。
この結果、α鉄は全体としてフェライトの軟らかく粘り強い性質を有す。
「焼き入れ」…γ鉄を水で急速に冷却し、フェライトとセメンタイトのパーライト分離をさせず、炭素が過飽和で粒子の動きにくいマルテンサイト組織状態に導く。
この結果、α鉄は硬いがやや脆い性質を有する。
「焼き戻し」…急冷したγ鉄を、また600℃くらいに熱し、マルテンサイト組織からセメンタイトの小粒子を分離する。
この結果、硬さをやや軟化させつつ粘り気を出すことが出来る。

工業用途としての粗鋼は、実際には以下の炭素含有量にて精錬/製鋼されている。
最硬鋼: 炭素残留量が0.80%以下、硬いが脆い
硬鋼: 炭素残留量が0.50%以下
軟鋼: 炭素残留量が0.35%以下
   特に0.3%以下のものをいわゆる普通鋼と称す
極軟鋼: 炭素残留量が0.12%以下、極めて軟らかく粘り気がある
   特に0.02%以下のものがいわゆる工業用純鉄である

なお、炭素以外の元素を加えた鋼は合金鋼と称す。
たとえば、鋼にクロムとニッケルを混ぜると、これら物質が不動態の酸化被膜をつくり、ステンレス鋼となる。
特殊な性能用途を企図して合成されたものは、特殊鋼と称す。

=============================

※ ところで、銅の融点は1084℃、これは木炭でも十分に実現可能な温度、よって古来から青銅器をつくる際には木炭を用いていたとされる。
この木炭による熱と炭素の古典的技術が、ある時に鉄鉱石の還元へ応用されたことは、想像に難くない。

※※ 粗鋼の精錬(製鋼)には、電気炉による方式もあり、これはスクラップ鉄を素材として、電気放電熱によってそれらから酸素ほか不純物を一気に融解分解するもの。
この電気炉での粗鋼精錬は、高炉による鉄鉱石還元からのプロセスに比べ、概して投入エネルギー量も排出ガスも少なく、粗鋼の炭素量と融点に応じて、高炉方式との使い分けがなされている。

※※※ なお、日本古来の「たたら製鉄」は、たたら炉に砂鉄と木炭を交互に積み上げ、空気で砂鉄を還元させて鉄を取り出すシステム。
ここで得られた鉄が「玉鋼(たまはがね)」であり、炭素は0.9~1.8%以下で、不純物はほとんど含まない高純度の鋼である。

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受験生しょくん、ここまでまとめてやったんだから、あとはてめぇで勉強しろ、興味意欲を高められれば幸いだ。

2017/08/26

時を駆ける美女 Part II

※ ちょっと変則的な話ですが、一応はまとまっています。

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高校3年生の、夏休みのこと。
とびきりの美人教師と仲良しになった。

彼女の苗字は伏せるが、名前は杏那 といい、容貌がどことなくヨーロピアンの風だったので、僕らはカタカナでアンナ先生 と呼んでいた。
おもしろい語感だ、あんな先生…あんなすごい美人の先生は、滅多に居やしない。
アンナ先生は体育教師であり、のみならず、或るテニス団体の強化選手でもあった。
ぐっと張って開かれた肩と背中、はちきれんばかりの腕、とっくにはちきれている太股、サラブレッドのシルエット、生気も品位もヴィーナス級。

アンナ先生は、我が高校のテニス部でもコーチを務めていたが、スマッシュを打ちこんで女子部員を怪我させたとかで、しばらくの間は学校で練習し難くなり、それで、ちょっと離れたテニススクールで基礎トレーニングを続けていた。
そのテニススクールが、僕の親族の知人が経営するところであった。
あら、君はうちの高校の山本くんだったわね、ちょっとだけあたしの基礎トレーニングを手伝ってくれないかしらと声がかかり、いやぁ僕はテニスなんか出来ませんといったんは固辞したものの、それでも胸のときめきを抑えることは出来ず、もう進路も受験もへったくれもおあずけで、僕は彼女と約束の時間にそのテニススクールに足を運ぶことに。

大好きな、アンナ先生。
今日もあの先生が、あの女性が待っていてくれる。
真っ白な日差し、もっと真っ白なテニスコート、レモンとライムのスパークル。



ところで。
高校3年生の、夏休みのことである。

僕は数学の出来が芳しくなく、だから夏期の補習授業に参加させられる羽目に陥ってしまった。
とりわけ整数論や不定方程式がどうも苦手で、ゆえに、大嫌いで、したがい、どうせ大学入試でもろくなことはなかろうと、半ば諦めの境地。
それでも補習授業には毎回欠かさず参加したのだが、これにはドキドキするような訳が有る。
数学の担当教師が、びっくりするような美人の先生だったのだ。
彼女は、ただの美人には留まらず、清楚なブラウスやスラックスの上からまるでスポーツ女子のような発達した体躯も見てとれる。
口数の多い先生ではなかったが、凛とした態度がつねに一貫しており、指導はかなり厳しかった。
この美人先生は、苗字はさておき、名前は杏那 といった。
僕たちは秘かにカタカナでアンナ先生 と呼んでいた ─ それは、彼女がヨーロピアンと見紛うような容貌であり、また、あんな先生という語感が面白かったからである。
面白いどころか、僕は急速にアンナ先生に惹きつけられ、そして、恋焦がれていったのであった。
ヴィーナスのようだ、いや、ヴィーナス以上の綺麗な瞳…。
自制すればするほど、僕はいよいよ受験も進路も上の空で、アンナ先生への恋心が収まりつかなくなっていった。


☆   ☆


夏休みも終盤に近づき、僕は毎日のように、約束のテニススクールへ。
昼下がりのテニスコートは、いつもまばらである。
だから、アンナ先生のとびっきりの美貌がなおさら引き立ち、まして、見事な体躯はもう引き立つどころかこちらの心を引き寄せて留まらない。
とはいえ、そんな僕自身はテニスなどほとんど未経験、ラリーすらまともにこなせず、ましてアンナ先生と打ち合うなど、とんでもなかった。
だから、せいぜいのところ、指示どおりにラケットを構えつつ、彼女が打ち放つ強烈なサーブを冷や汗ものでボレー返球、それをすかさず彼女が狙いどおりに四方八方にスマッシュ、などなどが、彼女と取り決めた基礎練習の運びであった。
もちろん僕には彼女の猛烈なスマッシュを打ち返す義務も無く、そんな術もなく、でくのぼうみたいに見送るだけが精一杯、たまさかラケットに当ててみれば僕の腕を持っていってしまうような凄まじい衝撃、これでは女子部員が怪我するのもやむなしか。

どう?テニスって緊張するでしょう?
そんなふうにアンナ先生が悪戯っぽく微笑みながら、ラケットで僕の胸を小突くこともある。
山本くんも、上達したい?
いいえ、僕は今の基礎トレーニングのお手伝いだけで十分です、だって、アンナ先生の真似は出来そうもないから。
つい調子に乗って、苗字ではなく名前で呼んでしまう。
あ、なれなれしいぞ、君は、とアンナ先生はふざけ声を挙げながら、でも、いいわよ、君の好きにしなさい、と。


☆   ☆   ☆


夏の数学補習は、延々と続けられていた。
僕は、顔だけは課題の答案用紙に向けつつも、心はいつもドキドキ、美貌の女教師のもとへ。
こんなだから、数学の勉強はなかなか捗らない。
「山本くんは、雑念が多すぎるのかしら。どうも、いけないわね」
依然として、アンナ先生の言いは端的であまり抑揚もなく、だから却って厳しく響く。
それでも、話しかけられたことがもう嬉しくて堪らず、僕はつい、おずおずと口走ってしまう。
「あのぅ、アンナ先生、僕は整数論と不定方程式が…」
すると彼女は、端正な顔をちらりとも崩さぬまま、きっと僕を見据えて容赦なく、ぴしりと。
「どうしてあたしを苗字ではなくて名前で呼ぶの?失礼でしょう!」
「はぁ、すみません」
「ねえ山本くん、あたしは生徒に対して馬鹿という言葉は使いたくないんだけれど、君が望むのなら話は別よ」
これには僕は本当に情けなくて、せつなくて、やるせなくて、彼女の足のつま先を見つめるのが精いっぱいであった。

そんなふうに、どこか空周りしつつ過ぎ去っていく補習授業の日々。
しかしある日のこと、アンナ先生が、ふと僕の目を凝視しつつ、囁くように語り始めた。
「山本くん、ひとつだけヒントをあげる。どんな思念も、そしてどんな人間も、何かが重なっているでしょう。それは、何かが切れているってことでもあるのよ」
「…はい?」
「逆にいえば、ひとつの何かが切れているということは、別の何かが繋げられるということ。それが論理の『美しさ』であり、また『哀しさ』でもあるの」
「……」
「山本くん!強くなるのよ!みんな強くなければならないの!」
僕はしばらく呆気にとられ,彼女は足早に教室を去っていった。
そのとき、二度と彼女には会えないのではないか、という不思議な直観が僕を身震いさせていた。



☆  ☆  ☆  ☆


夏休みはいよいよ終盤に差し掛かっていた。
テニススクールでの、僕を伴った基礎トレーニングが済むと、アンナ先生は休憩をとって、それから夕刻以降の本格トレーニングに挑むことが日課となっていた。
その休憩時間の合間に、2人で喫茶室へ。
レモンライムの注がれたグラスにストローを2本刺して、アンナ先生と僕は額をくっつけ合いながら、ぐいーっと。
それから彼女を後ろに乗せて僕が自転車を漕ぐ、その二人乗りのまま、町はずれの遊歩道をぐるりと周回する。
もっとしっかり、力を入れて漕ぎなさいよ、男の子でしょう!
アンナ先生がケラケラと笑いながら、僕の背中をタオルで叩く。

遊歩道の木陰で自転車を留めて、軽口を叩き合っている、そんなおりに。
アンナ先生がふと怪訝そうな表情を浮かべて、僕に訊いてくる。
山本くんは、勉強は進んでいるの?進路の目途は本当に立っているの?
これに対して、僕は大丈夫ですとか何とでもなりますなどと答えつつ、それでもちょっとだけアンナ先生を心配させてやろうなどと悪戯心も起こり、じつは数学が伸び悩んでいるんですよと言ってみる。
すると彼女は ─


あっ!
そうだったのだ!
何が重なっていて、何が切れているのか、何もかもが分かった

美貌のテニス強化選手であったアンナ先生は、8月の終わりに、とつぜん僕との共同トレーニングを打ち切り、連絡を絶った。
彼女の家に電話を入れてみたら、母親が出てきて曰く、結婚のためにロンドンに発ったとのことであった。
僕は大いに驚き、これが別れというものかと、息を殺して泣いた。
それでも、新学期になってから、超美人の数学教師であったアンナ先生が結婚のためにロンドンに転任していったと知らされた時には、これが寂しさというものかと自覚こそすれ、もう泣かなかった。

おわり

2017/08/17

【読書メモ】 この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた

『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた ルイス・ダートネル著 河出書房新社』
本書は軽妙かつユーモラスな科学概説エッセイ、とりわけ化学論である。
少なくとも地球上にて、農業/工業の基幹たりうる化学物質は、はたして何であろうか、それは、苛性アルカリ物質である炭酸ナトリウム(ソーダ灰)と、強力な酸化剤である硝酸でありえよう、またカリウム源および燃源としては木材(木炭)が最高だろう
と、ここのところ実証的に思考実験すべく、本書は半ば冗談めいた人類文明再生プロセス (build our world from scratch) を想定してみせたのではないか。
本著者のダートネル氏は宇宙生物学が専門の由、よって、巷間に喧しい科学論とは一線を画した、いや遥かに卓見した科学論かつ文明論たりえよう
じっさい、本書の記述は分野を超えた横断的な展開を呈しており、エネルギー収支比、農業への投入エネルギーと摂取カロリーなど、熱/物理エネルギー効率にも大いに着眼、また電気応用についても触れている。
かつ、たとえば 「水でさえも化学物質だ」 などというヌーボーとした記述について、どこまでシリアスなのかはたまたユーモアなのか、いずれにしても吹き出すほどおかしい。

ただし、為念の注釈もしおく ─ 本書における諸々の主題は総論概説に留まっており、化学コンテンツについても化学式や定量計算は仔細引用されていない、ゆえに、読み易いともまた読み難いともいえよう、とりわけ、理科に通じた読者が速読する蘊蓄本としては絶好の一冊か。
それでは、以下、特に炭酸ナトリウムと硝酸を根本に据えたさまざまな転用/応用論について、僕なりの読書メモとしてまとめおく。



石灰岩(炭酸カルシウム)を900℃以上の高温環境で熱すると、無機物が分解し二酸化炭素ガスとして放出、残留物はアルカリ性の生石灰(酸化カルシウム)となる。
さらにこれを水と反応させると水分子を分離させ、強アルカリ性の消石灰(水酸化カルシウムとなる。
廃水の浄化にも適する。

・木炭をつくる(炭焼き)過程で有機物と無機物に分離できるが、ここで水溶性の無機物質(灰汁)を採って煮沸すると、いわゆるカリ、一般には強アルカリの炭酸カリウムが得られる。
カリウムは植物の生育に必須物質で、肥料に活用される。
さらに、炭酸カリウムを更に強アルカリ性の消石灰(水酸化カルシウムと反応させると、苛性アルカリの水酸化カリウムが得られる。

・海藻の山を燃やす過程で、このうち水溶性の無機物質を採って煮沸すると、強アルカリのソーダ灰(炭酸ナトリウムが得られる。
これも、消石灰(水酸化カルシウム)と反応させると苛性アルカリのソーダ(水酸化ナトリウムが得られる。

・生物体内にて、余分な窒素は水溶性化合物つまり尿素に換えられるれるが、これを発酵させればアルカリ化合物であるアンモニアを採れる。

※ そもそも、植物体内にては、エネルギー移動のためにリンを必要とし、水分損失を防ぐためにカリウムも必要とし、そしてタンパク質合成のために窒素(アンモニア)が必要。
これらが農地の土壌成分に含まれねばならない。
なお、エンドウ、インゲン、クローバー、大豆、ピーナッツなど豆科の植物は、生育する過程で栄養素を土壌中に再注入する能力がある。
17世紀以降のいわゆる(ヨーロッパの)農業革命は、特定の農作物を活用し土壌中の窒素量を増やしつつ循環させる技術であった。

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・木材から木炭をつくる(炭焼き)過程で発生する有機廃棄物のガスを分溜すると、有機の木酢から主に酢酸アセトンメタノールを抽出出来る。
酢酸は酸性で、アルカリの炭酸ナトリウム水酸化ナトリウムと反応して酢酸ナトリウムをつくり、これは染料や顔料として使われてきた。

・海水を電気分解すれば、塩素ガスを得られる。
塩素ガス黄鉄鉱を反応させれば、硫酸塩化水素ガスを得られる。
硫酸によって、土壌中のリンを分解し植物に回すことが出来、だから人工肥料としてよく用いられている。

塩素ガスは、消石灰(水酸化カルシウムないし苛性ソーダ(水酸化ナトリウムと反応させると酸化して漂白剤になる。
また、水に溶かせば塩酸になる。

・ラードなどの油脂を成す炭化水素分子と脂肪酸(カルボン酸の意か?)を、苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)などのアルカリで加水分解(置換)すると、脂肪酸塩になり、これが炭化水素を以て油脂と水を界面的に(弾き合うように)繋ぎ、石鹸にもなる。
この生成過程でグリセロールも抽出出来る。

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・木材を徹底的に燃焼させると、化学結合エネルギーの大きな有機物つまり木炭だけが残り、木炭は木材どころか石炭よりも高温で燃える。
燃えながら一酸化炭を放出し、これが極めて強力な還元剤として、金属製錬プロセスにて酸素や硫黄などを分離させる効用がある。
一方で、木炭の重量は木材の約半分となるため、実に有用なエネルギー源たりうる。

・植物のセルロース繊維は、リグニンによって強力に束ねられた重合体であるが、これを苛性ソーダ(水酸化ナトリウムに長時間浸して加水分解(置換)すると、重合体が切れて、加工しやすいパルプ材になる。

・粘土は、アルミノケイ酸塩鉱物で出来ており、これはアルミニウムケイ素がそれぞれ酸素と結合したものゆえ、不燃性である。
これを900℃以上で加熱すると、粘土粒子が強固に融合を始める。
この物質にナトリウムを加えると発熱し、ナトリウム蒸気が年度中のシリコンと混じり、ガラス質の皮膜となり、これは耐火性に優れつつ防水機能にも優れている。

・ソーダ灰(炭酸ナトリウム)は、ガラス製造にて砂を溶かすための融剤として不可欠であり、世界で生産されるソーダ灰の半分以上はガラス製造のために用いられている。

・消石灰(水酸化カルシウム)に少量の水を混ぜると、石灰モルタルになり、レンガ類の結合能力がある。
これが土中成分のアルミニウムケイ素と水和反応すれば、さらに強度が増してセメントになリ、セメントは水中でもむしろ解けずに硬化する性質を有する。
セメントからコンクリートもつくれる。

セメントもコンクリートも、古代ローマ帝国期には大いに起用され、その建造物は今もなお健在だが、中世ヨーロッパではあまり用いられず、ゴシックの大聖堂は石灰モルタルで出来ている。
なおコンクリートは圧縮強度は高いが張力には脆いため、抗張力のある鉄筋とともに建材に用いられている。

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・生石灰(酸化カルシウム)と水を反応させると、アセチレンを得られる。
アセチレンは燃料ガスとして最も高熱の炎を発し、アセチレンガスと酸素を活かせば3200℃以上の金属溶接器も作れる。

・鉄鉱石に石灰岩(炭酸カルシウム)を混ぜると、鉱石内の不純物質の融点を下げて液化し、溶鉱炉から除去出来る。

・堆肥の窒素(硝酸の状態の意?)に消石灰(水酸化カルシウム)を加えると、カルシウムが硝酸イオンと結びつき、更にこれに少量の炭酸カリウムを混ぜると分子構造が置き換わって、炭酸カルシウム硝酸カリウム(硝石)を得ることが出来る。
この硝酸カリウムに多くの有機物を結合させて一層酸化させると、酸化剤としての硝酸カリウムと還元剤としての燃料分子が極めて急激に反応しあうため、燃焼しまた爆発もする。

人類最初期の黒色火薬は、硝石を酸化剤とし、木炭を還元剤として、硫黄を混ぜたもの。
硝酸カリウムに、セルロース繊維をもとにした有機物を結合させると、ニトロセルロースを作れる。
またグリセロールを活かせばニトログリセリン(ダイナマイト)にもなる。

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・アルカリとして最重要の化学物質たりうるソーダ灰(炭酸ナトリウム)を、確実にかつ効率的に製造する方式の代表例が、いわゆるソルベー法である。
重炭酸アンモニウム(アンモニア)と二酸化炭素と塩水(塩化ナトリウム)を反応させ、アンモニアによって塩水をアルカリ性に換えつつ、重炭酸イオンをナトリウムに移し、よって不溶性の重炭酸ナトリウム(重曹)をつくる。
この重炭酸ナトリウムを熱してソーダ灰(炭酸ナトリウム)を抽出する。
なお、ここで投入する二酸化炭素は、石灰岩(炭酸カルシウム)の焼き出しから取り出すものであり、残留する生石灰(酸化カルシウム)はアンモニアと塩水の再生に用いている。

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……ここまで、ざっと抜粋メモしてみた。
なお、本書は産業化にいたる工程仔細を精密に記したレポートではなく、たとえば合成アンモニアの製造方式として知られるハーバー=ボッシュ法にしても略記に留められている。
しかしながら、化学における縦横自在な着想の面白さ、その根源への遡及的な思考などなどを更に誘いうるという点にて、本書はなかなか触発的な快作といえよう。

以上



謝辞

ここに提示の記事は、いずれも私自身の判断責任のもと編集・投稿したものです。

大半の投稿は学生など若年層向けを意図してやや平易な表現にて、通俗性は極力回避しつつ、論旨の明示性を重視しつつ書き綴りました。あわせてまた、社会人の皆様にお読み頂くことも想定しつつ、汎用性高い観念知識を相応に動員しながら記した積もりです。

私なりの思考着想によるささやかな閃きが、皆様の諸活動にて何らかの光源たり得れば、望外の喜びであります。

山本